まちづくりWho’s who vol.2
東浦亮典さん(東急電鉄)
未開の地を切り拓くのが面白い。

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東浦亮典さんロングインタビュー もくじ
■今回,私がすごく気をつけたところ 
■「言い訳のためのワークショップだとみんな怒り出しますよ」
■開発し終わった街にもう1回かかわるというのは,やったことがなかった。
■横浜市とイコールパートナーは画期的なこと
■建築局がハブ機能を担ってくれて・・・
■「まちづくり株式会社」ができれば,もっとうまくつながる。
■「まちづくり会社」は横浜市・東急・住民出資の第4セクター?
■「たまプラーザ地区でかかる植栽管理コストを住民にください!」
■30代のとき,南町田グランベリーモールを企画しました。
■子どものころのニックネームは「Jack Amano氏」?
■未開の地を切り拓くのが面白い。

■今回,私がすごく気をつけたところ

開発事業をやっていると,最悪の場合は反対運動が立ち上がって,のぼり旗が立ったりとか,・・・そんなことがわりと普通に起きるんですね。それはなぜかと言うと,やっぱり,ある計画を一定期間でまとめあげなくてはいけない,ということで,本当は住民の方々とのコミュニケーションをもっと丁寧に丁寧にやっていったほうがいいのに,若干はしょってしまうケースがあるんですよね。
我々もそういう経験をいっぱいしてきていて,今回私が次世代郊外まちづくりを横浜市さんと一緒にやっていくなかでは,そこはすごく気をつけたところです。
とくに,ひとつのマンションとかビルではなくて,こういう大きなまちづくりになると,どうしても住民の方々は,関心はあっても,あまりにも物事の規模が大きすぎて,一人一人では何もできないんじゃないか,という思いから,行政任せとか,企業任せになりがちなんですね。
でも,我々としては最初から産・官・学・民連携で,このプロジェクトやろうと思っていましたので,とにかく住民の方々になるべく多くかかわっていただいて,我が事として主体的にやっていただくことを志向していきたいなと思っていました。
昨年7月のキックオフフォーラムからワークショップ,そして,たまプラ大学と,とくに去年の秋から今年の春ごろまで,皆さんとってもお忙しかったですよね(笑)
我々としてはそれだけ密に,我々の考えていることや,皆さんにやっていただきたいこと,一緒に議論したいことを,どんどんテーブルの上に投げて,やらせていただいた。
これはまさに住民の方々とのコミュニケーションを密に,という気持ちからなんですね。
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■「言い訳のためのワークショップだとみんな怒り出しますよ」

横浜市さんも同じで,行政サービスをしていくなかで,いろいろなクレームをいただくわけですよね。そういう意味では,最初こんなに濃密に住民に皆さんの前に出て行って,まちづくりのことをお話ししたり,議論したりするってことについては,若干,腰が引けてた部分があったと思うんですよ。
それは,なんか過去のいろいろなことが頭をよぎったりして(笑),あの時のことが今また噴出するんじゃないかとかですね,またお叱りをいただくんじゃないかとか。
私は,たまプラ以外でも沿線のあちらこちらで地域の活動をかなりやっていますので,遠回りなようでも,それをやっていたほうが結果的にはうまくいったり,スピードアップできたりするってことを経験的に知っています。
横浜市さんにも「言い訳のためのワークショップだとみんな怒り出しますよ。出した答えに対してきちっと責任をもって一緒にやっていくってことをブレずに示していけば,住民の皆さんにもきっと理解していただける。そのワークショップのプログラムもきちっと住民の皆さんの意見が反映されていくようなステップをうまくプログラムしていけば,皆さんの満足度も多分高まりますよ」・・・という話をしました。それで,横浜市さんもよしやりましょう,と。
我々が引っ張ってきたっていうとちょっとエラそうな言い方になっちゃうんですが,でも横浜市さんも,きちっとお話しすると,意外と住民の方から応えていただけるんだ,ということがわかってきたら,もうどんどん熱心になっていって・・・。
多分皆さんもお感じだと思いますが,コンサルタント会社に丸投げ,お任せではなくて,横浜市さんも東急も結構みんな出てきましたよね。あれは義務感もあるかもしれませんが,みんな楽しいんですね。こういう仕事がしたかったんだって。そのプロセスを横浜市の職員の人もみんな楽しまれていて,そのことがいい雰囲気の流れになってきたのかな,と思います。
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■開発し終わった街にもう1回かかわるというのは,やったことがなかった。

