<特別寄稿>
たまプラフレンズ・松本茂(少年)
小田原電力バス見学会レポート

(レポートの前に)
9月12日(金)たまプラnetwork(たまプラフレンズ)では,次世代郊外まちづくりの関係者や地域の皆さんに呼びかけて,小田原電力見学会を行いました。
東日本大震災以来,全国で市民電力が立ち上がっていますが,たまプラーザでは次世代郊外まちづくり住民創発プロジェクトから,ついに9月26日「株式会社たまプラーザぶんぶん電力」が設立され動き始めました。
私たち,たまプラnetworkは,さまざまなまちづくりプロジェクトをつなぎ応援する住民主導型のネットワークをめざしていますが,今回の小田原電力見学会は,たまプラーザぶんぶん電力の支援企画ともいうべきものです。
小田原市では,東日本大震災による原発事故の後,特産の足柄茶から放射性物質が検出され,一時観光客が激減するなど,大きな痛手を受けました。そこで,かまぼこメーカーや魚市場など地元企業38社が出資して2012年12月「ほうとくエネルギー株式会社」を設立。
市の公共施設「屋根貸し」事業への応募をはじめ,大規模太陽光発電や小水力発電プロジェクトなど,市民と協働で再生可能エネルギーの導入を進めています。
http://www.houtoku-energy.com/

たまプラーザとは,立地も条件も違いますが,百聞は一見に如かず。大規模太陽光発電や学校の屋根貸しを一目見てみよう,小水力発電の話も聞いてみたい,と企画しました。
また,このバス見学会には昨年9月の第1回講評会での認定から始まった住民創発プロジェクトのこの一年の活動を慰労する,慰安旅行的な意味もこめられています。
見学ツアーの最後は,有名な鈴廣かまぼこで創エネ,省エネの工夫を見学した後,地元の食材を使った鈴廣の地産地消レストラン「えれんなごっそ」で懇親会というという計画です。

今回のレポート執筆は,たまプラフレンズ代表で,私の高校の後輩でもある松本茂さんにお願いしました。
当日は,朝バスに乗った時から,小学生のころの社会科見学を思い出したらしく,ハイテンションでニコニコしていたと思ったら,原稿もすっかり小学生になりきって書いてこられました。(小学生のくせにきれいな若い女性に目がいくところがあやしいですが。)
克明なレポートは,参加いただい森ノオトのレポーターさんにいずれ譲るとして,まずは松本さんの愉快な小学生絵日記的レポートをお読みください。(辺見)

スケジュール 
8:30 たまプラーザ出発
10:30 富水小学校 小田原市太陽光発電屋根貸し事業実施施設の見学
11:10 大規模太陽光発電所(メガソーラー)の見学
11:30 わんんぱくランドで昼食
11:50 大正時代の小水力発電所遺構の見学
12:20 小水力発電所遺構 沈砂池跡の見学
(13:05 荻窪用水の見学は時間の都合で中止)
13:30 鈴廣(太陽熱、地熱利用施設の見学)
14:00 小田原電力=ほうとくエネルギー㈱の事業開始までの経緯と今後の計画
質疑応答、説明。
15:00 懇親会(鈴廣えれんなごっそ)

■小学校屋上の太陽光発電システムにメガソーラーの話、昔の水力発電の話、
鈴廣かまぼこの省エネ・創エネの話、すごく勉強になったよ。
いっぱい歩いて、おいしいものをいっぱい食べて、ほんとに楽しい一日だったよ。
小田原写真①
9月19日小田原電力の見学会に行ってきたよ。総勢24人。最高の天気だったな!8:30出発だったけど、10分前には皆集合していました(1人を除いて・・・)。
千葉さん(交流の森)がなかなか来ないので、置いていっちゃおうかなと思っていたら、3分前に到着。東急電鉄の東浦さんと岡本さんは最初の見学地、富水(とみず)小学校で合流です。

定刻の8:30に出発しました。バスの中では、たまプラフレンズの辺見さんと僕が進行役で今日の流れを説明したよ。その後ひとりひとり自己紹介。堀内さん(シェア奥沢)の自己紹介は長かったなぁ。藤井さん(AOBA+ART)は短かった。
平塚パーキングエリアで休憩を取り(僕はお気に入りのバニラと抹茶のミックスソフトクリームを食べました。)予定通り小田原の富水小学校に到着!

お出迎えしてくれたのは、ほうとくエネルギー㈱副社長の志澤さんと富水小学校の穂坂校長先生。志澤さんは一日ずっと一緒だった。早速学校の屋上へと案内されました。屋上には太陽光パネルがたくさん並んでいたな。
なぜ富水小学校にパネルを設置したかというと、小学生の環境教育に役立てたいということと、災害時の避難場所なので電気が来なくなっても、補助電力として使用できるからだって校長先生が説明してくれたよ。他に2ヵ所で富水小学校と同じようにパネルを設置しているんだって。(小田原市太陽光発電屋根貸し事業)

次に行ったのは大規模太陽光発電所。メガソーラーって言うんだ。山道をどんどん登っていったよ。出迎えてくれたのは、地主さんの辻村さん。とっても優しそうなおじさんだったよ。山のずっと向こうまで約20万坪が辻村さんの土地なんだって。すごいな。
さっき学校で見たような太陽光パネルがたくさん並んでいたんだ。事業費は3億8600万円。そのうち1億円は市民の人たちから集めたんだ。10月8日から東京電力に電気を売るんだって。電力会社に電気を売るっておもしろいよね。
その後、辻村さん自慢の見晴らし場所に行きました。小田原の市街地と相模湾が見渡せました。とてもいい眺めでしたよ、辻村さん!
高圧線が邪魔だなとか、喋ってるおじさんたちもいたな。空気読んでよね。
そしてまたまた辻村さん自慢の樹齢300年の杉の木を見せてもらいました。

すぐ近くのわんぱくランドにバスを停めて昼食タ~イム!僕はコンビニでお弁当を買ってきたんだ。3時から鈴廣の食べ放題レストランで懇親会があって,そこでいっぱい食べるから,小さなお弁当にしたよ。

次に行ったのは小水力発電所の跡地(発電機跡)。大正時代に、辻村家の製材所で使う電気を作っていたんだって。ドイツ製の発電機があったんだけど、戦時中に盗まれてしまったんだ。残念だよね。
その後、上流の小水力発電所(沈砂池跡)に行って、記念写真をパチリ!
ここで辻村さんとはお別れ。ありがとうございました。

そして最終見学地,かまぼこの鈴廣さんへ。ここで出迎えてくれたのは、秘書課の小野山さん。とっても美人だったよ。大学を卒業してすぐに秘書課に配属されたんだって。電話番号までは教えてくれなかったな。
そうそう、何で鈴廣っていうか知ってる?明治20年頃、六代目鈴木廣吉さんが、蒲鉾製造を本業として、屋号を「鈴廣」にしたんだって。昔の社長さんの名前だったんだね。今の社長さんも、鈴木博晶さんていうんだ。ほうとくエネルギー㈱の役員さんでもあるんだよ。
鈴廣さんも省エネ・創エネに熱心な会社で、地熱や太陽光を使って、給湯や換気、発電に利用しているんだ。いろいろ見学した後で、レストラン「えれんなごっそ」の2階にあるレクチャー会場へ。ここで、志澤さんから今日のまとめのお話を聞きました。鈴廣の副社長さんもお話してくれたよ。みんな親切にしてくれて本当にいい一日でした。

この後はおまちかねの懇親会!
「えれんなごっそ」は小田原の方言で「いろいろなごちそう」という意味なんだって。お料理と飲み物、おいしかったなぁ・・・。

それにしても今日は、よく歩いたよ。きっとこればビールを美味しく飲むための・・・辺見さんの作戦・・・だったのかも。辺見さんはビールが大好きなんだ。みんなそう言ってたよ。

文/松本茂 写真/辺見真智子

’小田原③
富水小学校の太陽光発電システム
小田原市太陽光発電屋根貸し事業の設置事業者,ほうとくエネルギー(株)により設置されました。
小田原写真②
停電時に自立運転用コンセントから電気を取り出せる仕組み。
発電出力50.96kW 年間想定発電量51,290kWh
富水小学校以外にも2施設に設置されていて年間想定発電量の合計は124,012kWh
’’小田原③
’’’小田原③
ほうとくエネルギー(株)のメガソーラー
(所在地) 小田原市久野字亀甲山
(事業費) 3億8,600万円 資金調達の一部に市民出資を取り入れています。
(発電所概要) 建設面積 約1.8ha (5,445坪)
(設備容量) 984kW
(年間想定発電量) 948.182kWh (約260世帯分の年間電力消費量に相当)
(ほうとくエネルギー(株)見学資料より)
小田原③ー2
小田原④
小田原市久野の山林内にある大正時代に建設された小水力発電所の跡地。
発電機が設置されていた場所。
(所在地) 小田原市久野の山林内
(建設時期) 大正8~12年
(設備容量) 約117kW  (当時)
(用途) 製材所への給電,紡績工場への売電 (当時)
(ほうとくエネルギー(株)見学資料より)
小田原⑥
発電のための水を一時的に溜めておく沈砂池跡で記念撮影。
後列右端がほうとくエネルギー(株) 副社長の志澤昌彦さん。
右から4番目が土地所有者である辻村百樹さん。
小田原⑤
鈴廣かまぼこで太陽光発電システムや太陽熱利用給湯システム,地中熱利用換気システムを見学。鈴廣の鈴木悌介副社長は、「脱原発を目指す経済人」として知られる。自社の省エネ・創エネを進めるとともに、ほうとくエネルギー(株)に出資。

まちづくりWho’s who vol.5
小泉秀樹先生(東大大学院教授)
たまプラの特殊性は何か?

小泉先生

小泉秀樹先生ロングインタビューもくじ
■「出口」を考えるとき
■「3丁目カフェ」がうまく回るとしたら・・・
■たまプラなら,住民主導でコラボレーションが生まれるのではないか
■これから行政の役割は後方支援型に変わる
■なぜ研究者がかかわるのか
■自治会や商店街と,信頼にもとづいた本当の協働関係が築けるか
■高3の時,理系なのに倫理が大好きになって・・・
■都市計画との出合い
■動物が大好き。ワニから猿まで飼っていました

■「出口」を考えるとき

全体的な評価を言うと,このプロジェクトで皆さんがやられている活動というのは,すごく成果が出ていると思っています。短期間の中でかなり具体的な成果が出ていると思います。
成果っていうのは何か結果が出ていることだけではなくて,いろいろトライされているとか,具体的なアクションに踏み出せている団体がほとんどなので,そういう意味で成果が上がっているというふうに評価しているんですよね。

支援という面で言うと,一つは日常的に皆さんが結びついたり,ちょっとした悩み事を相談し合うような居場所があればいいなって思っているんですね。インフォーマルなコミュニケーションの中でこそ,ほんとのコラボレーションのタネが生まれてくるものなので。
そういう意味で,みんながふらっと立ち寄って誰かに会えるような場所が必要だと最初から思っていました。そういうのがあると活動に苦しんでいる団体さんが,少し具体的なアクションを,じゃあこの人たちとやってみようかっていうようなことが始まったり,それからこことここが実はあまり接点がなかったかもしれないけど,一緒にやると面白い効果が出るようなことが生まれてきたり,そういうことが生まれやすくなるような環境ができるのになと思っているんです。

ただ全体としてみると,実際には団体間の結びつきが相当強くなっているし,それから相互に支援するような,他の団体の人が助けて参加したり盛り上げたり,というようなことがよく起きていて,そういう意味でも非常にうまくいっている,という評価なんです。

もう一つは「出口」のところをどうするのか,ということを考えなくてはいけない。
9月で一応支援の期間というものが制度上は終わります。もちろんそのあともさまざまな形で継続的に我々もサポートすることになっているんですが,それにしても一応そこで団体さんとしてもひと区切りで,そのあとの活動をどう自分たちで展開していくのか,方向性を見出さないといけないんですね。
9月までに,今後,今までの支援とは違うかたちの支援の中で,皆さんが自立的にどうプロジェクトを展開できるのかということを見据えたり,そのためにはどういうリソースや最低限の支援が必要なのか,我々に代わる行政との協働や企業とのコーディネーションをどう作れるのか,という「出口」のところを考えなければいけない,ということです。

皆さんが今何をめざしていて,どこまで到達しようとしているのか,そのために何がほんとに足りないのか,どういうところで困っているのか,というところは,もし機会があればインフォーマルな場で,少し細かく話をお聞きしたいなと思っています。
トップに戻る

