小泉秀樹先生ロングインタビューもくじ
■「出口」を考えるとき
■「3丁目カフェ」がうまく回るとしたら・・・
■たまプラなら,住民主導でコラボレーションが生まれるのではないか
■これから行政の役割は後方支援型に変わる
■なぜ研究者がかかわるのか
■自治会や商店街と,信頼にもとづいた本当の協働関係が築けるか
■高3の時,理系なのに倫理が大好きになって・・・
■都市計画との出合い
■動物が大好き。ワニから猿まで飼っていました
■「出口」を考えるとき
全体的な評価を言うと,このプロジェクトで皆さんがやられている活動というのは,すごく成果が出ていると思っています。短期間の中でかなり具体的な成果が出ていると思います。
成果っていうのは何か結果が出ていることだけではなくて,いろいろトライされているとか,具体的なアクションに踏み出せている団体がほとんどなので,そういう意味で成果が上がっているというふうに評価しているんですよね。
支援という面で言うと,一つは日常的に皆さんが結びついたり,ちょっとした悩み事を相談し合うような居場所があればいいなって思っているんですね。インフォーマルなコミュニケーションの中でこそ,ほんとのコラボレーションのタネが生まれてくるものなので。
そういう意味で,みんながふらっと立ち寄って誰かに会えるような場所が必要だと最初から思っていました。そういうのがあると活動に苦しんでいる団体さんが,少し具体的なアクションを,じゃあこの人たちとやってみようかっていうようなことが始まったり,それからこことここが実はあまり接点がなかったかもしれないけど,一緒にやると面白い効果が出るようなことが生まれてきたり,そういうことが生まれやすくなるような環境ができるのになと思っているんです。
ただ全体としてみると,実際には団体間の結びつきが相当強くなっているし,それから相互に支援するような,他の団体の人が助けて参加したり盛り上げたり,というようなことがよく起きていて,そういう意味でも非常にうまくいっている,という評価なんです。
もう一つは「出口」のところをどうするのか,ということを考えなくてはいけない。
9月で一応支援の期間というものが制度上は終わります。もちろんそのあともさまざまな形で継続的に我々もサポートすることになっているんですが,それにしても一応そこで団体さんとしてもひと区切りで,そのあとの活動をどう自分たちで展開していくのか,方向性を見出さないといけないんですね。
9月までに,今後,今までの支援とは違うかたちの支援の中で,皆さんが自立的にどうプロジェクトを展開できるのかということを見据えたり,そのためにはどういうリソースや最低限の支援が必要なのか,我々に代わる行政との協働や企業とのコーディネーションをどう作れるのか,という「出口」のところを考えなければいけない,ということです。
皆さんが今何をめざしていて,どこまで到達しようとしているのか,そのために何がほんとに足りないのか,どういうところで困っているのか,というところは,もし機会があればインフォーマルな場で,少し細かく話をお聞きしたいなと思っています。
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■「3丁目カフェ」がうまく回るとしたら・・・
イベントをやって参加費を取って,それで,あとは自分たちがボランタリーにかかわれば動くようなものっていうのは、もちろんそれもある種の市民事業で難しい点もいろいろあるんですが,事業的なスキームとしては分かり易いですし,そんなにリスクもないし,人を専従で雇うということでもなければ,なんとかやっていけると思うんです。
でも,人を雇用するかたちで展開するとなると,途端に難易度が上がるんですね。そこは,ある種のビジネスモデルをその団体さんなりに模索しなければならないですよね。
例えば,3丁目カフェさんなんかは,もうほんとに実践的にやられようとしていて,(代表の)大野承さんの頭の中にも,ある種のビジネスモデルがあるわけですよ。
我々の言い方でいうと,フォープロフィットという利益追求型のプロジェクトと,ノンプロフィット型のまさにみんなのためにっていう公共的な利用ということがあるんですが,あれはフォープロフィットのほうでノンプロフィットを支えようというモデルで,それを同じ場所について時間で区切ろうというような戦略ですね。