今回多摩田園都市の60周年ということで,実はこの本(新建築11月別冊「郊外のサステナビリティ 東急電鉄にみる地域開発とその運営」)の帯(「祝東急多摩田園都市60周年記念」)はうちの会社がつけたものなんですね。我々が買い取った分だけ,この60周年の帯をつけたんです。特注なんですけど(笑) 我々の思いはまさにここにあるんですね。
私はとくに開発部門で育ってきましたので,私が入ったころはまだ沿線の区画整理がそれなりにされていた時代で,あの当時の我々のまちづくりというのは,山林を切り開いて,道路を抜いて公園を作って学校用地を作って,商業施設を誘致して・・・というようなものであって,先輩たちからも教わってきて,そういうものだと思っていたんですよね。
ところが,今回次世代郊外まちづくりやって,我々が思い直しているのは,やっぱりまちづくりっていうのは,そういうハードだけじゃない。・・・どうしてかって言うと,我々「まちづくりデベロッパー」だなんて自分たちのことを言ってるわりにはですね,結構そういうソフトとかマネジメントとかっていうところまでは,やれていなかったし,やっぱり営利企業ですので,作っては売り作っては売り,というサイクルがビジネスとして成り立っていて・・・過去,開発し終わった街にもう1回かかわるというのは,やったことがなかったんですね。
私としては,作ってお売りしたら,もうかかわらない,あとは行政と住民の方で好きにしてください,というのはあまりにも無責任だし,そこがどうなっていくかによって我々の業績にも関係してくるわけだから,ひとつの我々の商売上のテリトリーだと考えれば,そこを深く耕し続けるっていうのは重要なことだと思っています。そういう意味で,我々は「農耕型のデベロッパー」です,と言っているんです。
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■横浜市とイコールパートナーは画期的なこと

画期的ですね。というのは,横浜市さんと東急電鉄は,まちづくりをしていくなかでは,許認可権者と事業者という立場で,上下関係にあるんですよ。我々の先輩たちも,そういった過去の経験が体の隅々までしみついているので,我々の大先輩にこの次世代郊外まちづくりを始めましたって報告をしたら,驚いてるわけですよ。「えっ,横浜市と? イコールパートナー,イーブンパートナーみたいな感じでやれてるのか? 俺たちの時代では考えられなかった」って。そうだったと思いますよ。横浜市に限らず「お上意識」というのがどうしてもありますから,変なことやって目をつけられて,通るはずの建築確認が通らなかったらどうしよう,とかね(笑),ここでの仇をあっちで討たれたり,とかがないようにですね,みんな細心の注意を払って行政とおつきあいをしてきたわけですよね(笑)
それが,どちらかというと同じ席に座って喧々諤々やって,時には「おかしいんじゃないですか」ぐらいなことを言いながらやってるわけですよね。そういうことって,昔の,私が入社した頃のことを思うと,ちょっと考えにくいですね。

■建築局がハブ機能を担ってくれて・・・

次世代郊外まちづくりは,横浜市で十幾つの部局がかかわっているんですが,建築局が横浜市全体の窓口をやっていただいているんですよ。お役人的な発想になれば自分の守備範囲だけ守っていれば百点なんですよね。言葉は悪いですが,役人ぽい人だったら,いや,そんなことまで私たちはやりませんよって。
ところが,建築局の方がすごいのは,この活動が自分たちとしても意義があるし,やらなければいけないということで,ご自身たちの業務分掌をはずれても動いていただけているんです。建築局が横浜市のなかのハブ機能を担ってくれて,迅速に必要なところに話をつけてきてくれている,横串を刺す役割をしてくれているんですね。これが非常に有難いですよね。
ほかの部局は確かに温度感は違うと思うんですよね。きっと「なんでオレのところがそんなこと言われなきゃいけないんだ」って庁内では,言われているんだと思うんですが,「いや,そこをなんとか」って,錦の御旗を持って突破しようとされているんだと思うんです。それは感じますね。そこは本当によくやっていただいています。
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■まちづくり株式会社ができれば,もっとうまくつながる。

まちづくりをするのに,「まちづくりマネジメント会社」みたいなものがあったほうが,いろんなことができる。それは,任意団体でも,LLP(有限責任事業組合)でも,NPOでも,一般社団法人みたいなものでもなんでもいいです。必ずしも株式会社にこだわることはないんですが,株式会社は制約があまりない点がいいんですね。ほかの組織だと,収益があげられないとか,契約をしてもらえないとかですね,いろいろ制約が出てくるんです。その代わり,気楽にやるなら,そんなにオブリゲーションがないので任意団体でいいよねってことになりますけど。
企業と組んで何かをする場合でも任意団体では契約ができない。例えば,見守りを兼ねたポスティングのプロジェクトでも,小さいながらも仕事をとりたいんだったら,きちっとした受け皿としての組織が必要になってくるんですよね。
また,「まちづくり会社」が年収800万も1千万も稼ぐっていうイメージではなくて,おこづかい程度には報酬が出て,自分たちが活動していけるだけの収益が出る。そして何か目に見えて地域のことがよくなっているみたいなことが実感できるぐらいのサイズの組織体。そんな組織体ができると,多分,行政,企業,住民,というのがもっとうまくつながるのじゃないかな,という気がしています。

■「まちづくり会社」は横浜市・東急・住民出資の第4セクター?