DSC01162

■「3丁目カフェ」がうまく回るとしたら・・・

イベントをやって参加費を取って,それで,あとは自分たちがボランタリーにかかわれば動くようなものっていうのは、もちろんそれもある種の市民事業で難しい点もいろいろあるんですが,事業的なスキームとしては分かり易いですし,そんなにリスクもないし,人を専従で雇うということでもなければ,なんとかやっていけると思うんです。
でも,人を雇用するかたちで展開するとなると,途端に難易度が上がるんですね。そこは,ある種のビジネスモデルをその団体さんなりに模索しなければならないですよね。
例えば,3丁目カフェさんなんかは,もうほんとに実践的にやられようとしていて,(代表の)大野承さんの頭の中にも,ある種のビジネスモデルがあるわけですよ。
我々の言い方でいうと,フォープロフィットという利益追求型のプロジェクトと,ノンプロフィット型のまさにみんなのためにっていう公共的な利用ということがあるんですが,あれはフォープロフィットのほうでノンプロフィットを支えようというモデルで,それを同じ場所について時間で区切ろうというような戦略ですね。
それはすごくいい戦略だなと思っていて,逆に言うとそれがうまく回るとしたら,フォープロフィットのところにちゃんと人が入って,お金がそこで回るのかどうか,ですよね。
ノンプロフィットのほうは,大野さんがどこまで頑張れるか,大野さんのまわりの人たちが,どこまで楽しんで一緒にやれるか,というところ。

どのプロジェクトでも,いろいろ配慮したり,事業的になるほど,さまざまな問題を考えなければいけないですが,やっぱり楽しむってことが一番なんだと思うんですね。そういう気持ちを忘れないように,ということと,今皆さんがさかんにやってくださっている,お互いに支え合い助け合うことをもう一つキーワードにして,やっていただくといいのかなと思いますね。
トップに戻る

DSC01149

■たまプラなら,住民主導でコラボレーションが生まれるのではないか

元々,こういう方式にしようと持ちかけたのは,私なんですよね。たまプラ大学などで「連続学習」をやる中で,市民の方がいろいろなアイデアを持って出てきた時に,アウトプットとしては,プロジェクトを志向したようなアウトプットにしよう。
で,そこから,次のステップとして具体的に市民の方たちにプロジェクトをやっていってもらって,企業とのマッチングを含めたそのプロジェクトを支えるためのある種の仕組みを作って,出口として用意しておこう。
実際にプロジェクトをやる中で,次のステージに進んで行ってもらえるようにしよう,というふうに考えていました。
そして,今回のように,計画・ビジョンづくりから進んでいって、皆で課題や方向性を共有する。その上で,そうした共有理解にたって個々のプロジェクトができて,そしてそれを支援していく仕組みが用意され,プロジェクト自体が,地域の課題解決のため動いていく。そうした一連の流れをつくり上げるやり方を,僕らは協働型まちづくりのアプローチ(Collaborative Community Design Approach)と呼んでいるんです。これは,最近流行のCSV(Creating Shared Value) という考え方と近いものでもありますね。

もう一つすごく特徴的なのは,例えば,横浜市ということであれば,横浜市全体でそういうことをやるのが普通。だけど,たまプラーザという,ある特別な地区で,地区の中でのコラボレーションを生み出すようなやり方っていうのは,多分これが初めてかもしれません。今まで日本になかったことじゃないですかね。
たまプラっていうのは,相対的にみればやっぱり地域力、市民力が高いところだし,元々の自治会活動もしっかりしていたし、市民活動もある程度あった。そして,やってみたら,新しい人も入ってきたし,地域で頑張っていた人たちもワーッと出てきたし,外から入ってきた人もいた。
これは,地区内の住民の人たちが出てきて,また外からの人も入って,その中でいろんなコラボレーションが生まれる,そういうスキームです。そうすると,時間とともにだんだん新しい地域社会に変化していく。こういうことは,これまで横浜市全体の中でやるのはあったんだけど,小さな地区の中でやるのは初めての試みだったんですよ。

なぜそういうことが,今までやられていなかったか,というと,やっぱりたまプラーザぐらいの範囲の中でやった場合,それほどたくさんの住民・市民の方がアクティブに動いて,いろいろ相互に協力し合いながらさまざまなプロジェクトをやるっていうことは,普通あまり想定できないんですよね。
だから,やっぱり市とか,区の中でいろんな団体がいて,その団体さんの交流を進めていって,いろいろなコラボレーションを生み出したり,新しい団体を発見していくとか,キーパーソンを発見していくってことを多分志向するんですが,今回は,たまプラーザなら,もしかして地区の中でそういうことができるんじゃないか,というのが我々が取り組んだ一つの仮説ですよね。
(次世代郊外まちづくりの住民創発プロジェクトは)たまプラーザだから,ある意味できているところがあるんじゃないかと思っていて,他のところでは,同じやり方ができるところもあるだろうけれど,基本的にはその地域の特性にあったやり方そのものをデザインすることが,必要だと思います。
たまプラーザの最終的な姿は,やっぱり住民の皆さんが自分たちで,コミュニティビジネスやイベント的なものも含めて,地域運営する新しい住民主導型あるいは,住民と企業の協働型のモデル地区なのかな,と僕は位置づけています。
トップに戻る

■これから行政の役割は後方支援型に変わる

例えば,他のところだと,もう少し行政がテコ入れをしてあげて,少し持続的にかかわらないと難しいようなところもあると思います。それはもっと行政と住民の協働型だとか,もしくは行政主導型だとか,もしくは企業主導型だとかになっていくと思うんです。
たまプラーザは,住民主導型で,場合によったら住民・市民と企業主導型かもしれないですね。で,行政は後方支援する,というようなスタイルで,どこまでいけるのか,っていうチャレンジなんだと思います。
今までの行政というのは,直接的な事業をするのが行政の役割だったわけですね。例えば,道路を作るとか,公園を整備するとか。また,計画を作るのでも行政が自分で計画を作る,というのが,今までの行政の役割だったんですが,これからは後方支援型に変わる。というのは,これからは政府と住民と企業が三者協力し合いながら,地域社会を統治していくという協働型の社会モデルに変わるということなんです。

政府セクターだけではなくて企業や市民が連携し合う。それぞれの連携があり,三者の連携があって,その時の政府の役割というのは,直接的に事業をやるという役割もあるんだけれども,例えば市民と企業のマッチングを行政が支援するとか,それから,市民がやりたいことをやれるような環境を整えてあげる,というようなことだったりするんです。我々はそれをいわゆる「直接事業型から支援事業型への転換」と言ったりします。
要は,地域の本当のニーズにマッチしたことをやるには,理想的に言えば,その地域の住民の方や企業,商店街の方が地域を維持する事業を推進していて,それに必要な最低限の支援を行政がするということ。このほうが,むしろ地域の人たちにとって望ましいサービスができる可能性が高いということなんです。
でも,それはやっぱり現地でそれだけのことを回せるだけの,さまざまな人的なリソースとか,空間的な環境,またそれ以外の社会的なリソースもあるかもしれないですが,そういうものが整わないとなかなかできないんですね。

たまプラーザは比較的それらが整っている地域で,最初からそれがめざせる地域じゃないか。他の地域はもう少し耕していって,5年10年かけて耕して,うまく耕せたら,そういうステージに入れるかもしれない。でも,耕すまでは,行政が主導しながら引っ張る。あるところでは,企業が引っ張ることが必要かもしれないですよね。
そういう意味で,たまプラーザは,我々の取り組みの中では,非常に先進的なモデルに比較的挑戦できるんじゃないか,という位置づけで,かかわらせていただいています。
トップに戻る

DSC01154

■なぜ研究者がかかわるのか

横浜市さんはそれなりの立場があるし,東急電鉄さんも地元だからかかわるのは当たり前なんだけれども,じゃあ研究者の我々がなんでかかわるんですか? ということがあるんですね。
それは「実践研究」と言うんですが,実践研究というのは,ある事例を作り上げる。これはすごく一方的な言い方ですけれどね。でも,研究者の立場からすると,支援をしていって,いい事例を作りたいってことがあって。そして,そのいい事例がどう作られるのか,というプロセス自体が一つの研究的な価値があるんですよね。
それで,それがうまくいったとしますよね。うまくいった時に「なぜうまくいったんだろう」ということの原因だとか,それを支えている特殊な条件というのがある。もちろん一般的な条件もあるんだけれども,我々が注目しているのはむしろ特殊な条件で,たまプラのこういう特殊性があったからこそ,これはうまくいったんだね,というところがうまく発見できるかどうかなんですよね。
そうすると,もしその特殊性を保持しているような他の地域があれば,そこでも成り立つかもしれない,というふうにも考えられるので,研究的には,いかに特殊なのか,ということが描きたいと考えています。

例えば,ワークショップをやった時に,ここの地区ですごく面白かったのは,参加者の属性が男女の比率をみても,年齢をみても,すごくバランスがいいんですよ。
あそこまで,バランスがいい参加者がそろう地区って,そうそうないんですよ。
普通やるとだいたい,ちょっと言い方が悪いですが,高齢者の男性に偏っちゃう地域があるとか,逆に中高年の女性だけに偏る地域で男性は出てこないとか。
例えば,被災地に行ったりすると,みんなでお茶を飲みながら,「お茶っこ」って言うんですが,みんなでお茶を飲みながら話しましょうよって言うと,女性がわーっと出てくるんですよ。で,男性は被災地だとむしろ,オレはそんなところに行かないって言って,頑なで,出てこないんです。それは,それでバランスがよくないわけですよね。
首都圏でやると,どちらかと言うと,リタイアされた,もしくはリタイア近い男性の方が,少し地域の中で何かもう一度やりたいって方が多くて,男女の比率が8:2とか9:1ぐらいになってしまうことが多いですよね。
もちろんテーマによりますが,「まちづくり」ということで,広く子育ても高齢者の問題も地区の環境改善も全部やりますよ,って言ってしまうとだいたい出てくるのは男性が多かったりするんですよね。
でも,たまプラは非常にバランスがよくて,それはある種のまちに対する関心とか期待とか,もしくは若い人でも比較的参加できるような環境を整えている,っていうんですかね。例えば,そういうことが地区の特性としてあるのかもしれないな,と思っています。そういう意味では,スタート時点から,ある意味他の地区とは違うわけですよね。

もちろんワークショップに参加してくださる方を募るのに,東急電鉄さんや石塚計画デザイン事務所の方にお願いをして,地域のコーディネーター的な役割の方にインタビューしていって,こういうのがあるから参加してくださいねって言って参加してもらったり,知り合いの方を紹介してもらったりもしているんですが,多分それだけでは説明できないわけです,いろんな人が出てきていて。
それは,たまプラという地区の特性と,あとは時代的な特性もあったかもしれない。3.11のあとで地域への関心が非常に高まっていたとか,皆さん自身がこれからの地域に対してやりたいことを考えやすい環境があったとか,いろいろあるかもしれないですね。
そういうある種の特殊性みたいなことを,少し気にしながら,こちらとしてはサポートして,研究としても整理をしていきたいなと思っているんですけどね。
トップに戻る

DSC01150

■自治会や商店街と,信頼にもとづいた本当の協働関係が築けるか

このプロジェクトのユニークな点は,先ほど言ったように地区でやっているでしょう? ふつうは全市でやっているわけです。そこで出てくるのはテーマ型コミュニティって一般的に言われる団体なんですよ。ここは基本的にたまプラーザとか美しが丘という限られた区域の中に,テーマ型のコミュニティがたくさんできているっていう状態なんです。
それで,そういう状態までつくりあげることができているってことが,多分すごく珍しいんですよ。
そういうテーマ型コミュニティがたくさん出てきていて,しかもすごく良好な関係になっているんですね。お互い助け合って。新しい社会的なつながりというのが,地域の中にどんどんできてきて,ふくらんでいるんですね。

一方,元々あった自治会さんや商店街さんという地縁型の組織が地域の中で果たしている役割が依然として大きいものでもあるわけですよね。
これから,少し考えなければいけないのが,そういう地縁型の組織の皆さんと、いかによい関係を築いて,地縁型、テーマ型を包含した住民の皆さんの新しい自治の体制とか関係づくりって言うんですかねえ。どういうふうにできるのかっていうのが,すごく大きなチャレンジだと思います。
普通はね,あるNPOさんが1個出てきて,そこと自治会さんがうまく手を組んで,自治会がやっていたこの仕事はもうそのNPOさんにお願いしようとか,そのNPOさんから自治会に若い人が役員として入ったりして自治会が活性化する例はすでに結構あるんですよ。
だけど,これだけ,いろんなテーマ型の団体が出てきていて,それをうまく自治会や商店街と結びつけながら,新しい地域社会のあり方をつくり上げるっていうのは・・・それが我々,横浜市さんや東急電鉄さんが考えている最終的な目標なんですけれど,どう着地すべきか,やりがいのあるチャレンジだと思っているんです。

