まちづくりWho’s who vol.5
小泉秀樹先生(東大大学院教授)
たまプラの特殊性は何か?

小泉先生

小泉秀樹先生ロングインタビューもくじ
■「出口」を考えるとき
■「3丁目カフェ」がうまく回るとしたら・・・
■たまプラなら,住民主導でコラボレーションが生まれるのではないか
■これから行政の役割は後方支援型に変わる
■なぜ研究者がかかわるのか
■自治会や商店街と,信頼にもとづいた本当の協働関係が築けるか
■高3の時,理系なのに倫理が大好きになって・・・
■都市計画との出合い
■動物が大好き。ワニから猿まで飼っていました

■「出口」を考えるとき

全体的な評価を言うと,このプロジェクトで皆さんがやられている活動というのは,すごく成果が出ていると思っています。短期間の中でかなり具体的な成果が出ていると思います。
成果っていうのは何か結果が出ていることだけではなくて,いろいろトライされているとか,具体的なアクションに踏み出せている団体がほとんどなので,そういう意味で成果が上がっているというふうに評価しているんですよね。

支援という面で言うと,一つは日常的に皆さんが結びついたり,ちょっとした悩み事を相談し合うような居場所があればいいなって思っているんですね。インフォーマルなコミュニケーションの中でこそ,ほんとのコラボレーションのタネが生まれてくるものなので。
そういう意味で,みんながふらっと立ち寄って誰かに会えるような場所が必要だと最初から思っていました。そういうのがあると活動に苦しんでいる団体さんが,少し具体的なアクションを,じゃあこの人たちとやってみようかっていうようなことが始まったり,それからこことここが実はあまり接点がなかったかもしれないけど,一緒にやると面白い効果が出るようなことが生まれてきたり,そういうことが生まれやすくなるような環境ができるのになと思っているんです。

ただ全体としてみると,実際には団体間の結びつきが相当強くなっているし,それから相互に支援するような,他の団体の人が助けて参加したり盛り上げたり,というようなことがよく起きていて,そういう意味でも非常にうまくいっている,という評価なんです。

もう一つは「出口」のところをどうするのか,ということを考えなくてはいけない。
9月で一応支援の期間というものが制度上は終わります。もちろんそのあともさまざまな形で継続的に我々もサポートすることになっているんですが,それにしても一応そこで団体さんとしてもひと区切りで,そのあとの活動をどう自分たちで展開していくのか,方向性を見出さないといけないんですね。
9月までに,今後,今までの支援とは違うかたちの支援の中で,皆さんが自立的にどうプロジェクトを展開できるのかということを見据えたり,そのためにはどういうリソースや最低限の支援が必要なのか,我々に代わる行政との協働や企業とのコーディネーションをどう作れるのか,という「出口」のところを考えなければいけない,ということです。

皆さんが今何をめざしていて,どこまで到達しようとしているのか,そのために何がほんとに足りないのか,どういうところで困っているのか,というところは,もし機会があればインフォーマルな場で,少し細かく話をお聞きしたいなと思っています。
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■「3丁目カフェ」がうまく回るとしたら・・・

イベントをやって参加費を取って,それで,あとは自分たちがボランタリーにかかわれば動くようなものっていうのは、もちろんそれもある種の市民事業で難しい点もいろいろあるんですが,事業的なスキームとしては分かり易いですし,そんなにリスクもないし,人を専従で雇うということでもなければ,なんとかやっていけると思うんです。
でも,人を雇用するかたちで展開するとなると,途端に難易度が上がるんですね。そこは,ある種のビジネスモデルをその団体さんなりに模索しなければならないですよね。
例えば,3丁目カフェさんなんかは,もうほんとに実践的にやられようとしていて,(代表の)大野承さんの頭の中にも,ある種のビジネスモデルがあるわけですよ。
我々の言い方でいうと,フォープロフィットという利益追求型のプロジェクトと,ノンプロフィット型のまさにみんなのためにっていう公共的な利用ということがあるんですが,あれはフォープロフィットのほうでノンプロフィットを支えようというモデルで,それを同じ場所について時間で区切ろうというような戦略ですね。
それはすごくいい戦略だなと思っていて,逆に言うとそれがうまく回るとしたら,フォープロフィットのところにちゃんと人が入って,お金がそこで回るのかどうか,ですよね。
ノンプロフィットのほうは,大野さんがどこまで頑張れるか,大野さんのまわりの人たちが,どこまで楽しんで一緒にやれるか,というところ。

どのプロジェクトでも,いろいろ配慮したり,事業的になるほど,さまざまな問題を考えなければいけないですが,やっぱり楽しむってことが一番なんだと思うんですね。そういう気持ちを忘れないように,ということと,今皆さんがさかんにやってくださっている,お互いに支え合い助け合うことをもう一つキーワードにして,やっていただくといいのかなと思いますね。
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■たまプラなら,住民主導でコラボレーションが生まれるのではないか

元々,こういう方式にしようと持ちかけたのは,私なんですよね。たまプラ大学などで「連続学習」をやる中で,市民の方がいろいろなアイデアを持って出てきた時に,アウトプットとしては,プロジェクトを志向したようなアウトプットにしよう。
で,そこから,次のステップとして具体的に市民の方たちにプロジェクトをやっていってもらって,企業とのマッチングを含めたそのプロジェクトを支えるためのある種の仕組みを作って,出口として用意しておこう。
実際にプロジェクトをやる中で,次のステージに進んで行ってもらえるようにしよう,というふうに考えていました。
そして,今回のように,計画・ビジョンづくりから進んでいって、皆で課題や方向性を共有する。その上で,そうした共有理解にたって個々のプロジェクトができて,そしてそれを支援していく仕組みが用意され,プロジェクト自体が,地域の課題解決のため動いていく。そうした一連の流れをつくり上げるやり方を,僕らは協働型まちづくりのアプローチ(Collaborative Community Design Approach)と呼んでいるんです。これは,最近流行のCSV(Creating Shared Value) という考え方と近いものでもありますね。

もう一つすごく特徴的なのは,例えば,横浜市ということであれば,横浜市全体でそういうことをやるのが普通。だけど,たまプラーザという,ある特別な地区で,地区の中でのコラボレーションを生み出すようなやり方っていうのは,多分これが初めてかもしれません。今まで日本になかったことじゃないですかね。
たまプラっていうのは,相対的にみればやっぱり地域力、市民力が高いところだし,元々の自治会活動もしっかりしていたし、市民活動もある程度あった。そして,やってみたら,新しい人も入ってきたし,地域で頑張っていた人たちもワーッと出てきたし,外から入ってきた人もいた。
これは,地区内の住民の人たちが出てきて,また外からの人も入って,その中でいろんなコラボレーションが生まれる,そういうスキームです。そうすると,時間とともにだんだん新しい地域社会に変化していく。こういうことは,これまで横浜市全体の中でやるのはあったんだけど,小さな地区の中でやるのは初めての試みだったんですよ。