何かみんなで一緒にしなきゃいけないことっていうのがあると,コミュニティがひとつにまとまりやすいですね。昔,里山で入会地ってありましたよね。そこできのこを取ったり,薪を取ったり・・・。それは,そのコミュニティの守るべき共同資産なんですね。
例えばマンションなら,共用部分は共同で管理しないといけないから,管理組合ができる。でも,一戸建ての住宅地には管理組合って概念がないですよね。共有するものがないからって,一般的には言われているんですよ。でも,私はそうじゃないと思っていて。
みんなが大事にしている地域の共有の物ってあるんじゃないかなって。それを何かこの次世代郊外まちづくりでも見つけられるといいな,と。
例えば,エネルギーなんていうのは,もしかしたら共有物かもしれないですね。電気は今までは東京電力から買うものだったですよね。今国会で議論されていますが,電気事業法の改正をしていて,2016年には自由化になるんですね。
例えば,地域の再生可能エネルギー,太陽光だとか,風力とか,バイオマス,なんでもいいんですが,地元で作ったエネルギーをみんなで集めてみんなで使いあう。前はできなかったですが,今度できるようになる。そうすると,地域のエネルギーはみんなの共有物で,うまく使いましょう,となるとそれを管理する組織がいるじゃないですか。
母体としてエネルギーと情報をみんなで共有するのが,この「まちづくり会社」です。ついでに見守りもしましょう。ついでに宅配もしましょう。
ひとつの大きなマネジメントの会社とか組織があって,そこに宅配部とか見守り部とか,エネルギー供給部とか,がある。
それを住民の皆さんだけで運営できれば,もちろん一番素晴らしいんだけど,お金とかノウハウとか心配でしょうから,そこはスタートの時には,少し横浜市さんからも基金が出て,東急からも出資金が出て,それに住民の皆さんのお金が入るから,第4セクターみたいなものができるといいんじゃないのかな。
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■「たまプラーザ地区でかかる植栽管理コストを住民にください!」

企業は長年経営していると,徐々に澱(おり)がたまるように高コスト体質になってくるんですよね。それで,地域の細かいことを大企業がやると,やっぱりコスト倒れになっちゃうんです。例えば見守りのこととかは,住民の皆さんの小回りのきく組織体でやったほうが,うまくいくことが結構あると思うんですよ。
私が常々思っているのは,たまプラーザは桜並木がすごくきれいで,春はみんなわーっと来ますよね。でも,今桜も古木になってきて,今度切るって話を聞きましたけれども,(あれも残念な話ですが,)桜は成長が速いので,常にそれを回していく。つまり,ここは抜根して新しいのを植える,また来年はここに植えるっていうふうに循環させていけばいいと思うんですね。
でも,横浜市が所管すると,お金がないですから,どうしても,もう桜は切ります,切ったら植えませんっていう杓子定規な話になっちゃうんですよ。それだったら,そこの仕事は,地域の事情が一番わかっていて,目が行き届いて小回りがきいて,そして愛着を持っている住民の方に任したほうがいいんじゃないですか,と。
市の職員が見に来て,じゃあ来年度予算でここやろう,じゃダメなんですよ。ああいうのは,市がやったらこのぐらいかかるというお金を地元に渡して,その範囲で地元の人たちが植え替えをしたり,肥料をやったりするようにすれば,そこに小さな雇用とか,楽しみが出てくる。そういうことを僕は次世代郊外でやったらどうですかって思っているんです。
この間,講評会で桜並木を守ろうっていうご提案をいただきましたよね。あんなのは絶対地元主導でやったほうがいいはずなんです。横浜市に「たまプラーザ地区で植栽管理コストにどのくらいかかっているんですか?」って聞いて,そしたら例えば「100万です」と。「じゃあ,その100万全部頂戴!」と。「もう横浜市に迷惑かけないで,私たちでもっといい状態にしますよ」って。
例えば,「みど*リンク」(東急沿線でコミュニティ活性化につながる緑化活動をしているグループへの支援)というのを私の部署でやっていまして,去年たまプラーザでも1件支援させていただきましたが,あんな制度をうまく使っていただけると,1団体最高100万円分のご支援ができるんですね。例えば,東急から100万円貰って,行政からもいくばくか貰ったら,ボランティアベースで十分活動していけるんじゃないかと思うんですね。
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■30代のとき,南町田グランベリーモールを企画しました。