組織対組織のおつきあいということもあるんですが,一番大事なのは,プロジェクトを推進されている中心メンバーの人たちが,どれだけ自治会や商店街の方と本当の意味で信頼し合って一緒にやれるかっていうことなんです。それが問われているんですね。
横浜市さんや東急電鉄さんがあいさつにうかがっておくっていうのはもちろん必要なんですよ。でも,それだけで,めざしているような本当の意味での協働関係ができるかって言ったらそうはならないので。
トップに戻る

DSC01159

■高3の時,理系なのに倫理が大好きになって・・・

僕は高校3年ぐらいまでは,ほんとにガチガチの理系だったんですよ。物理とか数学が好きだったんです。逆に言うと物理と数学以外あんまりできなかったんですね(笑)
それに,ちょっと,当時の共通一次テスト(現在のセンター試験)をしくじっちゃって,選択した科目と違う科目で受験しちゃったんですよ。おっちょこちょいなんで。それで浪人しちゃったんだけれども。
その共通一次を勉強するときに,当時は理系でも社会科で2科目取らなきゃいけなくて,1教科を倫理という科目を取ったんです。点が取りやすいってことで(笑)
で,倫理を改めて勉強し始めたら,すごい面白かったんですね。倫理には社会思想だとか,哲学だとか,さまざまなことが入っているんですよ。それを読んだら,大好きになっちゃって。浪人したら今度はそういう本ばかり読み始めて,全然勉強しなくなって,むしろ成績が落ちちゃったぐらいなんだけど(笑)
でも,その時に理系の中で一番社会的な問題に近いところって何なんだろうって考えて・・・今考えたらどの領域でも接点があったんだけれど,当時はなかなかわからなくて。
それで,建築っていうのは人が暮らしたりするものだから,社会との接点が一番あるものじゃないかと思って,その当時の僕の理解の中では一番人間寄りだったんですね。つまり,数学的なものから少し現実の社会に近づいた領域のほうにシフトしよう,ということで,建築学科を選んだんですよ。
で,建築に入ってみたら,・・・そうは言っても物理的な空間をつくるのが主なテーマなので,思っていた以上に技術寄りなんですよ。やっぱりね,教育としては。
トップに戻る

■都市計画との出合い

こういうのだとやっぱり人間の暮らしや社会というようなものになかなか接点が見えてこないな,と思っていたら,恩師の一人なんですけど,日笠端(ひがさただし)先生の「都市計画」と「住宅地計画」という講義と演習があって,それがすごく面白かったんです。
これは人間や地域社会に直接かかわれるような,一番自分の関心に近い領域だなと思って,広い意味で言うと都市計画と言うんですが,都市計画の世界に飛び込んだんですよ。
日笠先生は都市計画学会の会長をされていた先生なんです。その日笠先生が一番力を入れておられたのが,コミュニティ・プランニングとか,コミュニティ・デザインの領域。日本でこれを本格的に研究したり,実践されていた初めての先生だったんです。
地域で人が暮らすということにどうアプローチできるのか――大学の3年生ぐらいですかね。それで,目がパッとひらけて,そういう関係の会社でバイトをしたり,そういう業界について勉強し始めたんですね。
で,大学院でも専門的に勉強しようということで,都市計画が専門に勉強できる都市工学に来て,日笠先生の系統の研究室に入りました。もう日笠先生は退官されていて,直接ついたのは川上秀光先生でしたけど,そこにまた森村直美先生という先生がおられて,その森村先生が日笠先生と親しく,いろいろコミュニティレベルのことを研究されていて『コミュニティ・デザイン』という図書を日本で初めて出された方なんです。日笠先生は「コミュニティ計画」という言葉を使われたり,「コミュニティ設計」って時々書かれていましたが,コミュニティ・デザインという本は出されていなかったんですよね。

森村先生がやられていたのは,すでにできあがっているところで,どうやって住民が地域を自分たちで管理運営するんですか,ということとか,そのために必要な財源とか,ちょっとした空間としてこういうものがあるといいねとか。それから公園なんかも,勝手に作るんじゃなくて,地域の住民たちが自分たちで何がいいのか考えながら作ったほうがいいね,とか・・・。こういうようなことを70年代の後半にまとめられていました。
そして、僕らが研究室に入った80年代の後半の頃には,もう大学院の先輩が世田谷区の太子堂というところで,まちづくりやコミュニティ・デザインの実践をしていました。
僕は直接そのプロジェクトにかかわっていなかったですけど,先輩に連れられて,そういう現場に行ったりしました。最初はね,こういうことにどういう意味があるのかなって思ったりしていたんですが,だんだんその重要性っていうのがわかってきた。
日笠先生と出会ったことから始まって,そこからは自分の志向にかなった,都市計画という領域にどんどん惹かれていったということがあると思いますね。
トップに戻る

DSC01156

■動物が大好き。ワニから猿まで飼っていました

高校の頃,一番聴いたのはビートルズですね。友達の影響もあっていろいろな洋楽,ブリティッシュ系の洋楽が多かったけれども,レッドツェッペリンとかローリングストーンズなんかも聴いていました。自分でもギターを弾いたり。
でも,一番やっていたのは,部活ですよね。陸上をやってたんですけど。中距離・長距離です。それを一番一生懸命やっていましたね。中学の時は野球部だったんですが,部がつぶれちゃったようなかたちでやめて,次はサッカーか陸上と思っていたんですよ。一番仲のいい友達が陸上やってたんで。サッカーも仲のいい友達がいっぱいいたんだけど,じゃあ,まあ陸上やるかなって(笑) サッカー部の連中とも仲良かったので,サッカーもよくやって遊んでいましたけどね。
中学の時はフォークギターで,みんなでギター部を作ろうって言って,わざわざギターの先生を連れてきてもらって。かぐや姫とか南こうせつさんとか,そのうちだんだんオフコースとか。そういうのをやり始めたり聴いたりして。甲斐バンドとかね。
大学ではロックバンドをやっていた時期があって,ベースをやったりしていました。ポール・マッカートニーがすごい好きだったので。

今楽しいのは,サッカーですよね。自分では最近できなくなったけど,子どもに教えたり。子どもとサッカーをやれれば楽しいんだけど,もうやってくれないので,子どものサッカーを観戦したり,あとはプロのサッカーを見たりとか,ですよね。
それから学生とフットサルをやったりとか。最近学生がまたフットサルの企画を作ってくれて,少し盛り上がっているんですけどね(笑)

子どもは3人。上二人が男の子で一番下が女の子で。この間高校受験だったのが一番下の子で。
だから去年は家庭的にはなかなか大変でした(笑)  復興支援などもあったので。一番上が大学2年生,真ん中の子が高校3年生で,来年また受験なんです。
今家がマンションなんでペットは飼えないんですが,元々犬がすごく好きで・・・。
僕は動物が大好きです。小さい時から父親がいろいろ飼ってくれて。ほんとにいろいろ,ワニから猿まで。ワニっていってもこんな小さなのですけど。(出身地の)練馬区は農地が多くて,昔は田舎だったんですね(笑)

小泉秀樹(こいずみ ひでき)さん/1964年生まれ うお座
東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻教授 博士(工学)
東京都練馬区出身 
ポール・マッカートニー,サッカー,動物大好き

(写真/立山徹 構成/辺見真智子)
トップに戻る

まちづくりWho’s who vol.4
林 月子さん
(フラッシュモブ実行委員長)
今だから話します,
フラッシュモブのあれこれ。

DSC00888

2013年11月4日午後2時,たまプラーザ駅北口のたまプラーザテラス・ステーションコートで,次世代郊外まちづくり住民創発認定プロジェクト,フラッシュモブ「たまプラー座だよ!全員集合!」が行われた。スタッフ・キャストのほとんどが,たまプラーザの住民。大人と子ども,およそ150人が参加した。
http://www.youtube.com/watch?v=jri0FgYPNzU

林月子さんロングインタビューもくじ
■私の原体験 みんなでやると楽しい!
■ワクワクが次の元気に繋がっていく・・・
■フラッシュモブ×ダブルダッチ  きっかけは・・・
■カプリオールは,このまちのヒーロー
■テーマを決めることは,とても大事なこと
■1,349人分のアンケートを回収・・・でも,ちょっとしんどくなった
■「モブっていいとも」
■「林さんに何かあった時は・・・」
■「雨が降ったらどうしますか?」
■「やべえぞ,これ。むちゃくちゃいいぞ」
■本番終了後のアンケート「たまプラーザがうらやましいです」
■もう一人の自分
■大きな恐怖,不安とプレッシャー
■動画の編集 一番いいシーンで全員が写るように
■この際,聞いておこう Q&A 

■私の原体験 みんなでやると楽しい!

私はお祭りが好きだから,こういうフラッシュモブみたいなことをやりたいなって思った・・・。でも,そういう発想をする原体験が実はあった,ということを思い出したんです。
私は岐阜県出身で,母の実家が岐阜県郡上郡八幡町というところなんですけど,ここは有名な郡上踊りのまちで,ほんとに小さい時から,その徹夜踊りに親戚でわーっと乗り込んでいくというのが,毎年の楽しみのひとつでもあったんです。
私は一人っ子なんですが,母が8人兄弟姉妹で,お盆とかお正月になると親戚中が集まる。すると何十人ってなって,みんなで雑魚寝をして泊まる。
そして,そこで演芸大会をやるんですね。それぞれの家族や子供たちが・・・みんな,なんかやるの,芸を(笑)
漫才やる人もいるし,うちの父なんかは手品を,私はいとこたちといつもだいたい人形劇をやっていました。
お正月までにストーリーを考えて,その登場人物の人形をデザインして,母から端切れや毛糸をもらって人形劇のお人形を作る。幼稚園ぐらいからそういうことをやっていて,ちょっと年上のいとこのお姉ちゃんがやっているのを見て,じゃあ次の時には私もああいうのをやろうって企画を練るわけですよ。
おじいちゃんは,扇子を持って講談をやったりとか,ピンクレディが流行っている時にはピンクレディの歌を踊るいとこがいたり・・・。
それがすごく楽しかったんですね。
それに夏は,お化け屋敷ごっこをやるんです。親戚のおばちゃんがゲゲゲの鬼太郎になったり,みんな本格的にメイクしてお岩さんやのっぺらぼうになって。
うちの父は毎回ドラキュラでした。それでいい演し物をした人には,おじちゃんなんかがお菓子をくれるわけ。「好きなの選べ」みたいな感じで。
そういうのがあったので,今のこういう私になったのかなって。
一人っ子だったけど,大家族の雰囲気を味わえる大事な時間だったんですね。みんなでなんかやると楽しいなあーっていうのは,今のフラッシュモブにつながっている気がするんです。
トップに戻る

DSC00891

■ワクワクが次の元気に繋がっていく・・・

おばあちゃんのうちっていうのは,ほんと昔の家で,当時水道とかなくて,樋みたいなもので山から水を水槽まで引いて,一つ目の水槽ではスイカを冷やしたり野菜や食器を洗い,それより一段低くなっている水槽で泥野菜を洗い,最後は鯉がいる大きい池にその水が流れて行って,鯉が食器についていた残飯を食べる。その流しは家の外にあって,中に入ると土間で大きなかまどがある。
何十羽って鶏がいて,近所の人が卵を買いに来る。で,親戚が集まるとおじちゃんがバーンと鶏の首をはねて鳥鍋にしたり・・・。
まわりはほんと山と田んぼばっかりで,おばあちゃんに大きなビニール袋渡されて,これ持って田んぼ走って来いって言われる。いとこたちと走ると田んぼに隠れていたイナゴがバァーっと飛び出して袋に入って,それがいっぱいになると,おばあちゃんがかまどで佃煮にしてくれて食べる。
それから鮎釣り。長良川の上流のほうなので,鮎解禁になるとおじちゃんたちが「おーい,川行くぞ」って言うと私たちは水着着たままジープの後ろに乗って,ほんとに道のない崖を降りて行く。そこでおじちゃんたちが鮎を釣っているあいだ,私たちは川で遊んでいて。しばらくすると釣ったばかりの鮎におじちゃんが串をガァーって刺して焼いてくれて「焼けたぞー」って呼ばれる(笑)
ほんとに野生の子ども時代。私が住んでいたのは市内なんですが,おばあちゃんのところに行くと自然がいっぱいあって・・・。
山の奥のほうにお墓があったので,お墓参りは山をずーっと登って行くんですね。時にはイノシシとかクマの死骸にも遭遇。ハエがワァーってたかっている。クマの死骸とかすごく怖いです。そこでアアァーってちょっと興奮するんです。
「ねえねえ,クマ死んでたよぉー」って(笑)
春には山菜採りに行ったりもしました・・・。そういう体験が今のイベント好きな自分を作った気がする。日常とはちょっと違うインパクトのある出来事にワクワクしたり,興奮することが次の元気に繋がっていくってことを,小さい時からなんか体感していたんだろうなって思います。
トップに戻る