なぜそういうことが,今までやられていなかったか,というと,やっぱりたまプラーザぐらいの範囲の中でやった場合,それほどたくさんの住民・市民の方がアクティブに動いて,いろいろ相互に協力し合いながらさまざまなプロジェクトをやるっていうことは,普通あまり想定できないんですよね。
だから,やっぱり市とか,区の中でいろんな団体がいて,その団体さんの交流を進めていって,いろいろなコラボレーションを生み出したり,新しい団体を発見していくとか,キーパーソンを発見していくってことを多分志向するんですが,今回は,たまプラーザなら,もしかして地区の中でそういうことができるんじゃないか,というのが我々が取り組んだ一つの仮説ですよね。
(次世代郊外まちづくりの住民創発プロジェクトは)たまプラーザだから,ある意味できているところがあるんじゃないかと思っていて,他のところでは,同じやり方ができるところもあるだろうけれど,基本的にはその地域の特性にあったやり方そのものをデザインすることが,必要だと思います。
たまプラーザの最終的な姿は,やっぱり住民の皆さんが自分たちで,コミュニティビジネスやイベント的なものも含めて,地域運営する新しい住民主導型あるいは,住民と企業の協働型のモデル地区なのかな,と僕は位置づけています。
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■これから行政の役割は後方支援型に変わる

例えば,他のところだと,もう少し行政がテコ入れをしてあげて,少し持続的にかかわらないと難しいようなところもあると思います。それはもっと行政と住民の協働型だとか,もしくは行政主導型だとか,もしくは企業主導型だとかになっていくと思うんです。
たまプラーザは,住民主導型で,場合によったら住民・市民と企業主導型かもしれないですね。で,行政は後方支援する,というようなスタイルで,どこまでいけるのか,っていうチャレンジなんだと思います。
今までの行政というのは,直接的な事業をするのが行政の役割だったわけですね。例えば,道路を作るとか,公園を整備するとか。また,計画を作るのでも行政が自分で計画を作る,というのが,今までの行政の役割だったんですが,これからは後方支援型に変わる。というのは,これからは政府と住民と企業が三者協力し合いながら,地域社会を統治していくという協働型の社会モデルに変わるということなんです。

政府セクターだけではなくて企業や市民が連携し合う。それぞれの連携があり,三者の連携があって,その時の政府の役割というのは,直接的に事業をやるという役割もあるんだけれども,例えば市民と企業のマッチングを行政が支援するとか,それから,市民がやりたいことをやれるような環境を整えてあげる,というようなことだったりするんです。我々はそれをいわゆる「直接事業型から支援事業型への転換」と言ったりします。
要は,地域の本当のニーズにマッチしたことをやるには,理想的に言えば,その地域の住民の方や企業,商店街の方が地域を維持する事業を推進していて,それに必要な最低限の支援を行政がするということ。このほうが,むしろ地域の人たちにとって望ましいサービスができる可能性が高いということなんです。
でも,それはやっぱり現地でそれだけのことを回せるだけの,さまざまな人的なリソースとか,空間的な環境,またそれ以外の社会的なリソースもあるかもしれないですが,そういうものが整わないとなかなかできないんですね。

たまプラーザは比較的それらが整っている地域で,最初からそれがめざせる地域じゃないか。他の地域はもう少し耕していって,5年10年かけて耕して,うまく耕せたら,そういうステージに入れるかもしれない。でも,耕すまでは,行政が主導しながら引っ張る。あるところでは,企業が引っ張ることが必要かもしれないですよね。
そういう意味で,たまプラーザは,我々の取り組みの中では,非常に先進的なモデルに比較的挑戦できるんじゃないか,という位置づけで,かかわらせていただいています。
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■なぜ研究者がかかわるのか

横浜市さんはそれなりの立場があるし,東急電鉄さんも地元だからかかわるのは当たり前なんだけれども,じゃあ研究者の我々がなんでかかわるんですか? ということがあるんですね。
それは「実践研究」と言うんですが,実践研究というのは,ある事例を作り上げる。これはすごく一方的な言い方ですけれどね。でも,研究者の立場からすると,支援をしていって,いい事例を作りたいってことがあって。そして,そのいい事例がどう作られるのか,というプロセス自体が一つの研究的な価値があるんですよね。
それで,それがうまくいったとしますよね。うまくいった時に「なぜうまくいったんだろう」ということの原因だとか,それを支えている特殊な条件というのがある。もちろん一般的な条件もあるんだけれども,我々が注目しているのはむしろ特殊な条件で,たまプラのこういう特殊性があったからこそ,これはうまくいったんだね,というところがうまく発見できるかどうかなんですよね。
そうすると,もしその特殊性を保持しているような他の地域があれば,そこでも成り立つかもしれない,というふうにも考えられるので,研究的には,いかに特殊なのか,ということが描きたいと考えています。

例えば,ワークショップをやった時に,ここの地区ですごく面白かったのは,参加者の属性が男女の比率をみても,年齢をみても,すごくバランスがいいんですよ。
あそこまで,バランスがいい参加者がそろう地区って,そうそうないんですよ。
普通やるとだいたい,ちょっと言い方が悪いですが,高齢者の男性に偏っちゃう地域があるとか,逆に中高年の女性だけに偏る地域で男性は出てこないとか。
例えば,被災地に行ったりすると,みんなでお茶を飲みながら,「お茶っこ」って言うんですが,みんなでお茶を飲みながら話しましょうよって言うと,女性がわーっと出てくるんですよ。で,男性は被災地だとむしろ,オレはそんなところに行かないって言って,頑なで,出てこないんです。それは,それでバランスがよくないわけですよね。
首都圏でやると,どちらかと言うと,リタイアされた,もしくはリタイア近い男性の方が,少し地域の中で何かもう一度やりたいって方が多くて,男女の比率が8:2とか9:1ぐらいになってしまうことが多いですよね。
もちろんテーマによりますが,「まちづくり」ということで,広く子育ても高齢者の問題も地区の環境改善も全部やりますよ,って言ってしまうとだいたい出てくるのは男性が多かったりするんですよね。
でも,たまプラは非常にバランスがよくて,それはある種のまちに対する関心とか期待とか,もしくは若い人でも比較的参加できるような環境を整えている,っていうんですかね。例えば,そういうことが地区の特性としてあるのかもしれないな,と思っています。そういう意味では,スタート時点から,ある意味他の地区とは違うわけですよね。

もちろんワークショップに参加してくださる方を募るのに,東急電鉄さんや石塚計画デザイン事務所の方にお願いをして,地域のコーディネーター的な役割の方にインタビューしていって,こういうのがあるから参加してくださいねって言って参加してもらったり,知り合いの方を紹介してもらったりもしているんですが,多分それだけでは説明できないわけです,いろんな人が出てきていて。
それは,たまプラという地区の特性と,あとは時代的な特性もあったかもしれない。3.11のあとで地域への関心が非常に高まっていたとか,皆さん自身がこれからの地域に対してやりたいことを考えやすい環境があったとか,いろいろあるかもしれないですね。
そういうある種の特殊性みたいなことを,少し気にしながら,こちらとしてはサポートして,研究としても整理をしていきたいなと思っているんですけどね。
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■自治会や商店街と,信頼にもとづいた本当の協働関係が築けるか

