Who’s who vol.0 松本茂さん
「自分の中にある『正義』は曲げられない」

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■うちは,電車が通るずっと前から,ここに住んでいます。
わたしは,もともと地元の出身です。地主さんで松本って,いっぱいいるんですけどね・・・,うちは土地のない地主さんといいますか・・・(笑) 
地主さんも何系統かあって,このへんだと吉村さんとか黒沼さんとか。昔は長子相続で,私の父は長男ではなかったので,いわゆる地主という感じではないんですが,生まれた時からずっとここで育って,学校も山内小学校,山内中学校です。父もおじいちゃんも多分そのずっと前も,電車の引かれる前から,もう何もない時からですね,ずっとここに住んでいます。今の美しが丘5丁目,山内中学校のすぐ下なんですが。
その後,リコ一というコピーとかファクシミリの会社に,事務系の営業職で就職しました。父の不動産会社を継ぐっていう気持ちはまったく無くて。
そして普通に名古屋に転勤して,福岡に行って,ま,そこで嫁さんと知り合って結婚しました。そのあと東銀座の販売系の本部に行くことになって,こちらに戻り,毎日満員電車で通勤していました。
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■サラリーマンから急に社長に。
ところが,そのころ,父の具合がちょっと悪いので手伝ってくれということになり,これはほんとは福岡時代から言われていたんですが,キリのいいところで,会社を退職しました。
先代社長であるうちの父が今の場所に,プレハブで会社(セントラル産業)をつくったのが,昭和43年です。今でもプレハブですけど(笑) 電車は昭和41年に引かれたので,ほんとにまだ何もないところに,ポツンとありました。
平成4年に,わたしがセントラル産業に入ってから1年半ぐらいで,父が亡くなってしまって,それで,すぐそのまま訳もわからず社長になったみたいな感じですね。それからもう20年を超えています。
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■最初は消防団だったかな。
 わたしが地域活動にかかわっていったきっかけというのは,二つあるんですけど。
ひとつは,不動産業なんで地域の地主さんたちとつながりがあります。そうすると,いろいろ話が来るんですね。例えば,PTAやりなさいとか,消防団入りなさいとか。最初は消防団だったかな。「お父さんもやってたんだから」みたいなことを言われて。消防団は父がやっていたし,多分初代の商店会長もやっていた。それと地域の獅子舞も。それでわたしも当然やることになって。PTAは,消防団の先輩に言われて,なんですけど。そういう地域のつながりから,まちづくりに興味を持ったということですね。
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■地下室マンション反対運動。ちょっと過激にやりました。
もうひとつは,平成9年に「地下室マンション」の反対運動というのがうちの近くであったんですよ。法律を逆手にとって,用途地域では最も制限の厳しい第一種低層住居専用地域(マンションは3階建てまで)の傾斜地に,実質4階建て(法律上は地上3階地下1階)の分譲マンションを建てるというもので,利益優先のマンション業者が住宅の質(床面積の増加)より戸数を増やして儲けようという一種の脱法マンションなんです。それが,全国あちこちに広がり始めていました。
その時に,その反対運動の事務局長のようなことをしまして,ちょっと過激にやったんです。道路を封鎖して工事車両の進入を阻止したり,社長の家の前でシュプレヒコールをしたり。もちろん裁判をおこして高裁まで争ったんですけどね。反対運動をしている市民団体のネットワークをつくって,国会請願もやりました。

■最後まで残ったのは,3人だけ。
最終的には法律が変わったので,今はそういうマンションはほとんどできなくなったんですけど。それでやっぱりその時思ったのは,法律を変えるのはすごく大変ですけど,なんでも熱意をもって,粘り強くやっていくと,どこかで変わってくる,というかね。「そんなのやってもダメだよ」ってずっと言われ続けて,それでも何年かそういう活動をやっていると,全国的になんか変だよって話になり,法律や条例が変わっていったんですね。
ただ,そうは言っても,この時は自分としては腹をくくってましたね。結局,最後まで残ったのは3人だけでしたけど。どうして続けたかって言いますと,まちづくりにも関係するんですが,こういう法律を野放しにしておくと,本来の法律の趣旨に反して悪用されて,良好な環境のために作られた風致地区とか第一種低層住宅専用地域のそもそもの意味合いがみんな壊されてしまう。山がどんどん切り崩されて,マンションが建てられてしまう。これは最後までやんなくちゃいけないねって言って続けました。

■むやみやたらと怒ってもしようがない。
この時にいろんなことを学びましたね。人との交渉のしかただとか,結果を出すにはどうすればいいかとか,ただむやみやたらと怒ってもしようがないし。どうすれば相手に一番ダメージを与えられるか,を考えるとかね。
最後までやり通したのは,やっぱり譲れないことは譲らないという気持ちですね。これだけは譲ってしまってはいけない,というかね,・・・自分の中にある「正義」は曲げられないっていうのはありますね。なんかカッコいいこと言っちゃいましたけど(笑)          (構成:辺見真智子) (撮影:立山徹)

松本茂さん/1961年生まれ おとめ座 
セントラル産業株式会社代表取締役
たまプラーザ連合商店会副会長,たまプラーザ中央商店街副会長
青葉消防団第一分団第四班班長,AOBA+ART実行委員会副委員長,
たまプラフレンズ代表
(参考)地下室マンション反対運動について
「美しが丘5丁目の環境を守る会」http://www1.interq.or.jp/~shigeru/

美しが丘中学校で「次世代郊外まちづくり」の出前授業

9月11日(水)美しが丘中学校の3年生社会科公民授業で,横浜市建築局と東急電鉄による「次世代郊外まちづくり」をテーマにした出前授業が行われました。
たまプラーザ駅周辺の50年前の風景,田園都市の由来や少子高齢化の時代を迎えた郊外住宅地の問題,行政と企業,住民が連携する「次世代郊外まちづくりプロジェクト」のことなどが話され,先生たちの熱い思いが伝わったせいか,中学生たちは熱心に聞き入りました。
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「現在の街をいかしながら,街を活性化していきます。」
「市民・企業・行政のコラボレーションです!」
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出前授業の先生たち。左から横浜市建築局・大野さん,東急電鉄・市川さん,岡本さん。
「中学生もぜひ参加,応援してください。」
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新しいファイルも用意しました。

シェアハウス中庭で交流BBQパーティ

9月7日(土)美しが丘3丁目にあるシェアハウス「シェアたま」の中庭で,住民創発プロジェクトへの応募を考える人たちの交流BBQパーティが行われました。
「シェアたま」の住人で,プロジェクトにも応募予定の井村拓也さんが,つながりの機会をつくりたいと企画。約60人が集まり,企画書や実施計画書の提出期限を目前に,大いに盛り上がり,楽しいひとときを過ごしました。
(撮影/立山徹)
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「シェアたま」の住人は約60人。さまざまな分野のクリエーターです。
ハロウィンやAOBA+ARTなど,地域との連携が徐々に進んでいます。
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次世代郊外まちづくり・ワークショップや相談会でおなじみの顔が続々集まりました。
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交流会仕掛け人の井村さん
「シェアならブックシェアでもシェアハウスでも大好きです。シェアは素晴らしいですよ。次世代郊外まちづくりも,シェアハウスという言葉を見つけて,ワークショップに出ました。」