DSC00915

■フラッシュモブ×ダブルダッチ  きっかけは・・・

一昨年(2012年)の夏以降,次世代郊外まちづくりのワークショップに参加させていただくなかで,改めて自分とまちのかかわりについて考えるようになってきたんですね。私は3人の子どもをこのまち,また,このまちの人たちに育ててもらった。そのご恩返しに少しでも繋がるのならばという気持ちでPTAの会長などもお引き受けしてきました。
それまでは,誰かがこのまちをいいまちにしてくれないかなって思っていたんですね。子どもたちを育てるのに,安全で安心なまちに誰かがしてくれないかなーって思っていたんだけれども,自分がPTAや自治会のことをやらせていただくうちに,あ,誰かにお願いすることではなく,自分たちがやらないといけないことなんだなって思い始めるようになった。でも,実際にどう行動に移していいかわからなかった。
そんな中で次世代郊外まちづくりのワークショップに参加してみて,ほんとに具体的に自分が考えていることが,どんどん引き出されていった。あ,私はこういうふうに思っていたんだ,こういうまちになったらいいなって思っていたんだってことが自分の中で再確認する作業をさせていただいた。
というのと同時に,フラッシュモブというのが世の中で流行っていて,TVやYouTubeで見て,フラッシュモブという名前も知らなかったんだけど,面白いなって思っていた時に,ちょうど「たまプラ大学」で松田さん(株式会社ワコールのアートプランナー)のお話を聞いて,あ,たまプラでもできるかも,と思った。
それと,私はダブルダッチ(2本の縄を使って跳ぶ縄跳び競技)にかかわっているのですが,私が調べた限りではダブルダッチでフラッシュモブをやっているものはなかった。ということは,ダブルダッチでフラッシュモブをやれば,多分それは世界初になるし,私が声をかければ,すごくたくさんのダブルダッチ界の人たちが協力してくれると信じていたからダブルダッチでフラッシュモブをやりたいと思った。
たまプラーザで,フラッシュモブをダブルダッチでやる。それをやることによって,たまプラーザのまちもダブルダッチも注目を浴びる。いいことばっかりじゃん,って思ったのが最初です。
この話を初めに相談したのが,カプリオール(ダブルダッチパフォーマーのプロチーム。世界大会2連覇)が所属しているプロダクションの社長で,それが4月の4日か5日。
それから簡単な企画書をつくって,石塚計画デザイン事務所(次世代郊外まちづくり住民創発プロジェクトのコンサル担当)の東京事務所トップの千葉さんに相談に行きました。それが5月の初めです。そしたら,面白いねって話になり,せっかくだから住民創発プロジェクトとしてやったら,いいんじゃないかって。
まだ,横浜市・東急電鉄の「基本構想」(*1)も何も出ていない頃です。でも,この企画だとダブルダッチの宣伝にしかならないから,シビックプライド(*2)的な要素を入れたほうがいいと。  
それから,私はシビックプライドについて,ちょっと調べて,どういう要素が必要なのかとか考えて,その後の5月の個別相談会ではストーリー性が必要だ,シナリオを書いてみたらと・・・いろんなアドバイスをいただきました。

(*1)横浜市・東急電鉄による「次世代郊外まちづくり基本構想2013/東急田園都市線沿線モデル地区におけるまちづくりビジョン」 
(*2)シビックプライド まちに対して持つ誇りや愛着
トップに戻る

DSC00899

■カプリオールは,このまちのヒーロー

それから,ダブルダッチをやるのだったら,もちろんたまプラから育ったチームのカプリオールに出てほしかった。カプリオールが出ないと意味がないと思ったから,まずカプリオールの10月,11月の数日のスケジュールをおさえておきました。ダブルダッチが上手なチームや,スケジュールが空いているチームは他にもいたと思うけど。カプリオールは,このまちのヒーローだし,この街のシンボルだと私は思ったから。
カプリオールは,まだ体育系大学の予備校生だった頃から毎年,たまプラの夏祭りでパフォーマンスをしてみんなに拍手をもらって応援してもらってきたチームです。
私の子どもたちがこのまちに育てられたように,カプリオールも,やっぱりこのまちに育てられて世界のトップパフォーマーになった。カプリオールはこのまちの誇りだから,カプリオールと一緒にフラッシュモブを行うことにこだわったんです。
私が初めてダブルダッチに出会ったのは,14年ほど前,子どもたちを連れてたまプラーザ夏祭りに行った時。ダブルダッチを見て「何あれ???」って思ったその感動が美しが丘ダブルダッチクラブの設立につながっています。
だから,最初に私が考えたストーリーは,そういう私の実体験をフラッシュモブのなかで描きたいなっていうのがあったんですね。フラッシュモブを観た人が,「何これ???」って私のように感動したら,また何か新しいことがこのまちのなかで生まれるんじゃないかって。
フラッシュモブのエンディングシーンは,私と娘に見立てた親子連れがカプリオールに駆け寄って「おにいちゃん,今のは何?」って聞いてカプリが「今のはね・・・」って答えてる。それをバーッとカメラを引いて撮る。そういうのにしたかった。実際は全然違うものになっちゃたけど・・・。
トップに戻る

DSC00901

■テーマを決めることは,とても大事なこと

モブのテーマは「そだちあい」にしたんですが,そのテーマを決めるまでに実はとても時間をかけました。
最初私はテーマってそんなに大事なことなのかなーって思っていて,フラッシュモブを駅前で,こういうパフォーマンスにしたいっていうのはもうイメージとしてあったので,それができれば,テーマなんて別にいいのに,と思っていたんだけど,石塚計画デザイン事務所の方たちと相談するたびに「テーマをまず決めましょう」と言われたんですね。「テーマはとても大事です」って言われて。
それはなぜかっていうと,これからこの企画をプロジェクトとして進めていくなかで,いろんな意見が出てきた時に,そっちに流されてしまうことがあるかもしれない。ほんとに私がやりたいと思っていたことからブレていく可能性がある。その時にテーマさえきちんとしていれば,またそこに立ち戻って,最初の私のイメージどおりのことをちゃんと実行することができる。方向性がブレた時に,また基軸に戻すことができる。
だからテーマがものすごく大事だと。そうしたアドバイスをいただき,今回のフラッシュモブを通して何を得たいのか,何のためにやるのか,実行委員会のなかで何度も話し合って,私はどうしてこういうことをやりたいと思ったかをみんなで共有して,そうして「そだちあい」というテーマが生まれたんです。
みんなで一緒にやることのなかに「そだちあい」がある。
例えば私が誰かに何かを頼まれて,ちょっと大変だなって思っても,それをやってみることによって,前よりちょっと上手く出来るようになっていたりする。反対に私ができないことを誰かに助けてもらったりすると,その人もちょっと上達したりしている。何かを一緒にやることによって,それぞれが育ちあっていくのだなって思ったの。
私が誰かのために何かお手伝いをすると,「ありがとう」って言ってもらえる。そのことがとても嬉しくて,「ありがとう」って言ってくれて「ありがとう」って。「ありがとう」のシェア,そういう感じを大事にしたいなーと思うんです。
「このまちのそだちあいがたまプラーザから日本中に広がっていきますように」
ワークショップのなかで,どんなまちにしたいか,何回も問われる場面がありました。私はそのたびに,たまプラは「おしゃれなまち」とか「便利なまち」っていうイメージがあるけれども,そうではなくて「人が育つまち」とか「やさしい人が住んでいるまち」とか,そういうイメージのまちにしたいなって,ずっと思っていた。
フラッシュモブの当日までにはいろいろな大変なことがあったんだけど,テーマをちゃんと決めたことによって,そのテーマに助けられながら,導かれながら進めていくことができた。
テーマというものが本当に大事なものだということを知ることができたのは,私の財産ですね。そういうことを教えてもらえてほんとによかったなーって。
トップに戻る

DSC00907

■1,349人分のアンケートを回収・・・でも,ちょっとしんどくなった

石塚先生(石塚計画デザイン事務所代表取締役)からは,「まちの人たちがどういうことをしたいって思っているかがすごく大事だよ」「林さんがやりたいやりたいって言ってるだけじゃなくて,みんながどう思っているかということが大切だよ」と言われました。
そこでまちの人たちがたまプラーザでフラッシュモブをやることについてどう思っているかっていうアンケートを実施し,1,349人分を回収することができました。
そして,このアンケートの結果から,ほんとに多くの人がフラッシュモブをやりたいと願っていることがわかりました。
これだけの人数のアンケートをとるのって結構大変だったんだけど,私一人でやったんじゃなくて,私が誰かに頼むと「わかったー。配っておきますよ」って,それをもらった人がまた誰かに配る,というようにどんどん広がっていった。で,その時に「何? フラッシュモブって」って知らない人が多かった。それで,みんなが「フラッシュモブっていうのはね・・・」「シビックプライドっていうのはね・・・」って私に代わって説明してくれる。それを聞いた人がまた誰かに説明する。私はそのことがすごく嬉しかったんです。なんとなく,まちのみんながフラッシュモブという言葉でつながったみたいで。たくさんアンケートが集まったことも嬉しかったけど,このこと自体がシビックプライド的だって感じた。
だから,このアンケートをとっただけでいいや,もう十分っていう気持ちになっちゃった。アンケート集めで結構疲れちゃったし。そしたら,関さん(実行委員)が「ダメだよ。最後までやらないと」って。それにまちのみんなもフラッシュモブをやりたいって思い始めていた。「いつやるの?」「何やるの?」「やるならこういうことやりたい」っていう声が出てきた。もうフラッシュモブは私だけの夢ではなくて,みんなの夢になっちゃったんだなって感じた。私が言い出した以上,最後までやりとげないといけないなーって。
まちのみんなのフラッシュモブをやりたいという気持ちが背中を押してくれることになった。でも本当にできるかできないかもわからない,やりたい場所でできそうにもない,これだけみんながやりたいって言ってることをほんとに私がまとめきれるのかっていう怖さもあった。
そんな時に思ったのは,これって出産みたいなものだなって。妊娠しちゃった以上生むしかない。そして私は子ども3人生んでるから,多分大丈夫だろうって。きっとみんなが協力してくれる,これだけの人たちの思いがあるなら大丈夫,頑張ろうって思ったんです。
トップに戻る

DSC00917

■「モブっていいとも」

いろんなもので「モブ」(踊っている様子とか)を表現する「モブっていいとも」。上はフォカッチャで,下はハンバーグ。みんながいろいろな作品の写真を送ってきてくれた。これと応援メッセージのスライドショー。
みんなが願っているんだよーってことをアピールしたかったし,みんながやりたいと思っている気持ちをキープしよう,という気持ちもありました。
トップに戻る

DSC00938

■「林さんに何かあった時は・・・」

私ひとつだけ,これは私が絶対やらなきゃいけないな,と思ったことがあって・・・それは,謝ること。
私は実行委員のメンバーとかにいろんなことをふります。これやってあれやってって。でも,何かあったら私が責任をとる。私に出来るのは謝ることだけだと。
謝ることって大変だけど,私はそれを子どもたちから教えてもらったのね。子どもたちがいろんなことをしでかしてくる。そのたびに私は親として謝りに行く。子どもが生まれるまでは,人に迷惑をかけないようにって思って生きてきたから,そんなに人に深々と頭を下げたことはなかったです。
ある時なんて,うちの5階の窓から下に物を投げて,他人様の車の屋根を壊してしまったり・・・他にも本当にいろいろあった。これまでに経験したことのないことばかり。菓子折りを持って謝りにいくって大変なことだった。
夫とは「他人に頭を下げる経験をさせてくれるために,この子たちは生まれてきたのかもね」って話しました(笑) 人に迷惑をかけないで生きていこうってずっと思ってきたけど,人に迷惑をかけながらじゃないと生きていくことなんてできないんだなって。迷惑をかけないで生きていけるなんて思っていた私たちってなんて傲慢だったんだろうって。そのことを気づかせてくれたのが,子どもたちだったのね。
当日一番怖かったのは,けが人が出たらどうしようってこと。例えばバック転した時足が観ている一般の人にあたってけがをさせたり,もしかしたら裁判になることだってあるかもしれないし。当日打ち上げの場所に私はいなくて,どこかの病院で付き添っている,ということも想定していました。
もちろん保険は全員にかけました。ただ,私だけは契約者なので保険がかけられなくて,林さんに何かあった時は,何もおりませんって言われて(笑)
トップに戻る