このプロジェクトのユニークな点は,先ほど言ったように地区でやっているでしょう? ふつうは全市でやっているわけです。そこで出てくるのはテーマ型コミュニティって一般的に言われる団体なんですよ。ここは基本的にたまプラーザとか美しが丘という限られた区域の中に,テーマ型のコミュニティがたくさんできているっていう状態なんです。
それで,そういう状態までつくりあげることができているってことが,多分すごく珍しいんですよ。
そういうテーマ型コミュニティがたくさん出てきていて,しかもすごく良好な関係になっているんですね。お互い助け合って。新しい社会的なつながりというのが,地域の中にどんどんできてきて,ふくらんでいるんですね。

一方,元々あった自治会さんや商店街さんという地縁型の組織が地域の中で果たしている役割が依然として大きいものでもあるわけですよね。
これから,少し考えなければいけないのが,そういう地縁型の組織の皆さんと、いかによい関係を築いて,地縁型、テーマ型を包含した住民の皆さんの新しい自治の体制とか関係づくりって言うんですかねえ。どういうふうにできるのかっていうのが,すごく大きなチャレンジだと思います。
普通はね,あるNPOさんが1個出てきて,そこと自治会さんがうまく手を組んで,自治会がやっていたこの仕事はもうそのNPOさんにお願いしようとか,そのNPOさんから自治会に若い人が役員として入ったりして自治会が活性化する例はすでに結構あるんですよ。
だけど,これだけ,いろんなテーマ型の団体が出てきていて,それをうまく自治会や商店街と結びつけながら,新しい地域社会のあり方をつくり上げるっていうのは・・・それが我々,横浜市さんや東急電鉄さんが考えている最終的な目標なんですけれど,どう着地すべきか,やりがいのあるチャレンジだと思っているんです。

組織対組織のおつきあいということもあるんですが,一番大事なのは,プロジェクトを推進されている中心メンバーの人たちが,どれだけ自治会や商店街の方と本当の意味で信頼し合って一緒にやれるかっていうことなんです。それが問われているんですね。
横浜市さんや東急電鉄さんがあいさつにうかがっておくっていうのはもちろん必要なんですよ。でも,それだけで,めざしているような本当の意味での協働関係ができるかって言ったらそうはならないので。
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■高3の時,理系なのに倫理が大好きになって・・・

僕は高校3年ぐらいまでは,ほんとにガチガチの理系だったんですよ。物理とか数学が好きだったんです。逆に言うと物理と数学以外あんまりできなかったんですね(笑)
それに,ちょっと,当時の共通一次テスト(現在のセンター試験)をしくじっちゃって,選択した科目と違う科目で受験しちゃったんですよ。おっちょこちょいなんで。それで浪人しちゃったんだけれども。
その共通一次を勉強するときに,当時は理系でも社会科で2科目取らなきゃいけなくて,1教科を倫理という科目を取ったんです。点が取りやすいってことで(笑)
で,倫理を改めて勉強し始めたら,すごい面白かったんですね。倫理には社会思想だとか,哲学だとか,さまざまなことが入っているんですよ。それを読んだら,大好きになっちゃって。浪人したら今度はそういう本ばかり読み始めて,全然勉強しなくなって,むしろ成績が落ちちゃったぐらいなんだけど(笑)
でも,その時に理系の中で一番社会的な問題に近いところって何なんだろうって考えて・・・今考えたらどの領域でも接点があったんだけれど,当時はなかなかわからなくて。
それで,建築っていうのは人が暮らしたりするものだから,社会との接点が一番あるものじゃないかと思って,その当時の僕の理解の中では一番人間寄りだったんですね。つまり,数学的なものから少し現実の社会に近づいた領域のほうにシフトしよう,ということで,建築学科を選んだんですよ。
で,建築に入ってみたら,・・・そうは言っても物理的な空間をつくるのが主なテーマなので,思っていた以上に技術寄りなんですよ。やっぱりね,教育としては。
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■都市計画との出合い

こういうのだとやっぱり人間の暮らしや社会というようなものになかなか接点が見えてこないな,と思っていたら,恩師の一人なんですけど,日笠端(ひがさただし)先生の「都市計画」と「住宅地計画」という講義と演習があって,それがすごく面白かったんです。
これは人間や地域社会に直接かかわれるような,一番自分の関心に近い領域だなと思って,広い意味で言うと都市計画と言うんですが,都市計画の世界に飛び込んだんですよ。
日笠先生は都市計画学会の会長をされていた先生なんです。その日笠先生が一番力を入れておられたのが,コミュニティ・プランニングとか,コミュニティ・デザインの領域。日本でこれを本格的に研究したり,実践されていた初めての先生だったんです。
地域で人が暮らすということにどうアプローチできるのか――大学の3年生ぐらいですかね。それで,目がパッとひらけて,そういう関係の会社でバイトをしたり,そういう業界について勉強し始めたんですね。
で,大学院でも専門的に勉強しようということで,都市計画が専門に勉強できる都市工学に来て,日笠先生の系統の研究室に入りました。もう日笠先生は退官されていて,直接ついたのは川上秀光先生でしたけど,そこにまた森村直美先生という先生がおられて,その森村先生が日笠先生と親しく,いろいろコミュニティレベルのことを研究されていて『コミュニティ・デザイン』という図書を日本で初めて出された方なんです。日笠先生は「コミュニティ計画」という言葉を使われたり,「コミュニティ設計」って時々書かれていましたが,コミュニティ・デザインという本は出されていなかったんですよね。

森村先生がやられていたのは,すでにできあがっているところで,どうやって住民が地域を自分たちで管理運営するんですか,ということとか,そのために必要な財源とか,ちょっとした空間としてこういうものがあるといいねとか。それから公園なんかも,勝手に作るんじゃなくて,地域の住民たちが自分たちで何がいいのか考えながら作ったほうがいいね,とか・・・。こういうようなことを70年代の後半にまとめられていました。
そして、僕らが研究室に入った80年代の後半の頃には,もう大学院の先輩が世田谷区の太子堂というところで,まちづくりやコミュニティ・デザインの実践をしていました。
僕は直接そのプロジェクトにかかわっていなかったですけど,先輩に連れられて,そういう現場に行ったりしました。最初はね,こういうことにどういう意味があるのかなって思ったりしていたんですが,だんだんその重要性っていうのがわかってきた。
日笠先生と出会ったことから始まって,そこからは自分の志向にかなった,都市計画という領域にどんどん惹かれていったということがあると思いますね。
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■動物が大好き。ワニから猿まで飼っていました

高校の頃,一番聴いたのはビートルズですね。友達の影響もあっていろいろな洋楽,ブリティッシュ系の洋楽が多かったけれども,レッドツェッペリンとかローリングストーンズなんかも聴いていました。自分でもギターを弾いたり。
でも,一番やっていたのは,部活ですよね。陸上をやってたんですけど。中距離・長距離です。それを一番一生懸命やっていましたね。中学の時は野球部だったんですが,部がつぶれちゃったようなかたちでやめて,次はサッカーか陸上と思っていたんですよ。一番仲のいい友達が陸上やってたんで。サッカーも仲のいい友達がいっぱいいたんだけど,じゃあ,まあ陸上やるかなって(笑) サッカー部の連中とも仲良かったので,サッカーもよくやって遊んでいましたけどね。
中学の時はフォークギターで,みんなでギター部を作ろうって言って,わざわざギターの先生を連れてきてもらって。かぐや姫とか南こうせつさんとか,そのうちだんだんオフコースとか。そういうのをやり始めたり聴いたりして。甲斐バンドとかね。
大学ではロックバンドをやっていた時期があって,ベースをやったりしていました。ポール・マッカートニーがすごい好きだったので。