私は開発畑がずっと長いんですが,仕事として形に残ったもので言えば,一番最初のものが,南町田のグランベリーモールです。あの企画は最初から私もかかわってやったものなんです。
とにかく私は会社の流れとか,上司にこれやれって言われてやるのは,あんまり好きじゃないんで(笑)会社としてのあるべき姿は考えているんですが,前例がなかったり,ハードルが高いと思われていて,誰も手を出さないようなことに興味を持つんですね。
例えば南町田の場合は,3万坪の空き地が,私が入社した時からずーと,駅前に放置されていました。たまにそこで会社の運動会なんかやったことを懐かしく思い出すんですが。
商業地域に指定されていて,なんでも使える用途だったんですが,誰も使わない。過去には開発計画もあったというんですが,あそこではマーケットがないとか,会社では提案すら全然出てこない。「じゃあ,私が使っていいですか?」って。
当時30代だったんですが,お買い物をしていて,日本のショッピングセンターって,なんでこんなに画一的なんだろうって。お買い物をするだけじゃない楽しみとかがあんまりないなーと感じていて。でも,アメリカとか遊びに行くと,なんか楽しいショッピングモールっていっぱいあるなー,と。アメリカンスタイルのショピングモールを,需要がないっていう人もいるけど,やってみたら面白いんじゃないかなー。
で,検討しているうちにアウトレットというのが視点に入ってきて。当時日本ではアウトレットは成立しないと,まことしやかに言われていてですね。なぜなら,アメリカと流通経路が違うからって。そうなんだろうかっていうんで,いろいろ自分たちなりに考えてチャレンジしたのが,あれです。お陰様で,比較的成功したわけなんですが。
そういうふうに,やるべきなんだけども,誰も手を出さない,というようなことにわりと関心をもつタイプですね。

■子どものころのニックネームは「Jack Amano氏」?

子どものころからヘソまがりと言われていました。はい,親からはあまのじゃくと言われていましたね(笑)Jack Amano氏とか言われていました(笑) 
それから,わりと飽きっぽいんです。ひとつのことを何十年もやる,これも立派なことだと思うんですが,私は5年ぐらい集中して,バーッとちょっと新しいことをやって,「ほら,みんなできないって言ってたけど,できるじゃないか」ってところをやって見せたら,また次に興味の対象が動く,みたいな感じのところはあるかもしれないですね。
横浜市との協定期間は5年間ですが,多分うちはかかわった以上は,5年でやめるってことはあり得なくって,延々と続くと思います。で,延々と続く部分は,うちの会社の誰かに引き継いでいくことになると思うんですね。
私は何度もこういう立ち上げ期をずーとやってきています。立ち上げ期というのは,答えはないし,前例もないから,大変なんですね。大変なんですが,その大変さと,出来上がって何か見えてきた喜び,できたじゃないかっていう気持ちを比較すると,そちらのほうが大きいので,頑張れちゃうっていう感じですかね。でも,だいたいこれでいけるっていう形ができちゃうと,もう私は興味がなくなってくるんです(笑)

■未開の地を切り拓くのが面白い。

でも,うちの会社には一度引いたレールの上を正しく走る社員はいっぱいいるんですよ。
新しく北へレールを引いたらいいのか,南に引いたらいいのかは,みんなはわからない。あそこはなんか崖があるじゃないか,とか,山があるじゃないか,とか,オオカミが出るぞ,とか,そういうことをみんな言うわけですよね。でも,オオカミが出てもいいじゃないか,行ってみようっていうのが僕で,「ほら,通ったよ,レール」って言うと,「あー,通った通った」ってみんな行くって感じなんですよ(笑)
南町田の事例がまさにそうで,私はその時まだ若かったですし,そういうことを成功した経験があるわけじゃないんで,会社にやらしてくれって言った時に「こいつにやらせてどうなる?」って思われたでしょうが,でもまだ時代がよかったのか,「やれるならやってみろ」っていうような感じで,ただし,「条件がある。10年でやめろ」と言われたんですよ。期間限定の事業としてスタートしたんですが,10年超えても,まだグランベリーモールはあるので,多分レールが引かれると,それを踏み台にしてさらによくしていけるタイプの人材がうちの会社にはたくさんいるんですね。
それはもう僕よりもそういうことが得意な人はいっぱいいるので,それはそういう人にお任せする。でも,どちらかというと,未開の地を切り拓く人があまりいないんですね,残念ながら。そういうことに面白がってかかわる人間が,たまたま一人ここにいた,ということだと思います(笑)

実家は鷺沼にありますが、今、品川のほうに住んでいます。家族は4人ですが、息子は現在茨城県の農業学校に通っているので寮暮らしです。
ペットはね,カメが1匹います(笑) マンション暮らしなんで犬は飼えないんです。
犬が大好きなんですよ。イヌ派ですね,私は。
(構成/辺見真智子  撮影/立山徹)

東浦亮典(とううら りょうすけ)さん/1961年生まれ  やぎ座
東急電鉄 都市開発事業本部 都市戦略事業部 
企画開発部 統括部長
東京都品川区在住 4人家族+カメ1匹 
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美しが丘中学校で伊藤香織先生が「シビックプライド」講演。