DSC00914

■「雨が降ったらどうしますか?」

本番が近くなったある時,ヤビっち(カプリオールのメンバー)から「林さん,雨が降ったらどうしますか?」って聞かれました。
「僕は雨バージョンでやりたい。傘をさしながらみんなで踊るものを考えているので。それはすぐできるから,僕,当日の朝リハーサルで教えるので,どうですか?」って提案があって。
それは私の考えとは違っていて,私はやっぱりみんながこれまで練習してきたものを最後に一緒にやりたい。今までせっかく練習してきて,それを発表する場がなくて,じゃあその日にすぐできるカサを持ったのをやったとして,みんなが満足できるかな,と思ったんです。
そのことをヤビっちに言ったら,「わかりました。そうしましょう。でも,雨降ったらどうしますか?」って。
「じゃあ,雨降ったらフラッシュモブでもなんでもなくなるけど,学校の体育館で,すごい素敵な動画を撮影することにフォーカスして,やりましょう」と。
そして,11月4日。前日の夜中から雨が降り出して,当日の午前中にやんだ・・・。これぐらいだったら,できるんじゃないか・・・。それが一番いやなパターンだった。
午前中体育館でリハーサルをやっている時に,フラッシュモブ実行場所のステーションコートで待機していた東急電鉄の岡本Jさん(岡本さんがお二人いらっしゃるのでお名前からJさんと呼ばせてもらっていました)と電話でやりとりをしていて,もう1時間ごとに「林さん,今,雨降ってます」「今やみましたけど下が濡れてます,どうしましょう」
駅のステーションコートでやるか体育館でやるかの最終ジャッジは,12時にするって決めていたんですね。でも,12時にはジャッジできない状態だった。12時に現場を確認して私とカプリで決めるってことになっていて,リハーサルが終わって駆けつけました。
そしたら,雨はやんでいる。下もそこそこ乾き始めているけど滑る。「これできるんじゃない?」って言ったら,カプリの人たちは「僕たち怖くてこんな滑るところでできません」って。
「でも,一部のパフォーマンスだったらできます。ダンスも横ステップはできません。縦の動きのみだったら可能です。走るのもナシです」で,「できることだけで,今から1時間で僕がパフォーマンスの内容を変えます」ってヤビッちが言い切ったのね。
それでヤビっちは体育館にもどって,ニコニコしながらみんなにすごくわかりやすくダンスの変更点を説明した。
ところが,あとでヤビッちに聞いたら「どうしよう,どうしようって思ってましたよ~」と。そんな心の動揺を一切みんなに悟られることなく,説明したヤビっちを私はほんとにすばらしいと思う。尊敬します。
トップに戻る

■「やべえぞ,これ。むちゃくちゃいいぞ」

体育館ではそういうひとつの物語ができた。かたや実行場所のステーションコートでは,Jさんや市川さん(東急電鉄)が雨で濡れたタイルをモップで拭いてる。でも,モップがびしょびしょので拭いてるから,私がそんなので拭いたらダメダメって言って,ようやくテラスの担当の方から雑巾や新聞紙が届いて,それでバーッと拭いて。
ステーションコートには,フラッシュモブが行われることを知ってる人たち,ほかのまちのダブルダッチのチームの子どもたちや,美中の校長先生もみえていた。その人たちみんなに「ちょっと拭いて拭いてー」って言って(笑) 拭いてると,知ってる人が通りかかって「林さん何やってるの?」って。「あ,ちょっとね・・・,拭いてー」って頼んで。もうみんなで拭きまくって,地面はパーフェクトな状態になってきたんです。
その段階で実施する時間の変更もしました。1時半と2時半の2回やる予定だったけど,まず2時に1回やるってことにして。
そこにカプリオールが到着して,私が「完璧だよ。できるよ。みんなで拭いたんだよ」って。
カプリは「なんかすごく拭いたことによって,ただ乾くよりもものすごくキュッキュッってなって,最高のコンディションになった。やべえぞ,これ。むちゃくちゃいいぞ」って(笑)
最初から晴れていたら,あんなおまけのような感動の物語は生まれなかった。もちろんパフォーマンスも最高だったし,そこまでのいろんなことも素晴らしかったけど,あの瞬間にみんなの「ステーションコートでパフォーマンスをやりたい」という気持ちがこんなにもひとつになった。あの瞬間こそ一番の感動だなーって,思いました。でも,その場面を誰も撮ってなかった・・・。
まあでも,こんなふうにみんなの言葉で語り継いでいくことも,もうひとつの素敵なことかな,と思っています。
トップに戻る

DSC00932

■本番終了後のアンケート「たまプラーザがうらやましいです」

本番終了後のアンケートには,ほんとに嬉しい感想をいっぱい書いてくださった。ものすごくたくさん書いてくださった。
アンケートに答えるっていうアクションを起こしてくれたこともすごく嬉しかったですね。
ほかのまちの方からの「たまプラーザがうらやましいです」「私のまちでもこんなことがあったらいいのに」「たまプラーザに住みたいと思いました」などという感想や,キャストの方からの「顔見知りが増えて,今まで知らなかった人と仲良くなれた」「今度やる時は何かお手伝いしたいです」「たまプラーザの人みんなが家族に思えました」という感想はとても嬉しかったです。
トップに戻る

DSC00925

■もう一人の自分

自分にふりかかってくることって,全部自分に必要だから与えられているんだろうなって思うんですね。出会う人とか出来事とか。それは楽しいことも嬉しいことも嫌なことも辛いことも全部,私がこの先,生きていくために必要だから私の身に起こっているんだろうな,と思った時に,ああ有難いなっていうふうに思う。
大変なことを乗り越えた時には,それまでとは違う自分がいるはずだから。悔しい思いや悲しい思いを経験することができたことが,また新たな自分を作り出していると思うから,すごく全部が有難いなって思う。
嫌なことや大変なことがあると,ちょっとワクワクするのね。もちろん嫌だなーと思うけれども,「こういうことに対して私は嫌と感じる人なんだ」って,改めて自分を知ることができるし,乗り越えた先に今とは違うどういう自分が待っているんだろうって・・・ちょっとワクワクする。私は今この嫌な場面をどうやって乗り越えていくんだろう? って,もう一人の自分が自分を見ている感じ。
トップに戻る

DSC00934

■大きな恐怖,不安とプレッシャー

出産に例えて言うと,去年の11月4日っていうのが出産日だとしたら,そこに向けて頑張ってきて,フラッシュモブが成功したっていうのは無事に元気な赤ちゃんが誕生したっていうのと同じ。
生まれちゃったら,生みっぱなしではだめで,それを責任をもって素敵に育てていかなくてはいけないってことが,まあ薄々とは感じていたけれども,ほんとに終わった瞬間にそういうプレッシャーがブワァーっと襲いかかってきた。
その時にそういう不安を関さんとか石塚先生にお話ししたら,関さんは「一人で育てていくのは大変だけど,みんなで楽しく育てていけば大丈夫だよ」って言ってくれた。
石塚先生も「一人で考えちゃだめだよ」って。「みんなで考えていくんだよ」って。
自分の子育てと照らし合わせた時にほんとにそうだなって思いました。そう言えば,私もいろんな人にお世話になって子どもを育ててきた。それと一緒だ,と思って。一人でいい子に育てよう,立派に育てようと思っても,それは無理で,こんなにたくさんの150人の赤ちゃんが生まれたんだから,またそれをみんなで育てていこう。そこからが「そだちあい」。また「そだちあい」が始まるんだなって。これからが,ほんとにスタートだなって。
私はフラッシュモブが終わったら,脱力して,しばらく何も手がつかなくて,あー終わったーって,もぬけの殻みたいになっちゃって,もしかしたら,ちょっとしたウツ状態になるかもしれないなーって思っていたんですね。それまですごく大変な時期もあったから。本番当日までの1か月ぐらいはすごく忙しかったし。でも,実際は全然違って,終わって成功して感動もしましたけど,それ以上にものすごく大きな恐怖,不安とプレッシャーがあってウツになってるどころじゃなかったですね。この先はどうしたらいいだろうって・・・。
フラッシュモブが終わるとみんなから「次はいつやるの?」「何やるの?」「こういうことやりたい」っていう声がいっぱい出てきた。その声をやっぱりみんなでシェアしたいな,と思って,3月7日にワークショップをやります。([モブメイキング上映会&わ~く★ワークショップ]たまプラーザテラス・プラーザホール 午後6時~)
トップに戻る

■動画の編集 一番いいシーンで全員が写るように

動画編集は,ヤビッちがなるべく全員が映り込むように頑張ってくれました。ものすごい膨大な撮影データがもともとあるんですね。いろんな方向から9台のカメラで撮影していて,それを全部見て,一番いいシーンで全員が写るように,ものすごく時間のかかる作業だったらしいんだけど。
でも,どうしても数名,編集の段階で写らない子がいる。できあがった動画を見た時に,あ,私出てたのに写ってない,僕写ってないって淋しい思いをする子が絶対いると思うから,(YouTubeのほうには付けなかったですが,)DVDにはキャスト・スタッフ全員のお名前をエンドロールに載せました。
メイキングムービーのほうは,もっと大変で,体育館での練習とか,いろんなシーンを複数の人が撮っているので。そのデータのチェック作業だけで,ものすごい時間かかって。でも,メイキングはもうすっごくよくて,そこにこそ「そだちあい」がある。それはね,出演した人しか感動しないかもしれないけど。
トップに戻る

DSC00904

■この際,聞いておこう Q&A

(家族の食事づくりは手抜きしない?) 子どもが小さい時は安全なものを食べさせたいという思いから,なるべく手作りのもの,基本的には私が選んだ材料で私が作ったもの,を大事にしてきました。
で,今は息子二人,中3と高2は反抗期であまり口をきかない。会話が少なくなる。こちらが話しかけても「うー」とか「あー」しか言わない。むこうから「ねえ,ママ・・・」って言うことはない。
でも,私が作ったごはんを食べる。私が作ったお弁当を,ありがとうとか言いませんけど,黙って持っていって全部食べてお弁当箱を戻す。次の日また持っていくことで,心がつながっている気がして。だからお弁当は,自己満足なんですけど,「こんなもの食えるか」って言わずに持っていって食べて帰ってくるだけで,私はまだこの子たちに必要とされているんだなーって。それが信頼関係。もちろん心のどこかでは感謝してると思いますよ。

(美しいスタイルはどうやって維持していますか?) 太らないようにはしています(笑) やっぱり代謝が悪くなって,痩せにくくなってきました。もともとそんなに太るほうではないですけど。すごく食べ過ぎちゃったな,と思ったら翌日は1食抜くとかはします。あとストレッチとか。
(お酒は?) すごく飲みます(笑) 最近はワイン。
(カロリー的にお酒はどうなんですか?) お酒飲むと太りますね,やっぱり(笑) 

(美容のために何か努力してますか?) 私,髪の毛も自分で切って美容室行かないし,化粧品も全然気にしなくて,クレンジングも一番安いので,洗顔石鹸なんか使ったことなくて,子どもが手を洗うので洗ってるし,化粧水とか乳液,美溶液もつけなくて,ニベヤがあればニベヤだし,ワセリンがあればワセリン,馬油(ばーゆ)があれば馬油。アトリックスとかも。その時その時あるもので。化粧下地もそれで。あとは日焼け止め塗るぐらいで。
(ハンドクリーム顔に塗ってて大丈夫ですか?) 全然,大丈夫。