今楽しいのは,サッカーですよね。自分では最近できなくなったけど,子どもに教えたり。子どもとサッカーをやれれば楽しいんだけど,もうやってくれないので,子どものサッカーを観戦したり,あとはプロのサッカーを見たりとか,ですよね。
それから学生とフットサルをやったりとか。最近学生がまたフットサルの企画を作ってくれて,少し盛り上がっているんですけどね(笑)

子どもは3人。上二人が男の子で一番下が女の子で。この間高校受験だったのが一番下の子で。
だから去年は家庭的にはなかなか大変でした(笑)  復興支援などもあったので。一番上が大学2年生,真ん中の子が高校3年生で,来年また受験なんです。
今家がマンションなんでペットは飼えないんですが,元々犬がすごく好きで・・・。
僕は動物が大好きです。小さい時から父親がいろいろ飼ってくれて。ほんとにいろいろ,ワニから猿まで。ワニっていってもこんな小さなのですけど。(出身地の)練馬区は農地が多くて,昔は田舎だったんですね(笑)

小泉秀樹(こいずみ ひでき)さん/1964年生まれ うお座
東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻教授 博士(工学)
東京都練馬区出身 
ポール・マッカートニー,サッカー,動物大好き

(写真/立山徹 構成/辺見真智子)
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まちづくりWho’s who vol.4
林 月子さん
(フラッシュモブ実行委員長)
今だから話します,
フラッシュモブのあれこれ。

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2013年11月4日午後2時,たまプラーザ駅北口のたまプラーザテラス・ステーションコートで,次世代郊外まちづくり住民創発認定プロジェクト,フラッシュモブ「たまプラー座だよ!全員集合!」が行われた。スタッフ・キャストのほとんどが,たまプラーザの住民。大人と子ども,およそ150人が参加した。
http://www.youtube.com/watch?v=jri0FgYPNzU

林月子さんロングインタビューもくじ
■私の原体験 みんなでやると楽しい!
■ワクワクが次の元気に繋がっていく・・・
■フラッシュモブ×ダブルダッチ  きっかけは・・・
■カプリオールは,このまちのヒーロー
■テーマを決めることは,とても大事なこと
■1,349人分のアンケートを回収・・・でも,ちょっとしんどくなった
■「モブっていいとも」
■「林さんに何かあった時は・・・」
■「雨が降ったらどうしますか?」
■「やべえぞ,これ。むちゃくちゃいいぞ」
■本番終了後のアンケート「たまプラーザがうらやましいです」
■もう一人の自分
■大きな恐怖,不安とプレッシャー
■動画の編集 一番いいシーンで全員が写るように
■この際,聞いておこう Q&A 

■私の原体験 みんなでやると楽しい!

私はお祭りが好きだから,こういうフラッシュモブみたいなことをやりたいなって思った・・・。でも,そういう発想をする原体験が実はあった,ということを思い出したんです。
私は岐阜県出身で,母の実家が岐阜県郡上郡八幡町というところなんですけど,ここは有名な郡上踊りのまちで,ほんとに小さい時から,その徹夜踊りに親戚でわーっと乗り込んでいくというのが,毎年の楽しみのひとつでもあったんです。
私は一人っ子なんですが,母が8人兄弟姉妹で,お盆とかお正月になると親戚中が集まる。すると何十人ってなって,みんなで雑魚寝をして泊まる。
そして,そこで演芸大会をやるんですね。それぞれの家族や子供たちが・・・みんな,なんかやるの,芸を(笑)
漫才やる人もいるし,うちの父なんかは手品を,私はいとこたちといつもだいたい人形劇をやっていました。
お正月までにストーリーを考えて,その登場人物の人形をデザインして,母から端切れや毛糸をもらって人形劇のお人形を作る。幼稚園ぐらいからそういうことをやっていて,ちょっと年上のいとこのお姉ちゃんがやっているのを見て,じゃあ次の時には私もああいうのをやろうって企画を練るわけですよ。
おじいちゃんは,扇子を持って講談をやったりとか,ピンクレディが流行っている時にはピンクレディの歌を踊るいとこがいたり・・・。
それがすごく楽しかったんですね。
それに夏は,お化け屋敷ごっこをやるんです。親戚のおばちゃんがゲゲゲの鬼太郎になったり,みんな本格的にメイクしてお岩さんやのっぺらぼうになって。
うちの父は毎回ドラキュラでした。それでいい演し物をした人には,おじちゃんなんかがお菓子をくれるわけ。「好きなの選べ」みたいな感じで。
そういうのがあったので,今のこういう私になったのかなって。
一人っ子だったけど,大家族の雰囲気を味わえる大事な時間だったんですね。みんなでなんかやると楽しいなあーっていうのは,今のフラッシュモブにつながっている気がするんです。
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■ワクワクが次の元気に繋がっていく・・・

おばあちゃんのうちっていうのは,ほんと昔の家で,当時水道とかなくて,樋みたいなもので山から水を水槽まで引いて,一つ目の水槽ではスイカを冷やしたり野菜や食器を洗い,それより一段低くなっている水槽で泥野菜を洗い,最後は鯉がいる大きい池にその水が流れて行って,鯉が食器についていた残飯を食べる。その流しは家の外にあって,中に入ると土間で大きなかまどがある。
何十羽って鶏がいて,近所の人が卵を買いに来る。で,親戚が集まるとおじちゃんがバーンと鶏の首をはねて鳥鍋にしたり・・・。
まわりはほんと山と田んぼばっかりで,おばあちゃんに大きなビニール袋渡されて,これ持って田んぼ走って来いって言われる。いとこたちと走ると田んぼに隠れていたイナゴがバァーっと飛び出して袋に入って,それがいっぱいになると,おばあちゃんがかまどで佃煮にしてくれて食べる。
それから鮎釣り。長良川の上流のほうなので,鮎解禁になるとおじちゃんたちが「おーい,川行くぞ」って言うと私たちは水着着たままジープの後ろに乗って,ほんとに道のない崖を降りて行く。そこでおじちゃんたちが鮎を釣っているあいだ,私たちは川で遊んでいて。しばらくすると釣ったばかりの鮎におじちゃんが串をガァーって刺して焼いてくれて「焼けたぞー」って呼ばれる(笑)
ほんとに野生の子ども時代。私が住んでいたのは市内なんですが,おばあちゃんのところに行くと自然がいっぱいあって・・・。
山の奥のほうにお墓があったので,お墓参りは山をずーっと登って行くんですね。時にはイノシシとかクマの死骸にも遭遇。ハエがワァーってたかっている。クマの死骸とかすごく怖いです。そこでアアァーってちょっと興奮するんです。
「ねえねえ,クマ死んでたよぉー」って(笑)
春には山菜採りに行ったりもしました・・・。そういう体験が今のイベント好きな自分を作った気がする。日常とはちょっと違うインパクトのある出来事にワクワクしたり,興奮することが次の元気に繋がっていくってことを,小さい時からなんか体感していたんだろうなって思います。
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■フラッシュモブ×ダブルダッチ  きっかけは・・・