  • 11月2日(土)美しが丘中学校で,「シビックプライド」(まちに対して持つ自負と愛着)について,東京理科大学理工学部建築学科・伊藤香織准教授の講演が行われました。
    この講演会は3年生社会科公民授業として行われたもので,9月から進められている「次世代郊外まちづくり」学習の一環として開催されました。(撮影/立山徹)
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    美中出前授業(9月11日/まちづくり地域レポート既報)に続く第2弾!
    左から,東急電鉄・市川さん,伊藤先生,横浜市建築局・大友さん
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    You are your city.「あなた自身があなたのまちなのです」
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    「まちを変えるアイデアありますか?」
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    3年生ひとりひとりが持つ「次世代郊外まちづくり」のファイル。
    来年3月には,生徒による提案があります。

24団体が出席。
第1回ラウンドテーブル会議を開催

10月20日(日),次世代郊外まちづくり第1回ラウンドテーブル会議が,美しが丘中部自治会館で開催されました。(たまプラnetwork,交流の森共催)
住民創発,学びの活動部門の認定プロジェクト団体から24団体,また,東大大学院准教授の小泉秀樹先生をはじめ横浜市,東急電鉄,石塚計画デザイン事務所からも出席があり,出席者は計44名。
交流の森よりアンケートについての説明があり,その後,テーマ別に5つのテーブルに分かれて交流,情報交換が行われました。最後に各グループから告知などがあり,約2時間後に,和やかに閉会となりました。 (撮影/大野承 ・立山徹)
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雨の中,24団体が美しが丘中部自治会館(3丁目)に集まりました。
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交流の森,藤本さんよりアンケートの説明
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テーマ別に5テーブルに分かれて交流
<A活動インフラ> たまプラnetwork・コロタウン・Loco-working・シビックメディア・交流の森・3丁目カフェ
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<B環境> アグリ王・桜並木・たまプラ油田・エレキラボ・スマートキャンパス
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<Cシニア組織> アクティブライフ・たまプ楽食・ポスティング・地域創賢
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<D子育て・健康> 読み聞かせ・青空ヨガ・Diamonds・美カフェ・スマートライフ
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<Eイベント・街づくり> 景観フォーラム・青葉食堂・フラッシュモブ・ナイトウォーク
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小泉先生登場。「グループ間の協力をすすめてほしい。Facebook勉強会を開いては?」
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(横浜市大野さん「大変熱気のある会議でした」に続いて)東急電鉄・市川さん。「省エネプロジェクトにぜひ参加を」
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東急電鉄・大野さん。社内異動の報告。「事務局は離れるが見守っていきます」
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石塚計画デザイン事務所・野渕さん「思いが近い方どうし,連携が深まっていく気がしました」
「毎週火曜日に相談会を開いています」(浅海さん)
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たまプラnetwork・松本さん「今日のご出席・ご協力に感謝いたします。今後も皆様を結びつけ,プロジェクトを推進する企画を実施していきます」 965
会議終了後もあちこちで,引き続き話し合う姿が。

Who’s who vol.1
大友直樹さん(横浜市建築局)

27もプロジェクトがスタートして
私の心の中では,ほんとに「これから」・・・

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■異動して2ヵ月後からスタート
平成23年の6月から,もう3年ですね。私がこの企画課という部署に来て2ヵ月後に「次世代郊外まちづくり」のための研究会がスタートしました。
皆様方にお会いする前に,まずは我々が何をしなければいけないか,どういう街をめざしていくのか,東急電鉄さんと一緒に1年間有識者を呼んで研究会という形でやっていました。我々が勉強していないと皆様ときちんとお話ができないだろうということもありましたし。

■住民創発プロジェクトが基本構想の「肝」だ
私は前は都筑区に住んでいたんですけど,たまプラーザは,個人的にはよくお買い物に行っていました。とくに東急テラスはよく子どもを連れて,あそこの円形の芝生のところに行っていましたね。
(昨年7月のキックオフフォーラム以来)1年間ずーっと皆さんと一緒にいろいろさせていただきましたけど,私の心の中では,ほんとに「これから」。
一番大事なのは・・・住民創発プロジェクトが一番の「肝」,一番大事なものだと思っています。8つのリーディングプロジェクトの一番最初に,住民創発プロジェクトをもってきたのは,そういう気持ちからなんです。それは東急電鉄さんとも全く同じ気持ちで,地域の方々が主役にならない取り組みは多分意味がなくて,それを東急電鉄さんは民間企業としてサポートし,横浜市は行政としてサポートする。
そういう,いい三角形がうまく成立するためには,住民の方々がきちっと主役になってもらって行動してほしい,と思っています。
基本構想を6月19日に記者発表させていただきましたが,私は,あー終わったなんて思ったことは一度もなくて,あー8月にはプロジェクトが動く・・・と思っていました。現在,27もプロジェクトが動き出しましたから,まだまだ私の中では切れ目がないというか,ほんとに,これからですよね。