それはすごくいい戦略だなと思っていて,逆に言うとそれがうまく回るとしたら,フォープロフィットのところにちゃんと人が入って,お金がそこで回るのかどうか,ですよね。
ノンプロフィットのほうは,大野さんがどこまで頑張れるか,大野さんのまわりの人たちが,どこまで楽しんで一緒にやれるか,というところ。
どのプロジェクトでも,いろいろ配慮したり,事業的になるほど,さまざまな問題を考えなければいけないですが,やっぱり楽しむってことが一番なんだと思うんですね。そういう気持ちを忘れないように,ということと,今皆さんがさかんにやってくださっている,お互いに支え合い助け合うことをもう一つキーワードにして,やっていただくといいのかなと思いますね。
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■たまプラなら,住民主導でコラボレーションが生まれるのではないか
元々,こういう方式にしようと持ちかけたのは,私なんですよね。たまプラ大学などで「連続学習」をやる中で,市民の方がいろいろなアイデアを持って出てきた時に,アウトプットとしては,プロジェクトを志向したようなアウトプットにしよう。
で,そこから,次のステップとして具体的に市民の方たちにプロジェクトをやっていってもらって,企業とのマッチングを含めたそのプロジェクトを支えるためのある種の仕組みを作って,出口として用意しておこう。
実際にプロジェクトをやる中で,次のステージに進んで行ってもらえるようにしよう,というふうに考えていました。
そして,今回のように,計画・ビジョンづくりから進んでいって、皆で課題や方向性を共有する。その上で,そうした共有理解にたって個々のプロジェクトができて,そしてそれを支援していく仕組みが用意され,プロジェクト自体が,地域の課題解決のため動いていく。そうした一連の流れをつくり上げるやり方を,僕らは協働型まちづくりのアプローチ(Collaborative Community Design Approach)と呼んでいるんです。これは,最近流行のCSV(Creating Shared Value) という考え方と近いものでもありますね。
もう一つすごく特徴的なのは,例えば,横浜市ということであれば,横浜市全体でそういうことをやるのが普通。だけど,たまプラーザという,ある特別な地区で,地区の中でのコラボレーションを生み出すようなやり方っていうのは,多分これが初めてかもしれません。今まで日本になかったことじゃないですかね。
たまプラっていうのは,相対的にみればやっぱり地域力、市民力が高いところだし,元々の自治会活動もしっかりしていたし、市民活動もある程度あった。そして,やってみたら,新しい人も入ってきたし,地域で頑張っていた人たちもワーッと出てきたし,外から入ってきた人もいた。
これは,地区内の住民の人たちが出てきて,また外からの人も入って,その中でいろんなコラボレーションが生まれる,そういうスキームです。そうすると,時間とともにだんだん新しい地域社会に変化していく。こういうことは,これまで横浜市全体の中でやるのはあったんだけど,小さな地区の中でやるのは初めての試みだったんですよ。
なぜそういうことが,今までやられていなかったか,というと,やっぱりたまプラーザぐらいの範囲の中でやった場合,それほどたくさんの住民・市民の方がアクティブに動いて,いろいろ相互に協力し合いながらさまざまなプロジェクトをやるっていうことは,普通あまり想定できないんですよね。
だから,やっぱり市とか,区の中でいろんな団体がいて,その団体さんの交流を進めていって,いろいろなコラボレーションを生み出したり,新しい団体を発見していくとか,キーパーソンを発見していくってことを多分志向するんですが,今回は,たまプラーザなら,もしかして地区の中でそういうことができるんじゃないか,というのが我々が取り組んだ一つの仮説ですよね。
(次世代郊外まちづくりの住民創発プロジェクトは)たまプラーザだから,ある意味できているところがあるんじゃないかと思っていて,他のところでは,同じやり方ができるところもあるだろうけれど,基本的にはその地域の特性にあったやり方そのものをデザインすることが,必要だと思います。