一昨年(2012年)の夏以降,次世代郊外まちづくりのワークショップに参加させていただくなかで,改めて自分とまちのかかわりについて考えるようになってきたんですね。私は3人の子どもをこのまち,また,このまちの人たちに育ててもらった。そのご恩返しに少しでも繋がるのならばという気持ちでPTAの会長などもお引き受けしてきました。
それまでは,誰かがこのまちをいいまちにしてくれないかなって思っていたんですね。子どもたちを育てるのに,安全で安心なまちに誰かがしてくれないかなーって思っていたんだけれども,自分がPTAや自治会のことをやらせていただくうちに,あ,誰かにお願いすることではなく,自分たちがやらないといけないことなんだなって思い始めるようになった。でも,実際にどう行動に移していいかわからなかった。
そんな中で次世代郊外まちづくりのワークショップに参加してみて,ほんとに具体的に自分が考えていることが,どんどん引き出されていった。あ,私はこういうふうに思っていたんだ,こういうまちになったらいいなって思っていたんだってことが自分の中で再確認する作業をさせていただいた。
というのと同時に,フラッシュモブというのが世の中で流行っていて,TVやYouTubeで見て,フラッシュモブという名前も知らなかったんだけど,面白いなって思っていた時に,ちょうど「たまプラ大学」で松田さん(株式会社ワコールのアートプランナー)のお話を聞いて,あ,たまプラでもできるかも,と思った。
それと,私はダブルダッチ(2本の縄を使って跳ぶ縄跳び競技)にかかわっているのですが,私が調べた限りではダブルダッチでフラッシュモブをやっているものはなかった。ということは,ダブルダッチでフラッシュモブをやれば,多分それは世界初になるし,私が声をかければ,すごくたくさんのダブルダッチ界の人たちが協力してくれると信じていたからダブルダッチでフラッシュモブをやりたいと思った。
たまプラーザで,フラッシュモブをダブルダッチでやる。それをやることによって,たまプラーザのまちもダブルダッチも注目を浴びる。いいことばっかりじゃん,って思ったのが最初です。
この話を初めに相談したのが,カプリオール(ダブルダッチパフォーマーのプロチーム。世界大会2連覇)が所属しているプロダクションの社長で,それが4月の4日か5日。
それから簡単な企画書をつくって,石塚計画デザイン事務所(次世代郊外まちづくり住民創発プロジェクトのコンサル担当)の東京事務所トップの千葉さんに相談に行きました。それが5月の初めです。そしたら,面白いねって話になり,せっかくだから住民創発プロジェクトとしてやったら,いいんじゃないかって。
まだ,横浜市・東急電鉄の「基本構想」(*1)も何も出ていない頃です。でも,この企画だとダブルダッチの宣伝にしかならないから,シビックプライド(*2)的な要素を入れたほうがいいと。  
それから,私はシビックプライドについて,ちょっと調べて,どういう要素が必要なのかとか考えて,その後の5月の個別相談会ではストーリー性が必要だ,シナリオを書いてみたらと・・・いろんなアドバイスをいただきました。

(*1)横浜市・東急電鉄による「次世代郊外まちづくり基本構想2013/東急田園都市線沿線モデル地区におけるまちづくりビジョン」 
(*2)シビックプライド まちに対して持つ誇りや愛着
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■カプリオールは,このまちのヒーロー

それから,ダブルダッチをやるのだったら,もちろんたまプラから育ったチームのカプリオールに出てほしかった。カプリオールが出ないと意味がないと思ったから,まずカプリオールの10月,11月の数日のスケジュールをおさえておきました。ダブルダッチが上手なチームや,スケジュールが空いているチームは他にもいたと思うけど。カプリオールは,このまちのヒーローだし,この街のシンボルだと私は思ったから。
カプリオールは,まだ体育系大学の予備校生だった頃から毎年,たまプラの夏祭りでパフォーマンスをしてみんなに拍手をもらって応援してもらってきたチームです。
私の子どもたちがこのまちに育てられたように,カプリオールも,やっぱりこのまちに育てられて世界のトップパフォーマーになった。カプリオールはこのまちの誇りだから,カプリオールと一緒にフラッシュモブを行うことにこだわったんです。
私が初めてダブルダッチに出会ったのは,14年ほど前,子どもたちを連れてたまプラーザ夏祭りに行った時。ダブルダッチを見て「何あれ???」って思ったその感動が美しが丘ダブルダッチクラブの設立につながっています。
だから,最初に私が考えたストーリーは,そういう私の実体験をフラッシュモブのなかで描きたいなっていうのがあったんですね。フラッシュモブを観た人が,「何これ???」って私のように感動したら,また何か新しいことがこのまちのなかで生まれるんじゃないかって。
フラッシュモブのエンディングシーンは,私と娘に見立てた親子連れがカプリオールに駆け寄って「おにいちゃん,今のは何?」って聞いてカプリが「今のはね・・・」って答えてる。それをバーッとカメラを引いて撮る。そういうのにしたかった。実際は全然違うものになっちゃたけど・・・。
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■テーマを決めることは,とても大事なこと

モブのテーマは「そだちあい」にしたんですが,そのテーマを決めるまでに実はとても時間をかけました。
最初私はテーマってそんなに大事なことなのかなーって思っていて,フラッシュモブを駅前で,こういうパフォーマンスにしたいっていうのはもうイメージとしてあったので,それができれば,テーマなんて別にいいのに,と思っていたんだけど,石塚計画デザイン事務所の方たちと相談するたびに「テーマをまず決めましょう」と言われたんですね。「テーマはとても大事です」って言われて。
それはなぜかっていうと,これからこの企画をプロジェクトとして進めていくなかで,いろんな意見が出てきた時に,そっちに流されてしまうことがあるかもしれない。ほんとに私がやりたいと思っていたことからブレていく可能性がある。その時にテーマさえきちんとしていれば,またそこに立ち戻って,最初の私のイメージどおりのことをちゃんと実行することができる。方向性がブレた時に,また基軸に戻すことができる。
だからテーマがものすごく大事だと。そうしたアドバイスをいただき,今回のフラッシュモブを通して何を得たいのか,何のためにやるのか,実行委員会のなかで何度も話し合って,私はどうしてこういうことをやりたいと思ったかをみんなで共有して,そうして「そだちあい」というテーマが生まれたんです。
みんなで一緒にやることのなかに「そだちあい」がある。
例えば私が誰かに何かを頼まれて,ちょっと大変だなって思っても,それをやってみることによって,前よりちょっと上手く出来るようになっていたりする。反対に私ができないことを誰かに助けてもらったりすると,その人もちょっと上達したりしている。何かを一緒にやることによって,それぞれが育ちあっていくのだなって思ったの。
私が誰かのために何かお手伝いをすると,「ありがとう」って言ってもらえる。そのことがとても嬉しくて,「ありがとう」って言ってくれて「ありがとう」って。「ありがとう」のシェア,そういう感じを大事にしたいなーと思うんです。
「このまちのそだちあいがたまプラーザから日本中に広がっていきますように」
ワークショップのなかで,どんなまちにしたいか,何回も問われる場面がありました。私はそのたびに,たまプラは「おしゃれなまち」とか「便利なまち」っていうイメージがあるけれども,そうではなくて「人が育つまち」とか「やさしい人が住んでいるまち」とか,そういうイメージのまちにしたいなって,ずっと思っていた。
フラッシュモブの当日までにはいろいろな大変なことがあったんだけど,テーマをちゃんと決めたことによって,そのテーマに助けられながら,導かれながら進めていくことができた。
テーマというものが本当に大事なものだということを知ることができたのは,私の財産ですね。そういうことを教えてもらえてほんとによかったなーって。
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■1,349人分のアンケートを回収・・・でも,ちょっとしんどくなった