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■みんなびっくり。27プロジェクトはどれもすばらしい
でも,とっても楽しみですよね。小泉先生もびっくりされてましたけど,まさかここまでできるとは。しかも内容はすべてが素晴らしかったですよね。すべてが特色があって。あれはみんなでびっくりしていたんです。やっぱりすごいなって思いました。
何かしようと,いつもアンテナを張っていないと,突然やりましょう,と言ったって動けないと思うんです。準備運動をしていないと。皆さん,準備運動がもうできてるわけですね。何かやりたいと思うんだけど,意識はあるけど,それほどきっかけらしいきっかけもなく,それで特に今そんなに目立って困ったことはないんだけど,たまたま横浜市と東急電鉄さんとで10年後20年後を想像するきっかけを作らせていただいて,それで皆さん少し動きだしたのかなってそんな気がするんですよ。

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■この街の成功事例を他の街へ
我々の思いとすると,ここでいろんな方々がかかわりながら行われている,街の魅力をアップする取組みや地域の課題を解決していただくような取組みが,成功事例として,ほかでも真似をしていただけるようにするのが,横浜市の仕事だと思っているんですね。この街だけではとどめるつもりはないんです。
地域の方々と民間企業,行政もかかわって一緒に街の魅力づくりをしていく取組みを他の地域でもやっていきたいんです。
我々は「横展開」という言葉をこの取組みについて聞かれるとよくお話しするんですが,ここで得られた成果をどんどん市内に広げていきたいと思っているんですね。
なので,この住民創発プロジェクトも参加者を今はモデル地区を中心にしていますけど,いずれは青葉区全体に広げていきたい。それは行政もかかわりながら,民間企業さんの力ももらいながら,住民の方々から提案を頂戴して,この形をどうやってうまく広げていけるか,トライ&エラーでやっていくものだと思っています。
もちろん,まずは,今ここで成功事例が出て初めて,じゃあ次の展開をってことになりますけれども。

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■ワークショップは楽しかった
私は団塊ジュニアと呼ばれる昭和48年生まれの40歳です。父は団塊の世代でもうリタイアもして。私のころは学校舎が足りなくて,プレハブ校舎を経験した世代です。
生まれは町田なんですが,小学校に入る前に横浜の金沢区に越しまして,今でも実家は金沢区です。
大学で建築を学んで,・・・でも,私がこれまで歩んできた道は建築行政と呼ばれる,確認申請を受けつけるとか,すごく狭い意味での建築で,街づくりはほんとに初めてなんです。皆さんと一緒にワークショップをやって街づくりをやるのは,とっても楽しかったです。
それと印象に残っているのは,ワークショップの盛り上がりですよね。毎回時間をオーバーして申し訳なかったですけど。楽しかったですものねえ。最後に終わったあとになだれこんだカフェでも皆さん盛り上がってましたよね。

■ワークショップの参加者は・・・
ワークショップは,最初,東急電鉄さんと人が来なかったらどうしよう,なんていらぬ心配をいっぱいしていたんです(笑)
よくあるのは,若い方がなかなか参加してくれないこと。次の時代の担い手というふうに考えると,30代,40代,50代の方にもっと出てきていただきたいんですが。ところが,いざふたを開けてみると,20代,30代,40代,50代,60代とほぼまんべんなく,ご参加いただくことができて,これにはびっくりしました。
あとは,皆様方からのアイデアの中で,例えば自分のうちを開放するとか,「私ならこれができる」っていうワークショップの中で,アイデアがいっぱい出てきたのは,とってもびっくりしました。自分が何かをするっていうことをみんなの前で宣言する方がこんなに多くいらっしゃるって,とってもびっくりしました。
ボランティア精神が旺盛なんだなって。その意識はもしかすると,たまプラーザ特有のものなのかもしれませんね。あの場だからこそ出てきた言葉なのかもしれませんが。

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■一番大変だったのは基本構想
やっぱり,ワークショップが終わって,皆さんの思いをどういう形でまとめようかっていうのは,ほんとに大変でした(笑) これはひとつの目標像になるし,この基本構想を作るのがとても大きな山場でしたし,これがゴールではないんですけど,基本構想があって初めてプロジェクトにつながりますので。
ワークショップはとても楽しかったですが,皆さんのご意見をいかにすくいあげて,ひとつの形にするかっていう作業が,ほんとにとても大変でした。
東急さんからも何人も人を出してもらって,毎週のようにこの会議室に缶詰になって,8時間ぐらいずーっとこのテーブルで(笑)・・・10の取り組みもそうですし・・・。
たまプラ大学も8回させていただいて,ワークショップが5回,その間にオープンワークショップというかたちでいろんな方々からご意見をいただきましたし,その思いを少しでもくみとりたかったんですね。とっても素晴らしいご提案ばっかりだったので。