たまプラーザの最終的な姿は,やっぱり住民の皆さんが自分たちで,コミュニティビジネスやイベント的なものも含めて,地域運営する新しい住民主導型あるいは,住民と企業の協働型のモデル地区なのかな,と僕は位置づけています。
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■これから行政の役割は後方支援型に変わる
例えば,他のところだと,もう少し行政がテコ入れをしてあげて,少し持続的にかかわらないと難しいようなところもあると思います。それはもっと行政と住民の協働型だとか,もしくは行政主導型だとか,もしくは企業主導型だとかになっていくと思うんです。
たまプラーザは,住民主導型で,場合によったら住民・市民と企業主導型かもしれないですね。で,行政は後方支援する,というようなスタイルで,どこまでいけるのか,っていうチャレンジなんだと思います。
今までの行政というのは,直接的な事業をするのが行政の役割だったわけですね。例えば,道路を作るとか,公園を整備するとか。また,計画を作るのでも行政が自分で計画を作る,というのが,今までの行政の役割だったんですが,これからは後方支援型に変わる。というのは,これからは政府と住民と企業が三者協力し合いながら,地域社会を統治していくという協働型の社会モデルに変わるということなんです。
政府セクターだけではなくて企業や市民が連携し合う。それぞれの連携があり,三者の連携があって,その時の政府の役割というのは,直接的に事業をやるという役割もあるんだけれども,例えば市民と企業のマッチングを行政が支援するとか,それから,市民がやりたいことをやれるような環境を整えてあげる,というようなことだったりするんです。我々はそれをいわゆる「直接事業型から支援事業型への転換」と言ったりします。
要は,地域の本当のニーズにマッチしたことをやるには,理想的に言えば,その地域の住民の方や企業,商店街の方が地域を維持する事業を推進していて,それに必要な最低限の支援を行政がするということ。このほうが,むしろ地域の人たちにとって望ましいサービスができる可能性が高いということなんです。
でも,それはやっぱり現地でそれだけのことを回せるだけの,さまざまな人的なリソースとか,空間的な環境,またそれ以外の社会的なリソースもあるかもしれないですが,そういうものが整わないとなかなかできないんですね。
たまプラーザは比較的それらが整っている地域で,最初からそれがめざせる地域じゃないか。他の地域はもう少し耕していって,5年10年かけて耕して,うまく耕せたら,そういうステージに入れるかもしれない。でも,耕すまでは,行政が主導しながら引っ張る。あるところでは,企業が引っ張ることが必要かもしれないですよね。
そういう意味で,たまプラーザは,我々の取り組みの中では,非常に先進的なモデルに比較的挑戦できるんじゃないか,という位置づけで,かかわらせていただいています。
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■なぜ研究者がかかわるのか
横浜市さんはそれなりの立場があるし,東急電鉄さんも地元だからかかわるのは当たり前なんだけれども,じゃあ研究者の我々がなんでかかわるんですか? ということがあるんですね。
それは「実践研究」と言うんですが,実践研究というのは,ある事例を作り上げる。これはすごく一方的な言い方ですけれどね。でも,研究者の立場からすると,支援をしていって,いい事例を作りたいってことがあって。そして,そのいい事例がどう作られるのか,というプロセス自体が一つの研究的な価値があるんですよね。
それで,それがうまくいったとしますよね。うまくいった時に「なぜうまくいったんだろう」ということの原因だとか,それを支えている特殊な条件というのがある。もちろん一般的な条件もあるんだけれども,我々が注目しているのはむしろ特殊な条件で,たまプラのこういう特殊性があったからこそ,これはうまくいったんだね,というところがうまく発見できるかどうかなんですよね。