石塚先生(石塚計画デザイン事務所代表取締役)からは,「まちの人たちがどういうことをしたいって思っているかがすごく大事だよ」「林さんがやりたいやりたいって言ってるだけじゃなくて,みんながどう思っているかということが大切だよ」と言われました。
そこでまちの人たちがたまプラーザでフラッシュモブをやることについてどう思っているかっていうアンケートを実施し,1,349人分を回収することができました。
そして,このアンケートの結果から,ほんとに多くの人がフラッシュモブをやりたいと願っていることがわかりました。
これだけの人数のアンケートをとるのって結構大変だったんだけど,私一人でやったんじゃなくて,私が誰かに頼むと「わかったー。配っておきますよ」って,それをもらった人がまた誰かに配る,というようにどんどん広がっていった。で,その時に「何? フラッシュモブって」って知らない人が多かった。それで,みんなが「フラッシュモブっていうのはね・・・」「シビックプライドっていうのはね・・・」って私に代わって説明してくれる。それを聞いた人がまた誰かに説明する。私はそのことがすごく嬉しかったんです。なんとなく,まちのみんながフラッシュモブという言葉でつながったみたいで。たくさんアンケートが集まったことも嬉しかったけど,このこと自体がシビックプライド的だって感じた。
だから,このアンケートをとっただけでいいや,もう十分っていう気持ちになっちゃった。アンケート集めで結構疲れちゃったし。そしたら,関さん(実行委員)が「ダメだよ。最後までやらないと」って。それにまちのみんなもフラッシュモブをやりたいって思い始めていた。「いつやるの?」「何やるの?」「やるならこういうことやりたい」っていう声が出てきた。もうフラッシュモブは私だけの夢ではなくて,みんなの夢になっちゃったんだなって感じた。私が言い出した以上,最後までやりとげないといけないなーって。
まちのみんなのフラッシュモブをやりたいという気持ちが背中を押してくれることになった。でも本当にできるかできないかもわからない,やりたい場所でできそうにもない,これだけみんながやりたいって言ってることをほんとに私がまとめきれるのかっていう怖さもあった。
そんな時に思ったのは,これって出産みたいなものだなって。妊娠しちゃった以上生むしかない。そして私は子ども3人生んでるから,多分大丈夫だろうって。きっとみんなが協力してくれる,これだけの人たちの思いがあるなら大丈夫,頑張ろうって思ったんです。
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■「モブっていいとも」

いろんなもので「モブ」(踊っている様子とか)を表現する「モブっていいとも」。上はフォカッチャで,下はハンバーグ。みんながいろいろな作品の写真を送ってきてくれた。これと応援メッセージのスライドショー。
みんなが願っているんだよーってことをアピールしたかったし,みんながやりたいと思っている気持ちをキープしよう,という気持ちもありました。
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■「林さんに何かあった時は・・・」

私ひとつだけ,これは私が絶対やらなきゃいけないな,と思ったことがあって・・・それは,謝ること。
私は実行委員のメンバーとかにいろんなことをふります。これやってあれやってって。でも,何かあったら私が責任をとる。私に出来るのは謝ることだけだと。
謝ることって大変だけど,私はそれを子どもたちから教えてもらったのね。子どもたちがいろんなことをしでかしてくる。そのたびに私は親として謝りに行く。子どもが生まれるまでは,人に迷惑をかけないようにって思って生きてきたから,そんなに人に深々と頭を下げたことはなかったです。
ある時なんて,うちの5階の窓から下に物を投げて,他人様の車の屋根を壊してしまったり・・・他にも本当にいろいろあった。これまでに経験したことのないことばかり。菓子折りを持って謝りにいくって大変なことだった。
夫とは「他人に頭を下げる経験をさせてくれるために,この子たちは生まれてきたのかもね」って話しました(笑) 人に迷惑をかけないで生きていこうってずっと思ってきたけど,人に迷惑をかけながらじゃないと生きていくことなんてできないんだなって。迷惑をかけないで生きていけるなんて思っていた私たちってなんて傲慢だったんだろうって。そのことを気づかせてくれたのが,子どもたちだったのね。
当日一番怖かったのは,けが人が出たらどうしようってこと。例えばバック転した時足が観ている一般の人にあたってけがをさせたり,もしかしたら裁判になることだってあるかもしれないし。当日打ち上げの場所に私はいなくて,どこかの病院で付き添っている,ということも想定していました。
もちろん保険は全員にかけました。ただ,私だけは契約者なので保険がかけられなくて,林さんに何かあった時は,何もおりませんって言われて(笑)
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■「雨が降ったらどうしますか?」

本番が近くなったある時,ヤビっち(カプリオールのメンバー)から「林さん,雨が降ったらどうしますか?」って聞かれました。
「僕は雨バージョンでやりたい。傘をさしながらみんなで踊るものを考えているので。それはすぐできるから,僕,当日の朝リハーサルで教えるので,どうですか?」って提案があって。
それは私の考えとは違っていて,私はやっぱりみんながこれまで練習してきたものを最後に一緒にやりたい。今までせっかく練習してきて,それを発表する場がなくて,じゃあその日にすぐできるカサを持ったのをやったとして,みんなが満足できるかな,と思ったんです。
そのことをヤビっちに言ったら,「わかりました。そうしましょう。でも,雨降ったらどうしますか?」って。
「じゃあ,雨降ったらフラッシュモブでもなんでもなくなるけど,学校の体育館で,すごい素敵な動画を撮影することにフォーカスして,やりましょう」と。
そして,11月4日。前日の夜中から雨が降り出して,当日の午前中にやんだ・・・。これぐらいだったら,できるんじゃないか・・・。それが一番いやなパターンだった。
午前中体育館でリハーサルをやっている時に,フラッシュモブ実行場所のステーションコートで待機していた東急電鉄の岡本Jさん(岡本さんがお二人いらっしゃるのでお名前からJさんと呼ばせてもらっていました)と電話でやりとりをしていて,もう1時間ごとに「林さん,今,雨降ってます」「今やみましたけど下が濡れてます,どうしましょう」
駅のステーションコートでやるか体育館でやるかの最終ジャッジは,12時にするって決めていたんですね。でも,12時にはジャッジできない状態だった。12時に現場を確認して私とカプリで決めるってことになっていて,リハーサルが終わって駆けつけました。
そしたら,雨はやんでいる。下もそこそこ乾き始めているけど滑る。「これできるんじゃない?」って言ったら,カプリの人たちは「僕たち怖くてこんな滑るところでできません」って。
「でも,一部のパフォーマンスだったらできます。ダンスも横ステップはできません。縦の動きのみだったら可能です。走るのもナシです」で,「できることだけで,今から1時間で僕がパフォーマンスの内容を変えます」ってヤビッちが言い切ったのね。
それでヤビっちは体育館にもどって,ニコニコしながらみんなにすごくわかりやすくダンスの変更点を説明した。
ところが,あとでヤビッちに聞いたら「どうしよう,どうしようって思ってましたよ~」と。そんな心の動揺を一切みんなに悟られることなく,説明したヤビっちを私はほんとにすばらしいと思う。尊敬します。
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■「やべえぞ,これ。むちゃくちゃいいぞ」