■将来的には,中間支援組織にバトンタッチ
次年度以降どういうかたちで新しい提案をすくいあげていくかっていうのは・・・,できたら,同じやり方でやるのではなくて・・・皆さんの活動どうしをつなぐようなご提案が複数出てきていますので,その方々を中心にいろんな新しい活動がそこに加わっていく,そんな展開をしていきたいと思うので,次年度以降はそういう形になるような支援のしかたができないかなあ,というふうには考えています。
また行政と東急電鉄さんがお膳立てをするのではなくて,皆さんの活動で,いわゆる「中間支援組織」と我々呼ぶんですが,そういう方たちに少しずつバトンタッチさせていただいて,そこに新しい活動が参加をする,そんな形に発展できるといいなと。
ワークショップをやって,基本構想ができて,まず第一歩としていろんなプロジェクトが立ち上がりましたよね。それを毎年同じかたちでやるんじゃなくて,少しずつ発展させながら,さらに皆様方に移せるものはどんどん移していく,というようなことを東急電鉄さんと今考えているんですね。

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■東急電鉄さんとは「お互いの足りない部分を補った」
行政と民間企業が一緒に何かをする,ということは画期的なことだと思いますが,違う点といえば,まずスピード感が全く違います。行政は一歩一歩着実に(笑)それがいわゆるスピード感のなさにもつながっているのかもしれませんが,我々は民間企業さんみたいに臨機応変にあまりできないという状況もありました。
東急電鉄さんは,とてもスピード感がありますし,いろいろと人のつながりや必要な情報を我々に与えてくださいました。
一方,横浜市は金も人もいない分,規制をきちっと時代に即して見直させていただく。東急電鉄さんの利益ではなくて,街としての利益が向上するという取組みに対しては,我々としても最大限応援させていただく。お互いの足りない部分を補った,というのがきれいな言い方なのかもしれませんね(笑)
(構成/辺見真智子  撮影/立山徹)

大友直樹さん/1973年生まれ 
横浜市建築局課長補佐
企画部企画課担当係長
川崎市在住,2児のパパ

Who’s who vol.0 松本茂さん
「自分の中にある『正義』は曲げられない」

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■うちは,電車が通るずっと前から,ここに住んでいます。
わたしは,もともと地元の出身です。地主さんで松本って,いっぱいいるんですけどね・・・,うちは土地のない地主さんといいますか・・・(笑) 
地主さんも何系統かあって,このへんだと吉村さんとか黒沼さんとか。昔は長子相続で,私の父は長男ではなかったので,いわゆる地主という感じではないんですが,生まれた時からずっとここで育って,学校も山内小学校,山内中学校です。父もおじいちゃんも多分そのずっと前も,電車の引かれる前から,もう何もない時からですね,ずっとここに住んでいます。今の美しが丘5丁目,山内中学校のすぐ下なんですが。
その後,リコ一というコピーとかファクシミリの会社に,事務系の営業職で就職しました。父の不動産会社を継ぐっていう気持ちはまったく無くて。
そして普通に名古屋に転勤して,福岡に行って,ま,そこで嫁さんと知り合って結婚しました。そのあと東銀座の販売系の本部に行くことになって,こちらに戻り,毎日満員電車で通勤していました。
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■サラリーマンから急に社長に。
ところが,そのころ,父の具合がちょっと悪いので手伝ってくれということになり,これはほんとは福岡時代から言われていたんですが,キリのいいところで,会社を退職しました。
先代社長であるうちの父が今の場所に,プレハブで会社(セントラル産業)をつくったのが,昭和43年です。今でもプレハブですけど(笑) 電車は昭和41年に引かれたので,ほんとにまだ何もないところに,ポツンとありました。
平成4年に,わたしがセントラル産業に入ってから1年半ぐらいで,父が亡くなってしまって,それで,すぐそのまま訳もわからず社長になったみたいな感じですね。それからもう20年を超えています。
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■最初は消防団だったかな。
 わたしが地域活動にかかわっていったきっかけというのは,二つあるんですけど。
ひとつは,不動産業なんで地域の地主さんたちとつながりがあります。そうすると,いろいろ話が来るんですね。例えば,PTAやりなさいとか,消防団入りなさいとか。最初は消防団だったかな。「お父さんもやってたんだから」みたいなことを言われて。消防団は父がやっていたし,多分初代の商店会長もやっていた。それと地域の獅子舞も。それでわたしも当然やることになって。PTAは,消防団の先輩に言われて,なんですけど。そういう地域のつながりから,まちづくりに興味を持ったということですね。
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■地下室マンション反対運動。ちょっと過激にやりました。
もうひとつは,平成9年に「地下室マンション」の反対運動というのがうちの近くであったんですよ。法律を逆手にとって,用途地域では最も制限の厳しい第一種低層住居専用地域(マンションは3階建てまで)の傾斜地に,実質4階建て(法律上は地上3階地下1階)の分譲マンションを建てるというもので,利益優先のマンション業者が住宅の質(床面積の増加)より戸数を増やして儲けようという一種の脱法マンションなんです。それが,全国あちこちに広がり始めていました。
その時に,その反対運動の事務局長のようなことをしまして,ちょっと過激にやったんです。道路を封鎖して工事車両の進入を阻止したり,社長の家の前でシュプレヒコールをしたり。もちろん裁判をおこして高裁まで争ったんですけどね。反対運動をしている市民団体のネットワークをつくって,国会請願もやりました。