そうすると,もしその特殊性を保持しているような他の地域があれば,そこでも成り立つかもしれない,というふうにも考えられるので,研究的には,いかに特殊なのか,ということが描きたいと考えています。
例えば,ワークショップをやった時に,ここの地区ですごく面白かったのは,参加者の属性が男女の比率をみても,年齢をみても,すごくバランスがいいんですよ。
あそこまで,バランスがいい参加者がそろう地区って,そうそうないんですよ。
普通やるとだいたい,ちょっと言い方が悪いですが,高齢者の男性に偏っちゃう地域があるとか,逆に中高年の女性だけに偏る地域で男性は出てこないとか。
例えば,被災地に行ったりすると,みんなでお茶を飲みながら,「お茶っこ」って言うんですが,みんなでお茶を飲みながら話しましょうよって言うと,女性がわーっと出てくるんですよ。で,男性は被災地だとむしろ,オレはそんなところに行かないって言って,頑なで,出てこないんです。それは,それでバランスがよくないわけですよね。
首都圏でやると,どちらかと言うと,リタイアされた,もしくはリタイア近い男性の方が,少し地域の中で何かもう一度やりたいって方が多くて,男女の比率が8:2とか9:1ぐらいになってしまうことが多いですよね。
もちろんテーマによりますが,「まちづくり」ということで,広く子育ても高齢者の問題も地区の環境改善も全部やりますよ,って言ってしまうとだいたい出てくるのは男性が多かったりするんですよね。
でも,たまプラは非常にバランスがよくて,それはある種のまちに対する関心とか期待とか,もしくは若い人でも比較的参加できるような環境を整えている,っていうんですかね。例えば,そういうことが地区の特性としてあるのかもしれないな,と思っています。そういう意味では,スタート時点から,ある意味他の地区とは違うわけですよね。
もちろんワークショップに参加してくださる方を募るのに,東急電鉄さんや石塚計画デザイン事務所の方にお願いをして,地域のコーディネーター的な役割の方にインタビューしていって,こういうのがあるから参加してくださいねって言って参加してもらったり,知り合いの方を紹介してもらったりもしているんですが,多分それだけでは説明できないわけです,いろんな人が出てきていて。
それは,たまプラという地区の特性と,あとは時代的な特性もあったかもしれない。3.11のあとで地域への関心が非常に高まっていたとか,皆さん自身がこれからの地域に対してやりたいことを考えやすい環境があったとか,いろいろあるかもしれないですね。
そういうある種の特殊性みたいなことを,少し気にしながら,こちらとしてはサポートして,研究としても整理をしていきたいなと思っているんですけどね。
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■自治会や商店街と,信頼にもとづいた本当の協働関係が築けるか
このプロジェクトのユニークな点は,先ほど言ったように地区でやっているでしょう? ふつうは全市でやっているわけです。そこで出てくるのはテーマ型コミュニティって一般的に言われる団体なんですよ。ここは基本的にたまプラーザとか美しが丘という限られた区域の中に,テーマ型のコミュニティがたくさんできているっていう状態なんです。
それで,そういう状態までつくりあげることができているってことが,多分すごく珍しいんですよ。
そういうテーマ型コミュニティがたくさん出てきていて,しかもすごく良好な関係になっているんですね。お互い助け合って。新しい社会的なつながりというのが,地域の中にどんどんできてきて,ふくらんでいるんですね。
一方,元々あった自治会さんや商店街さんという地縁型の組織が地域の中で果たしている役割が依然として大きいものでもあるわけですよね。
これから,少し考えなければいけないのが,そういう地縁型の組織の皆さんと、いかによい関係を築いて,地縁型、テーマ型を包含した住民の皆さんの新しい自治の体制とか関係づくりって言うんですかねえ。どういうふうにできるのかっていうのが,すごく大きなチャレンジだと思います。
