まちづくりWho’s who vol.3
秋元康幸さん(横浜市建築局)
いろんな人が絡んでくることが,
街の面白さの重要な要素です。

DSC00697
秋元康幸さんロングインタビュー もくじ
■「みなとみらい21」から「都市デザイン」,「創造都市」そして「たまプラ」へ
■アーティストたちが面白いことを発想して,街の人たちを巻き込んでいく。
■AOBA+ARTのこと,フラッシュモブのこと
■事業化するには,もうワンステップ成長しないと,アイデア倒れになる。
■中間支援組織としての「3丁目カフェ」
■湘南育ちです。

■「みなとみらい21」から「都市デザイン」,「創造都市」そして「たまプラ」へ

私は昭和58年頃から「みなとみらい21」の仕事をしているんですが,その頃は造船所の建物の撤去が進み、まだ埋め立てが全然できていなくて,なんにもなかった時代です。着工式とかやっていた時代ですので。20代のころです。その後,都市デザイン室で景観行政をやったり,創造都市推進部でアーティスト,クリエーターたちとおつきあいしたり,これまでの半分ぐらいは横浜都心部のまちづくりの仕事をしてきました。
残りの半分弱ぐらいは郊外部の市民参加的な仕事です。都市計画局の市民参加推進プロジェクト,これは高秀市長の時なんですが,市民参加をどうやるべきか,直接いろんな市民の方と議論をして仕事をやってきたという経験もあります。
そういった意味では,今回のたまプラーザのケースは,私としては,違和感なくやっています。
都市デザイン室の仕事は,どちらかというとハードな,建物の形や景観を重視して美しい街を作ろう,というようなことが中心ですね。赤レンガ倉庫などの歴史的建造物を大事に残していこうという仕事や,伊勢佐木町や元町の商店街を整備していこうとか,人が歩きやすい街にしようとか,そういったことを都市デザイン室が中心になってやってきました。あと水辺の空間や緑を大切にしていくとかですね。
その次にやった創造都市推進部の仕事は,都市デザインのハードなまちづくりに対して,もう少しソフト的なことをやりましょう,というような仕事です。人と人とがどうやってコミュニケーションを作っていくか・・・アーティスト,クリエーターたちと街の人たちと交流してもらう。そうすると,いろんな議論が発生してくるんですよね。
新しい面白いことを彼らが考えてくれますので,街の人たちと一緒になって,そういった面白いことを実現していこう,そういうことを通して,活性化した街を作っていこう,というのが創造都市の仕事なんです。
横浜ならではの歴史的建造物や古い建物を使ってアートスペースやクリエイティブな拠点をつくるとか,その延長線上で,アーティスト,クリエーターたちに横浜に住んでもらうとかね,そういった仕事をしていました。
また,創造都市として,もうひとつの大きな仕事は,「横浜トリエンナーレ」です。トリエンナーレは3年に一度という意味なんですが,前回,2011年の第4回展の事務局長は私がやりました。こういった現代アートで街を作っていこうというような仕事は,この創造都市の時にかなりやっていました。
トップに戻る
DSC00736

■アーティストたちが面白いことを発想して,街の人たちを巻き込んでいく。

(次世代郊外まちづくりの)AOBA+ARTさんも,そういう意味で,現代アートで少し街を変えていけないか,ということで頑張ってやられていますよね。ああいうことをうまく都心部で展開できないか,というのが創造都市の事業で,文化・芸術で都心部を活性化させようという,AOBA+ARTのもうちょっと大規模なものを都心部でやっていこう,という事業だったんです。
現代アートの中で,街の人たちと一緒に作っていくアート―コミュニティアートと言われる分野があるんですが,こういう分野のアーティストの人たちは,街との相性がいいですよね。
横浜市では,そういったアーティストの方たちを呼び寄せて「アートを通したまちづくり」をしようということで,ヨコハマ創造都市センター(YCC)を中心に活動を行っています。今年,私たちの後輩たちが,「創造都市横浜アーティスト・クリエーターリスト2013」というのを作りました。
10年ぐらいこういった創造都市の事業をやって,これだけの数のアーティスト,クリエーターたちが横浜都心部で働いてくれているということなんです。いろんな面白い人たちが横浜の都心部で住み始めている,働き始めているってことですね。
やはりそういう人たちがいると街が変わってくるんですよね。AOBA+ARTも彼らがいろんな面白いことを発想して街の人たちを巻き込んで,それでやっていこうという動きを作っています。
そういった動きが一番街を活性化させていくんじゃないかなと思います。
トップに戻る
DSC00720