(毎日,日の出前から起きてて,早起きだけど,睡眠時間は?) 今は5時半に起きてますけど,子どもの時からすごい早起きだったんです。目が覚めちゃうの。親とかに起こされたことがない。「もう少し寝てなさい」って親に言われても,寝てられなくて,その時は集合住宅の社宅だったんだけど,朝早く起きてもやることないから一番上の階から下の階までの階段を勝手にほうきで掃いて水撒いたりしてたの。そしたら近所の人がみんな「いい子だね」「いい子だね」って言ってくれて。奉仕活動は小学生の時から自主的にやってる(笑) その代わり夜は早く寝ていました。今でも,何もなければ夜は9時とかには寝ます。
(毎晩2時か3時まで飲んでいるという噂ですが・・・) いやいや。そんなことは1年に1回か2回ですよ(笑) 全然全然! 違う違う! そんなことしてない(笑) でも,2時に寝ても朝は早く起きます。

林 月子(はやし つきこ)さん/乙女座
「たまプラー座だよ! 全員集合!」まちの人たちでつくるオリジナルパフォーマンス
フラッシュモブ実行委員会代表・美しが丘ダブルダッチクラブ主宰
たまプラーザ在住 2男1女の母 

(写真/立山徹 構成/辺見真智子)
トップに戻る              

武蔵野プレイス
市民がつどい,
ゆるやかにつながる4つの機能


20140203_224504
1月24日(金),「武蔵野プレイス」を有志で見学しました。
武蔵野市立「ひと・まち・情報 創造館 武蔵野プレイス」は,中央線・武蔵境駅から歩いてすぐ。図書館機能に生涯学習支援+市民活動支援+青少年活動支援の機能をプラスした複合機能施設です。(地上4階地下3階)
しかも単なる複合施設ではない,4つの機能が互いに融合し合うような施設,本や活動を通して「人々の交流が自然に生み出される場」,「アクションの連鎖が起こる施設」をめざしています。
まず,惹きつけられるのが内部のデザイン。壁と天井が曲面でつながる,包み込まれるような空間。そして柔らかな照明。
さらに各階もゆるやかにらせん階段でつながります。
開かれたオープンな場と予約が必要な閉じられた場があり,閉じられた場も外から中の気配が感じられる造りになっていて,それぞれのフロアで個人や団体の活動が共有できるような雰囲気があります。
また,隣接の「境南ふれあい広場公園」(約2,000㎡)は,武蔵野プレイスとともに整備されたもの。広々とした芝生広場があり,館内と一体化した野外イベントもできます。
構想から10年を経て平成23年にオープン。総工費45億円超。
年間運営費は4億9千万円。
来館者数約150万人(24年度),1日平均約5000人。
開館時間は9:30~22:00。
http://www.musashino.or.jp/place.html

素晴らしい!

(写真/大野承・立山徹)

武蔵野プレイス正面写真
武蔵境駅から徒歩1分。武蔵プレイスの正面です。
これから見学。みんなわくわく。

武蔵野P13
入るとまずカフェ。17:00からはアルコールもOK。(~22:00)
カフェの脇には雑誌の書架があり,カフェの中でも自由に閲覧できます。
雑誌は,約640誌(24年度)と充実。

武蔵野P2
カフェの厨房と背中合わせの新着・返却本の棚。
1Fには,他に貸ギャラリーや対面朗読室(視覚障害者へのサービス)も。

武蔵野P11
2F こどもライブラリー
子どもたちが靴を脱いで自由に読書したり,お話を聞いたりできる
「おはなしのへや」もあります。

武蔵野P3
3Fは,市民活動団体のサービスステーション。
ここはオープンな相談・打合せコーナー。

武蔵野P5
3F 有料の会議室。外からでも中の様子がわかり,開放的な印象。

DSC01010
3F 登録市民活動団体のためのロッカーと郵便ポスト。
登録市民活動団体の活動がわかる団体別紹介ファイルの棚や
コピー機,印刷機,裁断機,紙折り機を備えた「プリント工房」もあります。

DSC01042
3F スタディコーナー。要予約。皆さんお勉強中。

DSC01015
4F ワーキングデスク。40席の書斎的スペース(有料)。皆さんお仕事中。
他に200人収容の集会スペース(有料)あり。

公園
4Fから見た隣接の境南ふれあい広場公園。
駅前商業地域にある公園は武蔵野市ではここだけ。

4階から地階へ。

メインライブラリ
B1F メインライブラリー。壁と天井がつながったシェル状の空間。

B2スタジオラウンジ
B2F ティーンズスタジオ。
青少年のためのフリースペース。予約不要。ただし20歳以上は利用できません。
フリースペースでも,皆さん見学者を無視してしっかりお勉強中。

武蔵野P15
B2F ダンス,演劇,コーラス用のスタジオ。
他に楽器演奏用スタジオ,調理・美術・工芸用のものづくり用スタジオもあります。
スタジオは有料。青少年の使用料は2時間半で200円!
時間帯によっては大人も使用可。大人は2000円。

ティーンズライブラリ
B2F 芸術系および青少年向け図書のコーナー。ここにはおじさんも入れます。
トップに戻る

美しが丘中学校で
プレゼンの出張授業。

20140203_224634
1月30日(木),美しが丘中学校3年生の社会科授業で,伝える力を学ぶ「プレゼンテーション」の出張授業が行われました。講師は次世代郊外まちづくりで住民創発プロジェクト各グループの相談役をつとめる石塚計画デザイン事務所東京事務所長の千葉晋也さんです。3年生は今年度,社会科公民的分野で次世代郊外まちづくりを学習中。いよいよ3月7日の発表会(11時~たまプラーザテラス2F・プラーザホール)に向けて,想いを伝えるプレゼンの話し方と模造紙の書き方を勉強しました。
20140130_161523
相手(聞き手)に想いを伝えるには,気にしてもらう(印象づける),好きになってもらう,つまり「両思いの関係づくり」が大事。ということは,プレゼンはラブレターを書くのと同じことなんです,と千葉さん。
美中プレゼン授業テキスト
まず,3人1組になって1分間で想いを伝えます。でも,1分間で全部を話すのは無理。ここで大事なのは,まず,相手が「なんだろう?」と思う「ツカミ」。そして聞き手に「気になる」「もっと聞いてみたい」気持ちが残るような話をすること。服装や身振りも印象づくりに役立ちます。ちなみに千葉先生は,白いフレームのメガネで美中生の印象に残る先生を演出されています。
20140203_224422
「伝わる模造紙のデザイン」の勉強では,実際にマーカーで中抜き文字や立体文字を書いてみました。
短い時間にプレゼンのポイントをぎゅっと凝縮した内容でしたが,とてもわかりやすく,3年生も次回からはいよいよ発表会の準備に入るとあって,熱心に聞き入り,難しい1分間プレゼンも,皆,案外楽しそうにこなしていました。3月7日,中学生たちがどんなまちづくりのアイデアを「プレゼン」してくれるか,話しぶりや模造紙がとても楽しみになってきました。

第2回講評会開催。
新たに10プロジェクトが
住民創発プロジェクト認定へ。

講評会写真
「住民創発プロジェクト-シビックプライド・プロジェクト-」第2回講評会が,1月18日,たまプラーザテラス・プラーザホールで開催されました。
前回の講評会で,学びの活動支援をうけることが決定した団体のうち,合併も含めて15団体17プロジェクトが応募し,熱のこもったプレゼンテーションと,その後の長時間にわたる審査の結果,新たに9団体による10プロジェクトが「次世代郊外まちづくり住民創発プロジェクト」として認定されました。(写真/大野承)
写真B
プレゼンの時間は7分間。そのあと講評委員より厳しい質問が。

新しい認定団体は下記のとおり。(プレゼン順)
( )内は企画テーマと支援金額です。

■AOBA+ART2014実行委員会
(AOBA+ART2014展(仮) 0円)
■あおばフレンズ
(ポスティングで健康増進とおこづかい稼ぎ,そして緩やかな見守りを 20万円)
■美しが丘Diamonds
(学校を拠点とする地域住民交流の促進 10万円)
■オールたまプラーザの健康・コミュニティづくり
(オールたまプラーザの健康・コミュニティづくり 25万円)
■「たまプ楽食」プロジェクト
(現代・たまプラ版 「御用聞き」の実施 5万円)
■たまプラフレンズ
(住民主導型ネットワーク「たまプラnetwork」 20万円)
■特定非営利活動法人森ノオト
(シビックメディア『たまプラびと図鑑』 0円)
■Loco-working協議会たまプラプロジェクトチーム
(たまプラで暮らし,働く-ロコワーキング- 15万円)
■特定非営利活動法人森ノオト
(たまプラーザ 電力プロジェクト 30万円)
■たまプラ油田開発プロジェクト
(シビックプライドを育むコンパクトな資源循環型コミュニティを試みる 20万円)

次世代郊外まちづくり
平成25年 年末交流会開催!

IMG_0061x600
平成25年12月21日(土),次世代郊外まちづくりの年末交流会が美しが丘中部自治会館で開催されました。(たまプラnetwork主催)
この日は,第2回講評会にむけて実施計画書を提出する締切の翌日。住民創発プロジェクトや提出を終えてほっとする学びの活動から15グループ24名,また,東急電鉄,石塚計画デザイン事務所,地域計画連合からも出席があり,計31名が集まりました。
大野承さんの司会で,今年(平成25年)の一大ニュースや来年の夢,持ち寄りの一品の説明など出席者一人一人がスピーチし,最後は,蒲田健さん,高橋陽子さんのハイテンションな進行のジャンケンゲームで,交流会は大いに盛り上がりました。
(撮影/大野承 ・立山徹 スライドショー編集/立山徹)

グループ名、会社名は略称にさせていただきました。

世田谷トラストまちづくり
「地域共生のいえ」見学レポート

20140107_104841
■地域共生のいえ
まちのお茶の間 「岡さんのいえ」と
ちいきの共働スペース「COS下北沢」を見学しました。

たまプラnetworkでは,昨年12月11日,「世田谷トラストまちづくり(注1)地域共生のいえ」の見学会を行い,たまプラnetworkと交流の森から4人が参加しました。遅くなりましたが,その見学レポートです。
「地域共生のいえ」は,オーナーの意思によって,地域の絆を育むまちづくり活動の場として提供された私有の建物--例えば,子供たちの居場所や子育て支援の場,高齢者や障がい者の暮らしを支える場,地域交流の場などとして提供された家や建物--のことです。財団法人「世田谷トラストまちづくり」が,立ち上げや運営の支援をします。
現在は世田谷区内に13ヵ所あり,それぞれ「お年寄りの心の拠り所」や「インターネット古書店」,「木漏れ日のギャラリー」,「囲碁を通じた集いの場」などのキャッチフレーズを付け,さまざまなスタイルで開かれています。
今回はその中から、地域の人たちが多世代で繋がる拠点をめざす「まちのお茶の間/岡さんのいえTOMO」(上北沢3丁目)と地域貢献型建物として建てられた「ちいきの『元気』を育てる発信基地・ちいきの共働スペース/COS下北沢」(北沢2丁目)を見学しました。

岡さんのいえ
■「岡さんのいえ」は昭和の住まい
京王線上北沢駅の南口を出て徒歩5分。「岡さんのいえ」は昭和24年頃に建てられた築60年を超える家で,上北沢の住宅地の一角にありました。この家に住んでいた岡さんは,明治40年生まれ。仙台出身の敬虔なクリスチャンの女性で,長く女学校で英語を教え,戦後は外務省で働く一方,同居するもう一人の女性(諌山さん)が子供たちに英語とピアノを教え,岡さん自身も休日には,子供たちに英語を教えたり聖書を読んであげたりしていました。岡さんは退職後も昭和50年頃まで,諌山さんとともに教室を続け,地域の子供たちを温かく見守っていました。岡さんが平成18年に亡くなったあと,「地元の皆さんが使える場所に」との岡さんの願いもあり,翌19年(2007年),地域共生のいえ「岡さんのいえTOMO」が誕生しました。
家には古いオルガンとピアノがあり,たたみに座り、ちゃぶ台を囲んでお茶やおしゃべりを楽しむ「昭和の住まい」のかたちがそのまま残されています。また,小さな庭には,モクレンやヤマブキ,ムクゲなど,四季折々に花を咲かせる木が植えられています。

岡のいえ2
■「開いてるデーカフェ」
「岡さんのいえ」では,毎週1回水曜日に「開いてるデーカフェ」が開店します。私たちも早速カステラや今日のマフィン(ツナ&ポテト)とコーヒーやカフェオレを注文(300円)。
写真左手前は,「岡さんのいえTOMO」編「まち・探検!マップ付き 上北沢いま・むかし」の小冊子です。いま=平成23年と,むかし=昭和20年代・30年代のあそび場とお買い物の様子を地元の人に取材してまとめています。また,昭和50年代,60年代のあそび場やビー玉やメンコの昔遊びの思い出が,まちの人たちやスタッフによって語られています。
この冊子は「まちのお茶の間」をめざす「岡さんのいえTOMO」のスタッフが,上北沢のまちのことをもっと知ろうと「岡さんちからまちに飛び出し」,町会長さんや商店街の人たちなど「色々な人に出会い,まちの色々なことを教えて」もらって,つくったものです。