■最後まで残ったのは,3人だけ。
最終的には法律が変わったので,今はそういうマンションはほとんどできなくなったんですけど。それでやっぱりその時思ったのは,法律を変えるのはすごく大変ですけど,なんでも熱意をもって,粘り強くやっていくと,どこかで変わってくる,というかね。「そんなのやってもダメだよ」ってずっと言われ続けて,それでも何年かそういう活動をやっていると,全国的になんか変だよって話になり,法律や条例が変わっていったんですね。
ただ,そうは言っても,この時は自分としては腹をくくってましたね。結局,最後まで残ったのは3人だけでしたけど。どうして続けたかって言いますと,まちづくりにも関係するんですが,こういう法律を野放しにしておくと,本来の法律の趣旨に反して悪用されて,良好な環境のために作られた風致地区とか第一種低層住宅専用地域のそもそもの意味合いがみんな壊されてしまう。山がどんどん切り崩されて,マンションが建てられてしまう。これは最後までやんなくちゃいけないねって言って続けました。

■むやみやたらと怒ってもしようがない。
この時にいろんなことを学びましたね。人との交渉のしかただとか,結果を出すにはどうすればいいかとか,ただむやみやたらと怒ってもしようがないし。どうすれば相手に一番ダメージを与えられるか,を考えるとかね。
最後までやり通したのは,やっぱり譲れないことは譲らないという気持ちですね。これだけは譲ってしまってはいけない,というかね,・・・自分の中にある「正義」は曲げられないっていうのはありますね。なんかカッコいいこと言っちゃいましたけど(笑)          (構成:辺見真智子) (撮影:立山徹)

松本茂さん/1961年生まれ おとめ座 
セントラル産業株式会社代表取締役
たまプラーザ連合商店会副会長,たまプラーザ中央商店街副会長
青葉消防団第一分団第四班班長,AOBA+ART実行委員会副委員長,
たまプラフレンズ代表
(参考)地下室マンション反対運動について
「美しが丘5丁目の環境を守る会」http://www1.interq.or.jp/~shigeru/

美しが丘中学校で「次世代郊外まちづくり」の出前授業

9月11日(水)美しが丘中学校の3年生社会科公民授業で,横浜市建築局と東急電鉄による「次世代郊外まちづくり」をテーマにした出前授業が行われました。
たまプラーザ駅周辺の50年前の風景,田園都市の由来や少子高齢化の時代を迎えた郊外住宅地の問題,行政と企業,住民が連携する「次世代郊外まちづくりプロジェクト」のことなどが話され,先生たちの熱い思いが伝わったせいか,中学生たちは熱心に聞き入りました。
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「現在の街をいかしながら,街を活性化していきます。」
「市民・企業・行政のコラボレーションです!」
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出前授業の先生たち。左から横浜市建築局・大野さん,東急電鉄・市川さん,岡本さん。
「中学生もぜひ参加,応援してください。」
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新しいファイルも用意しました。

シェアハウス中庭で交流BBQパーティ

9月7日(土)美しが丘3丁目にあるシェアハウス「シェアたま」の中庭で,住民創発プロジェクトへの応募を考える人たちの交流BBQパーティが行われました。
「シェアたま」の住人で,プロジェクトにも応募予定の井村拓也さんが,つながりの機会をつくりたいと企画。約60人が集まり,企画書や実施計画書の提出期限を目前に,大いに盛り上がり,楽しいひとときを過ごしました。
(撮影/立山徹)
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「シェアたま」の住人は約60人。さまざまな分野のクリエーターです。
ハロウィンやAOBA+ARTなど,地域との連携が徐々に進んでいます。
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次世代郊外まちづくり・ワークショップや相談会でおなじみの顔が続々集まりました。
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交流会仕掛け人の井村さん
「シェアならブックシェアでもシェアハウスでも大好きです。シェアは素晴らしいですよ。次世代郊外まちづくりも,シェアハウスという言葉を見つけて,ワークショップに出ました。」