■AOBA+ARTのこと,フラッシュモブのこと

(AOBA+ARTのことは)・・・期待していますね(笑) とくに青葉食堂はすごく面白い仕掛けだと思います。ああいう新しい発想が出てくると,街は面白くなりますよね。
(注:「青葉食堂」 黒板型作品に今晩のメニューを記載して門扉などに掲示してもらう参加型コミュニティアートプロジェクト。11月に協力住宅を回って黒板の献立をおすそわけしていただく「青葉食堂~わたしのお庭で会いましょうツアー」を開催した。)
結局,街というのは,住んでいる人だけが何かやろうとして一生懸命考えても,なかなか発想が展開しないんですね。
AOBA+ARTもそうですが,外から来ている人,アーティスト,クリエーターの人たちは,外から見ていますので,そこでたまプラでこういうことをやったら面白いかな,みたいなアイデアが出てきて,それと食事を作るお母さん方が組み合わさった時に,面白い仕掛けができるんですよね。
そこの仕掛けづくりみたいなものの「場」を行政やまちづくりをやっている人がどうやって作れるか,ということが郊外のまちづくりの中でもで非常に大事なことかな,という感じがします。
住んでいる人だけだとどうしてもね,なかなかこういった交流のきっかけができないんですけど,ちょっとアーティストが入ってくることによって,それができるんですね。
「フラッシュモブ」もそうじゃないですか。松田さんというアートプランナーの方が,たまプラ大学でフラッシュモブを紹介されて,カプリオール(ダブルダッチのプロチーム)やクリエーターの人たちが地元の人たちのアイデアをいかしながら力を貸して,それで地元のいろんなことも組み合わせながら,面白くやっていきましょうよ,ということを呼びかけたわけでしょ。すると,そこにいろんな議論が出て,そして面白い仕掛けが出てくるってことなんですよね。
いろんな人が絡んでくることが,街の面白さの重要な要素だと僕は思うんです。
今回は東急電鉄さんが入ってくるし,外部のいろんなアイデアを持った人たちが入ってくる。そして当然,地元の人たち。地元の人たちも住んでいる人たちとか商店街の人たちとかいろんな方たちがいます。その人たちが議論をすることによって,アイデアが出てきて,それをなんとか実現させようっていう意志が出てくると,街っていうのは,ものすごく面白くなるんです。で,どんどん活性化されて,その中で,多分,街の課題のようなものも,なんとかみんなで克服していこうっていう動きにつながっていくと思うんですね。
フラッシュモブみたいな,ああいういろんな立場の人の交流というのは,街という中では,一番大事な要素だな,と思っています。そういった意味でフラッシュモブは非常に面白い試みでしたね。いろいろ工夫して、今後の展開につなげてほしいですね。
トップに戻る
DSC00711
 

■事業化するには,もうワンステップ成長しないと,アイデア倒れになる。

来年度については,やり方を今考えているんですが・・・新しいものというよりは,今いろいろ出ているプロジェクトをフォローさせてもらったほうがいいかな,と考えています。いろいろな活動がありますので,同じような活動をマッチングしたり,お互いに議論していただくとか。
アイデアだけ出して終わってしまったのでは,しょうがないんで,その中でもいくつか実現していく方向でやっていかなければいけないと思っています。
事業にしていくには,もうワンステップ成長しないとできないんですよね。アイデアは誰でも出せるんですが,それを事業化するには,まず体制をどうするか,とか,お金をその中でどうやって回せるか,とか,いろんな意味でシステムとして回していかないと事業になっていかないので,もうワンステップ上っていただかないと,ダメなんですよね。
そのための知恵をどこかから吸収する。または先行的に活動されている方とか,NPOで事業としてちゃんと回している方の話を聞く。どういう課題があって,じゃあどういうことをやれば動くのか。それを勉強していくってことをしていかないと,アイデア倒れに終わってしまいますよね。
そのことは,いろんな形で支援させていただきたいと思っています。どんな形がいいのか,いろいろ考えているんですが。ただ単に同じようなことを考えているグループだからといってマッチングさせても,じゃあ一緒になりましょうとはならない時も結構あります。グループの相性みたいなものもあるし。
かといって自分たちだけではできないんで,少し横つなぎの緩いネットワーク,このたまプラnetworkもそうなんですけどね,いろんな情報が入ってきて,あそこではこういうことでうまくやってるよ,とかね,ここではちょっと止まってるみたいだな,というような情報のネットワークも必要でしょうね。
トップに戻る