■「岡さんの家だから・・・を大事にしたいんです」(見守り隊員・額谷さん)
この日,私たちを迎えてくれた見守り隊員(運営スタッフ)の額谷(ぬかたに)さん。いろいろお話を聞きました。現在,見守り隊員は15名程度とのこと。
「岡さんのいえTOMO」は,毎週水曜に開かれます。その時「開いてるデーカフェ」や「駄菓子屋」が開店。近所の子供たちや子連れのママたちが集まります。子供たちは家の中でゲームをしたり,庭で遊んだり。
このほかに,定期,不定期にいろいろなイベントがあります。「岡さんの特別レシピ再現カフェ」(毎月1回)では,岡さんが遺した手書きのレシピ・ノートをもとに,アップルパイやブラウニー,焼きかぼちゃのプリンパイ,チーズビスケットなどを再現。再現するのは「岡さんのいえ」の利用者で「夜カフェ」を開いているパティシエです。
外務省に勤務し,クリスチャンとして教会にもつながりの深かった岡さんは,当時としては珍しい西洋菓子や料理のレシピをたくさんノートに書き留めていたようです。
また,月1回金曜の夜には「食飲会」があります。大人たちがお酒や食べ物を持ち寄って集う地域の飲み会です。
インターンシップの大学生たちが子供たち向けのワークショップを企画したり,見守り隊員が上北沢小学校に出張授業に行き,小学校との交流も始まりました。
そのほか,雛まつりや七夕まつり,クリスマス会,古いオルガンで岡さんが遺した楽譜から選曲して演奏する「お茶の間コンサート」や中学生がお裁縫をする「チクチクカフェ」,世田谷美術館の子どもワークショップ「岡さんのいえで映画をつくろう!」など,さまざまなイベントがこれまで行われてきました。
レンタルスペースとして部屋貸しもしていて,12月はベビーマッサージやキッズ英語, ハワイ語講座などが利用していました。

20140107_111304
■表紙のイラストが素敵な「岡さんのいえTOMOしんぶん」
年2回発行。

20131230_130816
■この日,来ていた明治大学の学生さんたち
2年生でボランティア講座をとっている,けいきくん,かなちゃん,じゅんちゃんの3人組。子供たちのオセロの相手をしていました。

■「岡さんのいえ」は「おばあちゃんの家」
「岡さんのいえTOMO」の見守り隊員(運営スタッフ)には,子供の頃,岡先生に英語を習い,今は地元自治会の防災部長をやっています,という男性や大手ディスプレイデザイン会社に勤めていました,というイラストの名手,大学院で都市計画・まちづくりを研究中の女性など,多士済々。学生から70代まで世代もいろいろです。
この日お話をうかがった額谷さんは30代で,もともとはレンタルスペースの借り手で1日カフェをしに来たのが,岡さんの親族で,現在のオーナーの小池さんに声をかけられ,岡さんの家や小池さんの人柄に惹きつけられて,とうとう運営スタッフになってしまったのだそう。
「岡さんのいえTOMO」は,古い家のつくりに「おばあちゃんの家」に遊びに行ったような不思議な安心感があり,地域の大人や子供が気軽に集える場になっていることも,なるほどと頷けました。
運営スタッフの皆さんは,岡さんがここで暮らしていたことや岡さんの子供たちへの思い,子供たちがピアノや英語,聖書などを通していつもここに集まっていたこと,そして岡さんが生きていた昭和の時代を大切にして,地域の人たちが多世代で繋がる拠点をめざしています。

■悩みはボランティア不足
「この1,2年は,レンタルスペースの利用料金で,ようやく岡さんの家の固定資産税が払えるようになりました。また,イベント開催などは,行政の助成金を利用してできる場合があり,それでなんとかやれますが,見守り隊員の人件費はどこからも出ません。隊員のなかには埼玉から来ている人もいるので,せめて交通費だけでも出せたら,と思うのですが」と額田にさんは言います。「今は週に1日だけのオープンですが,本当なら土日のどちらかは開けたいし,部屋貸しももっと稼働率を上げたいのですが,それには鍵を管理するためにもボランティアが出てこないといけない。となると,活動できるボランティアが現状では足りません」
やはり無償の活動には限界があります。でも,皆さん「岡さんのいえTOMO」を大切に思い,見守り隊員のそれぞれがいろいろな思いを持って,上北沢のまちや人,子供たちと絆を深めながら,次々と新しい魅力的な企画をたてて活動を続けています。

20131223_154519
■「ちいきの『元気』を育てる発信基地,ちいきの共働スペース/COS下北沢」
上北沢の駅にもどり,また京王線に乗って明大前で井の頭線に乗り換え,下北沢へ。西口から出て迷いつつ徒歩10分。商店街を通り抜け,住宅街をウロウロ。

20131230_133819
■途中にあったこの標識に助けられて,ようやくたどり着きました。

DSC00762
■これがCOS下北沢の正面入口。
COS(co-operative space)下北沢は,平成16年(2004年)に,約2年の話し合いを経て,オープン,今年10年目を迎えます。
この建物は,もともと築30年の木造2階建てのアパートでしたが,老朽化による建て替えの際,オーナーは「社会や地域に役立つ建物にしたい」と考え,建物を長期的に運営する団体をさがすことになりました。そして,平成13年(2001年)12月,この話が,土地建物の活用や家づくりをサポートするNPO法人SAHS(サース)(注2)に来たところから,COS下北沢は始まります。
オーナーは学生時代を下北沢で過ごし,現在は名古屋で高齢者福祉施設を経営されています。

20131223_154547
■6団体が入居してCOS下北沢を運営
SAHS(サース)の呼びかけで7団体が名乗りを上げ,翌平成14年(2002年)7月には「COS下北沢をつくる会」が立ち上がりました。結局,一時預かり保育の団体,レンタルギャラリー,まちづくり活動支援団体,手作り惣菜宅配の団体,カフェと建築事務所の6団体の入居が決まり(現在カフェは閉店),「つくる会」立ち上げからほぼ1年半後の平成15年(2003年)12月には,COS下北沢の運営を担うNPO法人コスファCOSFA(co-operative space for all )が設立されました。
一棟一括借り上げを希望するオーナーとの契約のためにも,法人格が必要でした。コスファは入居の6団体からそれぞれ1名以上の理事を選出して組織されています。また,事務局は入居団体のひとつ,まちづくり活動支援団体(まちづくり広場ザワーズ)が請け負うかたちです。

■資金集めは?
COS下北沢の建設費用は約5000万円。当初,オーナーはこの土地を定期借地とし,事業者が建設することを望んでいましたが,資金を入居団体や地域で集めることは厳しいと判断し,結局自身で資金を調達。その代わりコスファも2割相当の1000万円の基金(保証金)を集めて提供し,20年後の契約終了時に返還されることになりました。
1000万円といえども大変ですが,コスファは,これをほぼ1年間で集めます。出資件数は80件。1件あたり100万円から2000円まで。
「夢に投資しませんか(20年後に利子はつきませんが,お返しします。)」というような呼びかけでしたが,振り返ってみれば,呼びかけた人たちの日頃の活動への信頼感が大きかったことが力になった,とのこと。
そして,平成16年(2004年)9月,ついにオープンの日を迎えました。

DSC00764
■大変だけど,いろんな人との出会いが楽しい。(事務局の相馬さん)
この日,お話を聞いた事務局の相馬さんは,「地鎮祭ぐらいから」COS下北沢にかかわり,事務局の仕事をされています。
相馬さんは,入居団体のひとつ,まちづくり活動支援団体「まちづくり広場ザワーズ」のメンバーで,事務局は「ザワーズ」がコスファ(=COS下北沢)から請け負い,同時に地域の人たちとCOS下北沢をつなぐ役割も果たしています。
入居の個々の団体はそれぞれに活動していますが,COS下北沢の運営自体は,おもに1Fホールの利用料金などでまかなわれています。
平成23年,24年とホールのカフェや床などの整備が行われたのに続いて,昨年は2つの支援制度の助成金(世田谷トラストまちづくり,セブンイレブン記念財団)を使って,建物正面の植栽脇に「地域のベンチ」をつくり,近隣と連携して緑を増やす活動を開始しました。現在閉店している1Fのカフェについても、あり方を含め,再開を検討中のようです。
次の10年にむけて,地域の発信基地,「ちいきの共働スペース」としてのCOS下北沢の活動がさらに期待されています。

DSC00768
■1Fホールで,事務局の相馬さんのお話を聞きました。
20131230_130857
■1Fホールのレンタルスペース
イベントや教室,講演会などに利用されています。
これまでの利用団体は,老化防止体操,麻雀,裁縫,マップづくり,ニットカフェ,ボタニカルアートなどさまざま。

DSC00774
■1F レンタルギャラリー

DSC00779
■1F 一時預かり保育ルーム

DSC00772
■2F 手作り惣菜宅配 (週2回) のキッチン

DSC00775
■最後に相馬さんと記念撮影
左から藤本さん,相馬さん,辺見,千葉さん

岡さんのいえTOMO http://www.okasannoie.com/

COS下北沢 http://cosfa.main.jp/

(注1) 一般財団法人 世田谷トラストまちづくり http://www.setagayatm.or.jp/

(注2) NPO法人SAHS(サース)
=「特定非営利活動法人せたがやオルタナティブハウジングサポート」
 http://www.npo-sahs.com/

(写真 立山徹・辺見真智子)
 トップに戻る   

まちづくりWho’s who vol.3
秋元康幸さん(横浜市建築局)
いろんな人が絡んでくることが,
街の面白さの重要な要素です。

DSC00697
秋元康幸さんロングインタビュー もくじ
■「みなとみらい21」から「都市デザイン」,「創造都市」そして「たまプラ」へ
■アーティストたちが面白いことを発想して,街の人たちを巻き込んでいく。
■AOBA+ARTのこと,フラッシュモブのこと
■事業化するには,もうワンステップ成長しないと,アイデア倒れになる。
■中間支援組織としての「3丁目カフェ」
■湘南育ちです。

■「みなとみらい21」から「都市デザイン」,「創造都市」そして「たまプラ」へ

私は昭和58年頃から「みなとみらい21」の仕事をしているんですが,その頃は造船所の建物の撤去が進み、まだ埋め立てが全然できていなくて,なんにもなかった時代です。着工式とかやっていた時代ですので。20代のころです。その後,都市デザイン室で景観行政をやったり,創造都市推進部でアーティスト,クリエーターたちとおつきあいしたり,これまでの半分ぐらいは横浜都心部のまちづくりの仕事をしてきました。
残りの半分弱ぐらいは郊外部の市民参加的な仕事です。都市計画局の市民参加推進プロジェクト,これは高秀市長の時なんですが,市民参加をどうやるべきか,直接いろんな市民の方と議論をして仕事をやってきたという経験もあります。
そういった意味では,今回のたまプラーザのケースは,私としては,違和感なくやっています。
都市デザイン室の仕事は,どちらかというとハードな,建物の形や景観を重視して美しい街を作ろう,というようなことが中心ですね。赤レンガ倉庫などの歴史的建造物を大事に残していこうという仕事や,伊勢佐木町や元町の商店街を整備していこうとか,人が歩きやすい街にしようとか,そういったことを都市デザイン室が中心になってやってきました。あと水辺の空間や緑を大切にしていくとかですね。
その次にやった創造都市推進部の仕事は,都市デザインのハードなまちづくりに対して,もう少しソフト的なことをやりましょう,というような仕事です。人と人とがどうやってコミュニケーションを作っていくか・・・アーティスト,クリエーターたちと街の人たちと交流してもらう。そうすると,いろんな議論が発生してくるんですよね。
新しい面白いことを彼らが考えてくれますので,街の人たちと一緒になって,そういった面白いことを実現していこう,そういうことを通して,活性化した街を作っていこう,というのが創造都市の仕事なんです。
横浜ならではの歴史的建造物や古い建物を使ってアートスペースやクリエイティブな拠点をつくるとか,その延長線上で,アーティスト,クリエーターたちに横浜に住んでもらうとかね,そういった仕事をしていました。
また,創造都市として,もうひとつの大きな仕事は,「横浜トリエンナーレ」です。トリエンナーレは3年に一度という意味なんですが,前回,2011年の第4回展の事務局長は私がやりました。こういった現代アートで街を作っていこうというような仕事は,この創造都市の時にかなりやっていました。
トップに戻る
DSC00736