普通はね,あるNPOさんが1個出てきて,そこと自治会さんがうまく手を組んで,自治会がやっていたこの仕事はもうそのNPOさんにお願いしようとか,そのNPOさんから自治会に若い人が役員として入ったりして自治会が活性化する例はすでに結構あるんですよ。
だけど,これだけ,いろんなテーマ型の団体が出てきていて,それをうまく自治会や商店街と結びつけながら,新しい地域社会のあり方をつくり上げるっていうのは・・・それが我々,横浜市さんや東急電鉄さんが考えている最終的な目標なんですけれど,どう着地すべきか,やりがいのあるチャレンジだと思っているんです。
組織対組織のおつきあいということもあるんですが,一番大事なのは,プロジェクトを推進されている中心メンバーの人たちが,どれだけ自治会や商店街の方と本当の意味で信頼し合って一緒にやれるかっていうことなんです。それが問われているんですね。
横浜市さんや東急電鉄さんがあいさつにうかがっておくっていうのはもちろん必要なんですよ。でも,それだけで,めざしているような本当の意味での協働関係ができるかって言ったらそうはならないので。
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■高3の時,理系なのに倫理が大好きになって・・・
僕は高校3年ぐらいまでは,ほんとにガチガチの理系だったんですよ。物理とか数学が好きだったんです。逆に言うと物理と数学以外あんまりできなかったんですね(笑)
それに,ちょっと,当時の共通一次テスト(現在のセンター試験)をしくじっちゃって,選択した科目と違う科目で受験しちゃったんですよ。おっちょこちょいなんで。それで浪人しちゃったんだけれども。
その共通一次を勉強するときに,当時は理系でも社会科で2科目取らなきゃいけなくて,1教科を倫理という科目を取ったんです。点が取りやすいってことで(笑)
で,倫理を改めて勉強し始めたら,すごい面白かったんですね。倫理には社会思想だとか,哲学だとか,さまざまなことが入っているんですよ。それを読んだら,大好きになっちゃって。浪人したら今度はそういう本ばかり読み始めて,全然勉強しなくなって,むしろ成績が落ちちゃったぐらいなんだけど(笑)
でも,その時に理系の中で一番社会的な問題に近いところって何なんだろうって考えて・・・今考えたらどの領域でも接点があったんだけれど,当時はなかなかわからなくて。
それで,建築っていうのは人が暮らしたりするものだから,社会との接点が一番あるものじゃないかと思って,その当時の僕の理解の中では一番人間寄りだったんですね。つまり,数学的なものから少し現実の社会に近づいた領域のほうにシフトしよう,ということで,建築学科を選んだんですよ。
で,建築に入ってみたら,・・・そうは言っても物理的な空間をつくるのが主なテーマなので,思っていた以上に技術寄りなんですよ。やっぱりね,教育としては。
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■都市計画との出合い
こういうのだとやっぱり人間の暮らしや社会というようなものになかなか接点が見えてこないな,と思っていたら,恩師の一人なんですけど,日笠端(ひがさただし)先生の「都市計画」と「住宅地計画」という講義と演習があって,それがすごく面白かったんです。
これは人間や地域社会に直接かかわれるような,一番自分の関心に近い領域だなと思って,広い意味で言うと都市計画と言うんですが,都市計画の世界に飛び込んだんですよ。
日笠先生は都市計画学会の会長をされていた先生なんです。その日笠先生が一番力を入れておられたのが,コミュニティ・プランニングとか,コミュニティ・デザインの領域。日本でこれを本格的に研究したり,実践されていた初めての先生だったんです。
地域で人が暮らすということにどうアプローチできるのか――大学の3年生ぐらいですかね。それで,目がパッとひらけて,そういう関係の会社でバイトをしたり,そういう業界について勉強し始めたんですね。
で,大学院でも専門的に勉強しようということで,都市計画が専門に勉強できる都市工学に来て,日笠先生の系統の研究室に入りました。もう日笠先生は退官されていて,直接ついたのは川上秀光先生でしたけど,そこにまた森村直美先生という先生がおられて,その森村先生が日笠先生と親しく,いろいろコミュニティレベルのことを研究されていて『コミュニティ・デザイン』という図書を日本で初めて出された方なんです。日笠先生は「コミュニティ計画」という言葉を使われたり,「コミュニティ設計」って時々書かれていましたが,コミュニティ・デザインという本は出されていなかったんですよね。