体育館ではそういうひとつの物語ができた。かたや実行場所のステーションコートでは,Jさんや市川さん(東急電鉄)が雨で濡れたタイルをモップで拭いてる。でも,モップがびしょびしょので拭いてるから,私がそんなので拭いたらダメダメって言って,ようやくテラスの担当の方から雑巾や新聞紙が届いて,それでバーッと拭いて。
ステーションコートには,フラッシュモブが行われることを知ってる人たち,ほかのまちのダブルダッチのチームの子どもたちや,美中の校長先生もみえていた。その人たちみんなに「ちょっと拭いて拭いてー」って言って(笑) 拭いてると,知ってる人が通りかかって「林さん何やってるの?」って。「あ,ちょっとね・・・,拭いてー」って頼んで。もうみんなで拭きまくって,地面はパーフェクトな状態になってきたんです。
その段階で実施する時間の変更もしました。1時半と2時半の2回やる予定だったけど,まず2時に1回やるってことにして。
そこにカプリオールが到着して,私が「完璧だよ。できるよ。みんなで拭いたんだよ」って。
カプリは「なんかすごく拭いたことによって,ただ乾くよりもものすごくキュッキュッってなって,最高のコンディションになった。やべえぞ,これ。むちゃくちゃいいぞ」って(笑)
最初から晴れていたら,あんなおまけのような感動の物語は生まれなかった。もちろんパフォーマンスも最高だったし,そこまでのいろんなことも素晴らしかったけど,あの瞬間にみんなの「ステーションコートでパフォーマンスをやりたい」という気持ちがこんなにもひとつになった。あの瞬間こそ一番の感動だなーって,思いました。でも,その場面を誰も撮ってなかった・・・。
まあでも,こんなふうにみんなの言葉で語り継いでいくことも,もうひとつの素敵なことかな,と思っています。
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■本番終了後のアンケート「たまプラーザがうらやましいです」

本番終了後のアンケートには,ほんとに嬉しい感想をいっぱい書いてくださった。ものすごくたくさん書いてくださった。
アンケートに答えるっていうアクションを起こしてくれたこともすごく嬉しかったですね。
ほかのまちの方からの「たまプラーザがうらやましいです」「私のまちでもこんなことがあったらいいのに」「たまプラーザに住みたいと思いました」などという感想や,キャストの方からの「顔見知りが増えて,今まで知らなかった人と仲良くなれた」「今度やる時は何かお手伝いしたいです」「たまプラーザの人みんなが家族に思えました」という感想はとても嬉しかったです。
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■もう一人の自分

自分にふりかかってくることって,全部自分に必要だから与えられているんだろうなって思うんですね。出会う人とか出来事とか。それは楽しいことも嬉しいことも嫌なことも辛いことも全部,私がこの先,生きていくために必要だから私の身に起こっているんだろうな,と思った時に,ああ有難いなっていうふうに思う。
大変なことを乗り越えた時には,それまでとは違う自分がいるはずだから。悔しい思いや悲しい思いを経験することができたことが,また新たな自分を作り出していると思うから,すごく全部が有難いなって思う。
嫌なことや大変なことがあると,ちょっとワクワクするのね。もちろん嫌だなーと思うけれども,「こういうことに対して私は嫌と感じる人なんだ」って,改めて自分を知ることができるし,乗り越えた先に今とは違うどういう自分が待っているんだろうって・・・ちょっとワクワクする。私は今この嫌な場面をどうやって乗り越えていくんだろう? って,もう一人の自分が自分を見ている感じ。
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■大きな恐怖,不安とプレッシャー

出産に例えて言うと,去年の11月4日っていうのが出産日だとしたら,そこに向けて頑張ってきて,フラッシュモブが成功したっていうのは無事に元気な赤ちゃんが誕生したっていうのと同じ。
生まれちゃったら,生みっぱなしではだめで,それを責任をもって素敵に育てていかなくてはいけないってことが,まあ薄々とは感じていたけれども,ほんとに終わった瞬間にそういうプレッシャーがブワァーっと襲いかかってきた。
その時にそういう不安を関さんとか石塚先生にお話ししたら,関さんは「一人で育てていくのは大変だけど,みんなで楽しく育てていけば大丈夫だよ」って言ってくれた。
石塚先生も「一人で考えちゃだめだよ」って。「みんなで考えていくんだよ」って。
自分の子育てと照らし合わせた時にほんとにそうだなって思いました。そう言えば,私もいろんな人にお世話になって子どもを育ててきた。それと一緒だ,と思って。一人でいい子に育てよう,立派に育てようと思っても,それは無理で,こんなにたくさんの150人の赤ちゃんが生まれたんだから,またそれをみんなで育てていこう。そこからが「そだちあい」。また「そだちあい」が始まるんだなって。これからが,ほんとにスタートだなって。
私はフラッシュモブが終わったら,脱力して,しばらく何も手がつかなくて,あー終わったーって,もぬけの殻みたいになっちゃって,もしかしたら,ちょっとしたウツ状態になるかもしれないなーって思っていたんですね。それまですごく大変な時期もあったから。本番当日までの1か月ぐらいはすごく忙しかったし。でも,実際は全然違って,終わって成功して感動もしましたけど,それ以上にものすごく大きな恐怖,不安とプレッシャーがあってウツになってるどころじゃなかったですね。この先はどうしたらいいだろうって・・・。
フラッシュモブが終わるとみんなから「次はいつやるの?」「何やるの?」「こういうことやりたい」っていう声がいっぱい出てきた。その声をやっぱりみんなでシェアしたいな,と思って,3月7日にワークショップをやります。([モブメイキング上映会&わ~く★ワークショップ]たまプラーザテラス・プラーザホール 午後6時~)
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■動画の編集 一番いいシーンで全員が写るように