■アーティストたちが面白いことを発想して,街の人たちを巻き込んでいく。

(次世代郊外まちづくりの)AOBA+ARTさんも,そういう意味で,現代アートで少し街を変えていけないか,ということで頑張ってやられていますよね。ああいうことをうまく都心部で展開できないか,というのが創造都市の事業で,文化・芸術で都心部を活性化させようという,AOBA+ARTのもうちょっと大規模なものを都心部でやっていこう,という事業だったんです。
現代アートの中で,街の人たちと一緒に作っていくアート―コミュニティアートと言われる分野があるんですが,こういう分野のアーティストの人たちは,街との相性がいいですよね。
横浜市では,そういったアーティストの方たちを呼び寄せて「アートを通したまちづくり」をしようということで,ヨコハマ創造都市センター(YCC)を中心に活動を行っています。今年,私たちの後輩たちが,「創造都市横浜アーティスト・クリエーターリスト2013」というのを作りました。
10年ぐらいこういった創造都市の事業をやって,これだけの数のアーティスト,クリエーターたちが横浜都心部で働いてくれているということなんです。いろんな面白い人たちが横浜の都心部で住み始めている,働き始めているってことですね。
やはりそういう人たちがいると街が変わってくるんですよね。AOBA+ARTも彼らがいろんな面白いことを発想して街の人たちを巻き込んで,それでやっていこうという動きを作っています。
そういった動きが一番街を活性化させていくんじゃないかなと思います。
トップに戻る
DSC00720

■AOBA+ARTのこと,フラッシュモブのこと

(AOBA+ARTのことは)・・・期待していますね(笑) とくに青葉食堂はすごく面白い仕掛けだと思います。ああいう新しい発想が出てくると,街は面白くなりますよね。
(注:「青葉食堂」 黒板型作品に今晩のメニューを記載して門扉などに掲示してもらう参加型コミュニティアートプロジェクト。11月に協力住宅を回って黒板の献立をおすそわけしていただく「青葉食堂~わたしのお庭で会いましょうツアー」を開催した。)
結局,街というのは,住んでいる人だけが何かやろうとして一生懸命考えても,なかなか発想が展開しないんですね。
AOBA+ARTもそうですが,外から来ている人,アーティスト,クリエーターの人たちは,外から見ていますので,そこでたまプラでこういうことをやったら面白いかな,みたいなアイデアが出てきて,それと食事を作るお母さん方が組み合わさった時に,面白い仕掛けができるんですよね。
そこの仕掛けづくりみたいなものの「場」を行政やまちづくりをやっている人がどうやって作れるか,ということが郊外のまちづくりの中でもで非常に大事なことかな,という感じがします。
住んでいる人だけだとどうしてもね,なかなかこういった交流のきっかけができないんですけど,ちょっとアーティストが入ってくることによって,それができるんですね。
「フラッシュモブ」もそうじゃないですか。松田さんというアートプランナーの方が,たまプラ大学でフラッシュモブを紹介されて,カプリオール(ダブルダッチのプロチーム)やクリエーターの人たちが地元の人たちのアイデアをいかしながら力を貸して,それで地元のいろんなことも組み合わせながら,面白くやっていきましょうよ,ということを呼びかけたわけでしょ。すると,そこにいろんな議論が出て,そして面白い仕掛けが出てくるってことなんですよね。
いろんな人が絡んでくることが,街の面白さの重要な要素だと僕は思うんです。
今回は東急電鉄さんが入ってくるし,外部のいろんなアイデアを持った人たちが入ってくる。そして当然,地元の人たち。地元の人たちも住んでいる人たちとか商店街の人たちとかいろんな方たちがいます。その人たちが議論をすることによって,アイデアが出てきて,それをなんとか実現させようっていう意志が出てくると,街っていうのは,ものすごく面白くなるんです。で,どんどん活性化されて,その中で,多分,街の課題のようなものも,なんとかみんなで克服していこうっていう動きにつながっていくと思うんですね。
フラッシュモブみたいな,ああいういろんな立場の人の交流というのは,街という中では,一番大事な要素だな,と思っています。そういった意味でフラッシュモブは非常に面白い試みでしたね。いろいろ工夫して、今後の展開につなげてほしいですね。
トップに戻る
DSC00711
 

■事業化するには,もうワンステップ成長しないと,アイデア倒れになる。

来年度については,やり方を今考えているんですが・・・新しいものというよりは,今いろいろ出ているプロジェクトをフォローさせてもらったほうがいいかな,と考えています。いろいろな活動がありますので,同じような活動をマッチングしたり,お互いに議論していただくとか。
アイデアだけ出して終わってしまったのでは,しょうがないんで,その中でもいくつか実現していく方向でやっていかなければいけないと思っています。
事業にしていくには,もうワンステップ成長しないとできないんですよね。アイデアは誰でも出せるんですが,それを事業化するには,まず体制をどうするか,とか,お金をその中でどうやって回せるか,とか,いろんな意味でシステムとして回していかないと事業になっていかないので,もうワンステップ上っていただかないと,ダメなんですよね。
そのための知恵をどこかから吸収する。または先行的に活動されている方とか,NPOで事業としてちゃんと回している方の話を聞く。どういう課題があって,じゃあどういうことをやれば動くのか。それを勉強していくってことをしていかないと,アイデア倒れに終わってしまいますよね。
そのことは,いろんな形で支援させていただきたいと思っています。どんな形がいいのか,いろいろ考えているんですが。ただ単に同じようなことを考えているグループだからといってマッチングさせても,じゃあ一緒になりましょうとはならない時も結構あります。グループの相性みたいなものもあるし。
かといって自分たちだけではできないんで,少し横つなぎの緩いネットワーク,このたまプラnetworkもそうなんですけどね,いろんな情報が入ってきて,あそこではこういうことでうまくやってるよ,とかね,ここではちょっと止まってるみたいだな,というような情報のネットワークも必要でしょうね。
トップに戻る

■中間支援組織としての「3丁目カフェ」

専門的には,中間支援組織と言っているんですが,東浦さん(東急電鉄)はまちづくり株式会社とか第4セクターとか言われていますけど,そういったものをなんとかうまく作っていかないとダメですよね。そういう力のあるグループをうまく育てていかないと。そこがいろんな相談にのるとか,情報をつなぐとかするわけですね。
住民創発の事業というのは,急激にポーンと今年アイデアを出して,来年勉強して,再来年事業化して・・・トントントンとうまくいく場合もありますが,そううまくいかないこともあるんですよ。アイデアとして何年か温めていて,そこにたまたま新しいアイデアを持った人が入ってきて,パーっと花開く場合もあります。
それは,いろんな人と人との出会いとか,タイミングとかがあるんで,それをうまくつないでいけるような緩い組織が必要なんじゃないかな,と私は思っています。
こういう情報のネットワークもひとつそういう役割があると思いますし,あと場所的にもね,人が集まって情報交換できるような場が必要かもしれません。それは多分たまプラで独自に作っていかないといけないかなと思います。
自然と人が集まってくれるような場所。カフェなんかも本来そういうような場所としてあるべきなんですね。
「3丁目カフェ」(次世代郊外まちづくり住民創発プロジェクト)のようなコミュニティカフェになると,そこでお茶を出す人を中心にして情報が回るような仕組みができる。その人がいろんな人の情報を聞いて,必要な人にまた流すということができます。そういった拠点ができてくるとかなり面白いことができるかなという感じがしますよね。
たまプラらしい拠点をどうやって作っていくか,これからの皆さんの工夫次第ですが,その工夫はなにか考えないといけないかな,と思っています。
横浜市の創造都市の場合は,「創造界隈拠点」として「BankART」というのがあります。NPOにお願いして作ってもらっている拠点です。そこにカフェがあって,横浜市はあんまりお金出していないんで,NPOの人だけじゃなくて,アーティストがカウンターに入ってお茶を出していますよ。だから,そこに行けば,アーティストとかクリエーター関係の人がお茶を飲みながら,いつでもお話ができる状況になっているんですね。
拠点というのは,たまプラ大学で延藤先生がおっしゃっていましたが,主(あるじ)と場所なんですね。要するに人と場所なんですよね。両方がそろわないとうまくいかないんです。そこにちゃんと中心になる人がいるとうまく情報が流れて,発展していくんです。たまプラの場合,どういう場所でどういう人が中心になったらいいのか,というのは皆さんで議論して作り出していかないといけない。
たまプラには,そういう中心になる人たちがいるので,ものすごく可能性がある地区だと思うんですね。
また,外の人が入ってきたいっていう魅力を持っているんです。それはすごく大事だと思いますよ。
これから,たまプラでしかできない仕組みを作っていくってことですね。
まちづくりは,急に作るよりは,時間をかけながらじっくり作っていったほうが私はいいと思いますよ。役所は異動があるんですが,私は万が一異動しても,たまプラの人たちとずっとおつきあいさせていただきたいと思っていますので(笑)
トップに戻る
DSC00710

■湘南育ちです。

私は,藤沢の湘南近辺で育ちました。うちの父親は戸塚の出身で,母親が藤沢で,横浜市と藤沢市と隣町みたいなものですよね。
(サーフィンとかは)いや全然(笑)湘南のくせに運動があんまり得意じゃないんで(笑)
絵を描くのは好きでしたけど。うちの兄貴が大学に進んで,建築学科っていうのは面白そうだぞって言われて。そんな軽いノリで建築に来てしまったんです。美術が得意だったこともありましたけど。早稲田の建築学科の入試にはデッサンがあるんですよ。わりとそういうのは得意でした。大学に入ったら,私よりもっと絵がうまいやつがいっぱいいるので,そっちはとてもかなわないな,と思いましたけどね(笑)
学生時代は・・・旅行は好きだったので,あっちこっち行きましたけど,それ以外は大学近辺で麻雀とか,遊んでいましたね(笑)
今でも旅行は好きなんで,わりとしょっちゅうあっちこっち出かけています。
最近は日本ばかりですね。海外によく行っていた時期もあるんですが。かみさんが生きていたころは,二人で海外に旅行に行っていました。今は海外は,ちょっと億劫になってきて。国内旅行はしていますけどね。
はい,残念ながら一人暮らしです。料理はもうしないですね。かみさんが最後は病気だったんですが,病気になった時は料理せざるを得なかったので,その時はやりましたけど,一人になるともうしなくなりますね。
今は石川町(横浜市中区)に住んでいます。以前は,かみさんの仕事の都合で東京に住んでいたんですよ。もう東京に住む理由もないので,そしたら職場に近いほうがいいかな,と。
さすがにペットはいないんですが,かみさんが遺した観葉植物の世話が結構大変なんです。いっぱいあってね。1週間に1回ぐらい水をやって。やりすぎてもいけないし,難しいんですよね。なんとか枯らさないようにしてるんです。なんか怒られそうな気がして(笑)
(写真/立山徹 構成/辺見真智子)

秋元康幸(あきもと やすゆき)さん/1958年生まれ みずがめ座
横浜市 建築局 企画部長
横浜市中区在住 独身(!)
 トップに戻る              

情報の共有と発信をめざして・・・Facebook勉強会を開催しました。

11月24日(日) 次世代郊外まちづくりのプロジェクトグループを対象に,たまプラnetwork「Facebook勉強会」を開催しました。
内部での情報共有と外部への情報発信のための実践講座です。
20131124_202023
今回の勉強会のために作成されたテキストです。①基本の確認(プロフィール設定,プライバシー設定やセキュリティなど) ②FBを使いこなす(メッセージ,タグ,フォロー,イベントなど) ③情報共有しよう! 実際にグループをつくる(グループ名,メンバー,プライバシー設定など)というところまで,なんとかできました。④の情報発信しよう! FBページをつくる・・・は残念ながら時間切れで,次の機会に。
丁寧な指導で参加者は大満足。次回開催が待たれる,たまプラnetworkの人気講座になる予感が・・・。
s-DSC00725
イッツコムから提供いただいたタブレットを使用して,真剣に「勉強」。
s-DSC00728
講師の加藤さんがひとりひとり丁寧に教えてくださいました。
s-DSC00731
タブレットを持ってこられたイッツコムの松本さんも,見かねて指導。
20131124_201950
講師は,オープンイノベーションラボ 交流の森プロジェクトチーム,
株式会社ニューロマジックの美女ふたり,中村さんと加藤さん。
右端は企画した藤本さん。