■中間支援組織としての「3丁目カフェ」

専門的には,中間支援組織と言っているんですが,東浦さん(東急電鉄)はまちづくり株式会社とか第4セクターとか言われていますけど,そういったものをなんとかうまく作っていかないとダメですよね。そういう力のあるグループをうまく育てていかないと。そこがいろんな相談にのるとか,情報をつなぐとかするわけですね。
住民創発の事業というのは,急激にポーンと今年アイデアを出して,来年勉強して,再来年事業化して・・・トントントンとうまくいく場合もありますが,そううまくいかないこともあるんですよ。アイデアとして何年か温めていて,そこにたまたま新しいアイデアを持った人が入ってきて,パーっと花開く場合もあります。
それは,いろんな人と人との出会いとか,タイミングとかがあるんで,それをうまくつないでいけるような緩い組織が必要なんじゃないかな,と私は思っています。
こういう情報のネットワークもひとつそういう役割があると思いますし,あと場所的にもね,人が集まって情報交換できるような場が必要かもしれません。それは多分たまプラで独自に作っていかないといけないかなと思います。
自然と人が集まってくれるような場所。カフェなんかも本来そういうような場所としてあるべきなんですね。
「3丁目カフェ」(次世代郊外まちづくり住民創発プロジェクト)のようなコミュニティカフェになると,そこでお茶を出す人を中心にして情報が回るような仕組みができる。その人がいろんな人の情報を聞いて,必要な人にまた流すということができます。そういった拠点ができてくるとかなり面白いことができるかなという感じがしますよね。
たまプラらしい拠点をどうやって作っていくか,これからの皆さんの工夫次第ですが,その工夫はなにか考えないといけないかな,と思っています。
横浜市の創造都市の場合は,「創造界隈拠点」として「BankART」というのがあります。NPOにお願いして作ってもらっている拠点です。そこにカフェがあって,横浜市はあんまりお金出していないんで,NPOの人だけじゃなくて,アーティストがカウンターに入ってお茶を出していますよ。だから,そこに行けば,アーティストとかクリエーター関係の人がお茶を飲みながら,いつでもお話ができる状況になっているんですね。
拠点というのは,たまプラ大学で延藤先生がおっしゃっていましたが,主(あるじ)と場所なんですね。要するに人と場所なんですよね。両方がそろわないとうまくいかないんです。そこにちゃんと中心になる人がいるとうまく情報が流れて,発展していくんです。たまプラの場合,どういう場所でどういう人が中心になったらいいのか,というのは皆さんで議論して作り出していかないといけない。
たまプラには,そういう中心になる人たちがいるので,ものすごく可能性がある地区だと思うんですね。
また,外の人が入ってきたいっていう魅力を持っているんです。それはすごく大事だと思いますよ。
これから,たまプラでしかできない仕組みを作っていくってことですね。
まちづくりは,急に作るよりは,時間をかけながらじっくり作っていったほうが私はいいと思いますよ。役所は異動があるんですが,私は万が一異動しても,たまプラの人たちとずっとおつきあいさせていただきたいと思っていますので(笑)
トップに戻る
DSC00710

■湘南育ちです。

私は,藤沢の湘南近辺で育ちました。うちの父親は戸塚の出身で,母親が藤沢で,横浜市と藤沢市と隣町みたいなものですよね。
(サーフィンとかは)いや全然(笑)湘南のくせに運動があんまり得意じゃないんで(笑)
絵を描くのは好きでしたけど。うちの兄貴が大学に進んで,建築学科っていうのは面白そうだぞって言われて。そんな軽いノリで建築に来てしまったんです。美術が得意だったこともありましたけど。早稲田の建築学科の入試にはデッサンがあるんですよ。わりとそういうのは得意でした。大学に入ったら,私よりもっと絵がうまいやつがいっぱいいるので,そっちはとてもかなわないな,と思いましたけどね(笑)
学生時代は・・・旅行は好きだったので,あっちこっち行きましたけど,それ以外は大学近辺で麻雀とか,遊んでいましたね(笑)
今でも旅行は好きなんで,わりとしょっちゅうあっちこっち出かけています。
最近は日本ばかりですね。海外によく行っていた時期もあるんですが。かみさんが生きていたころは,二人で海外に旅行に行っていました。今は海外は,ちょっと億劫になってきて。国内旅行はしていますけどね。
はい,残念ながら一人暮らしです。料理はもうしないですね。かみさんが最後は病気だったんですが,病気になった時は料理せざるを得なかったので,その時はやりましたけど,一人になるともうしなくなりますね。
今は石川町(横浜市中区)に住んでいます。以前は,かみさんの仕事の都合で東京に住んでいたんですよ。もう東京に住む理由もないので,そしたら職場に近いほうがいいかな,と。
さすがにペットはいないんですが,かみさんが遺した観葉植物の世話が結構大変なんです。いっぱいあってね。1週間に1回ぐらい水をやって。やりすぎてもいけないし,難しいんですよね。なんとか枯らさないようにしてるんです。なんか怒られそうな気がして(笑)
(写真/立山徹 構成/辺見真智子)

秋元康幸(あきもと やすゆき)さん/1958年生まれ みずがめ座
横浜市 建築局 企画部長
横浜市中区在住 独身(!)
 トップに戻る