森村先生がやられていたのは,すでにできあがっているところで,どうやって住民が地域を自分たちで管理運営するんですか,ということとか,そのために必要な財源とか,ちょっとした空間としてこういうものがあるといいねとか。それから公園なんかも,勝手に作るんじゃなくて,地域の住民たちが自分たちで何がいいのか考えながら作ったほうがいいね,とか・・・。こういうようなことを70年代の後半にまとめられていました。
そして、僕らが研究室に入った80年代の後半の頃には,もう大学院の先輩が世田谷区の太子堂というところで,まちづくりやコミュニティ・デザインの実践をしていました。
僕は直接そのプロジェクトにかかわっていなかったですけど,先輩に連れられて,そういう現場に行ったりしました。最初はね,こういうことにどういう意味があるのかなって思ったりしていたんですが,だんだんその重要性っていうのがわかってきた。
日笠先生と出会ったことから始まって,そこからは自分の志向にかなった,都市計画という領域にどんどん惹かれていったということがあると思いますね。
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■動物が大好き。ワニから猿まで飼っていました
高校の頃,一番聴いたのはビートルズですね。友達の影響もあっていろいろな洋楽,ブリティッシュ系の洋楽が多かったけれども,レッドツェッペリンとかローリングストーンズなんかも聴いていました。自分でもギターを弾いたり。
でも,一番やっていたのは,部活ですよね。陸上をやってたんですけど。中距離・長距離です。それを一番一生懸命やっていましたね。中学の時は野球部だったんですが,部がつぶれちゃったようなかたちでやめて,次はサッカーか陸上と思っていたんですよ。一番仲のいい友達が陸上やってたんで。サッカーも仲のいい友達がいっぱいいたんだけど,じゃあ,まあ陸上やるかなって(笑) サッカー部の連中とも仲良かったので,サッカーもよくやって遊んでいましたけどね。
中学の時はフォークギターで,みんなでギター部を作ろうって言って,わざわざギターの先生を連れてきてもらって。かぐや姫とか南こうせつさんとか,そのうちだんだんオフコースとか。そういうのをやり始めたり聴いたりして。甲斐バンドとかね。
大学ではロックバンドをやっていた時期があって,ベースをやったりしていました。ポール・マッカートニーがすごい好きだったので。
今楽しいのは,サッカーですよね。自分では最近できなくなったけど,子どもに教えたり。子どもとサッカーをやれれば楽しいんだけど,もうやってくれないので,子どものサッカーを観戦したり,あとはプロのサッカーを見たりとか,ですよね。
それから学生とフットサルをやったりとか。最近学生がまたフットサルの企画を作ってくれて,少し盛り上がっているんですけどね(笑)
子どもは3人。上二人が男の子で一番下が女の子で。この間高校受験だったのが一番下の子で。
だから去年は家庭的にはなかなか大変でした(笑) 復興支援などもあったので。一番上が大学2年生,真ん中の子が高校3年生で,来年また受験なんです。
今家がマンションなんでペットは飼えないんですが,元々犬がすごく好きで・・・。
僕は動物が大好きです。小さい時から父親がいろいろ飼ってくれて。ほんとにいろいろ,ワニから猿まで。ワニっていってもこんな小さなのですけど。(出身地の)練馬区は農地が多くて,昔は田舎だったんですね(笑)
小泉秀樹(こいずみ ひでき)さん/1964年生まれ うお座
東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻教授 博士(工学)
東京都練馬区出身
ポール・マッカートニー,サッカー,動物大好き
(写真/立山徹 構成/辺見真智子)
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