動画編集は,ヤビッちがなるべく全員が映り込むように頑張ってくれました。ものすごい膨大な撮影データがもともとあるんですね。いろんな方向から9台のカメラで撮影していて,それを全部見て,一番いいシーンで全員が写るように,ものすごく時間のかかる作業だったらしいんだけど。
でも,どうしても数名,編集の段階で写らない子がいる。できあがった動画を見た時に,あ,私出てたのに写ってない,僕写ってないって淋しい思いをする子が絶対いると思うから,(YouTubeのほうには付けなかったですが,)DVDにはキャスト・スタッフ全員のお名前をエンドロールに載せました。
メイキングムービーのほうは,もっと大変で,体育館での練習とか,いろんなシーンを複数の人が撮っているので。そのデータのチェック作業だけで,ものすごい時間かかって。でも,メイキングはもうすっごくよくて,そこにこそ「そだちあい」がある。それはね,出演した人しか感動しないかもしれないけど。
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■この際,聞いておこう Q&A

(家族の食事づくりは手抜きしない?) 子どもが小さい時は安全なものを食べさせたいという思いから,なるべく手作りのもの,基本的には私が選んだ材料で私が作ったもの,を大事にしてきました。
で,今は息子二人,中3と高2は反抗期であまり口をきかない。会話が少なくなる。こちらが話しかけても「うー」とか「あー」しか言わない。むこうから「ねえ,ママ・・・」って言うことはない。
でも,私が作ったごはんを食べる。私が作ったお弁当を,ありがとうとか言いませんけど,黙って持っていって全部食べてお弁当箱を戻す。次の日また持っていくことで,心がつながっている気がして。だからお弁当は,自己満足なんですけど,「こんなもの食えるか」って言わずに持っていって食べて帰ってくるだけで,私はまだこの子たちに必要とされているんだなーって。それが信頼関係。もちろん心のどこかでは感謝してると思いますよ。

(美しいスタイルはどうやって維持していますか?) 太らないようにはしています(笑) やっぱり代謝が悪くなって,痩せにくくなってきました。もともとそんなに太るほうではないですけど。すごく食べ過ぎちゃったな,と思ったら翌日は1食抜くとかはします。あとストレッチとか。
(お酒は?) すごく飲みます(笑) 最近はワイン。
(カロリー的にお酒はどうなんですか?) お酒飲むと太りますね,やっぱり(笑) 

(美容のために何か努力してますか?) 私,髪の毛も自分で切って美容室行かないし,化粧品も全然気にしなくて,クレンジングも一番安いので,洗顔石鹸なんか使ったことなくて,子どもが手を洗うので洗ってるし,化粧水とか乳液,美溶液もつけなくて,ニベヤがあればニベヤだし,ワセリンがあればワセリン,馬油(ばーゆ)があれば馬油。アトリックスとかも。その時その時あるもので。化粧下地もそれで。あとは日焼け止め塗るぐらいで。
(ハンドクリーム顔に塗ってて大丈夫ですか?) 全然,大丈夫。

(毎日,日の出前から起きてて,早起きだけど,睡眠時間は?) 今は5時半に起きてますけど,子どもの時からすごい早起きだったんです。目が覚めちゃうの。親とかに起こされたことがない。「もう少し寝てなさい」って親に言われても,寝てられなくて,その時は集合住宅の社宅だったんだけど,朝早く起きてもやることないから一番上の階から下の階までの階段を勝手にほうきで掃いて水撒いたりしてたの。そしたら近所の人がみんな「いい子だね」「いい子だね」って言ってくれて。奉仕活動は小学生の時から自主的にやってる(笑) その代わり夜は早く寝ていました。今でも,何もなければ夜は9時とかには寝ます。
(毎晩2時か3時まで飲んでいるという噂ですが・・・) いやいや。そんなことは1年に1回か2回ですよ(笑) 全然全然! 違う違う! そんなことしてない(笑) でも,2時に寝ても朝は早く起きます。

林 月子(はやし つきこ)さん/乙女座
「たまプラー座だよ! 全員集合!」まちの人たちでつくるオリジナルパフォーマンス
フラッシュモブ実行委員会代表・美しが丘ダブルダッチクラブ主宰
たまプラーザ在住 2男1女の母 

(写真/立山徹 構成/辺見真智子)
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まちづくりWho’s who vol.3
秋元康幸さん(横浜市建築局)
いろんな人が絡んでくることが,
街の面白さの重要な要素です。

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秋元康幸さんロングインタビュー もくじ
■「みなとみらい21」から「都市デザイン」,「創造都市」そして「たまプラ」へ
■アーティストたちが面白いことを発想して,街の人たちを巻き込んでいく。
■AOBA+ARTのこと,フラッシュモブのこと
■事業化するには,もうワンステップ成長しないと,アイデア倒れになる。
■中間支援組織としての「3丁目カフェ」
■湘南育ちです。

■「みなとみらい21」から「都市デザイン」,「創造都市」そして「たまプラ」へ

私は昭和58年頃から「みなとみらい21」の仕事をしているんですが,その頃は造船所の建物の撤去が進み、まだ埋め立てが全然できていなくて,なんにもなかった時代です。着工式とかやっていた時代ですので。20代のころです。その後,都市デザイン室で景観行政をやったり,創造都市推進部でアーティスト,クリエーターたちとおつきあいしたり,これまでの半分ぐらいは横浜都心部のまちづくりの仕事をしてきました。
残りの半分弱ぐらいは郊外部の市民参加的な仕事です。都市計画局の市民参加推進プロジェクト,これは高秀市長の時なんですが,市民参加をどうやるべきか,直接いろんな市民の方と議論をして仕事をやってきたという経験もあります。
そういった意味では,今回のたまプラーザのケースは,私としては,違和感なくやっています。
都市デザイン室の仕事は,どちらかというとハードな,建物の形や景観を重視して美しい街を作ろう,というようなことが中心ですね。赤レンガ倉庫などの歴史的建造物を大事に残していこうという仕事や,伊勢佐木町や元町の商店街を整備していこうとか,人が歩きやすい街にしようとか,そういったことを都市デザイン室が中心になってやってきました。あと水辺の空間や緑を大切にしていくとかですね。
その次にやった創造都市推進部の仕事は,都市デザインのハードなまちづくりに対して,もう少しソフト的なことをやりましょう,というような仕事です。人と人とがどうやってコミュニケーションを作っていくか・・・アーティスト,クリエーターたちと街の人たちと交流してもらう。そうすると,いろんな議論が発生してくるんですよね。
新しい面白いことを彼らが考えてくれますので,街の人たちと一緒になって,そういった面白いことを実現していこう,そういうことを通して,活性化した街を作っていこう,というのが創造都市の仕事なんです。
横浜ならではの歴史的建造物や古い建物を使ってアートスペースやクリエイティブな拠点をつくるとか,その延長線上で,アーティスト,クリエーターたちに横浜に住んでもらうとかね,そういった仕事をしていました。
また,創造都市として,もうひとつの大きな仕事は,「横浜トリエンナーレ」です。トリエンナーレは3年に一度という意味なんですが,前回,2011年の第4回展の事務局長は私がやりました。こういった現代アートで街を作っていこうというような仕事は,この創造都市の時にかなりやっていました。
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■アーティストたちが面白いことを発想して,街の人たちを巻き込んでいく。

(次世代郊外まちづくりの)AOBA+ARTさんも,そういう意味で,現代アートで少し街を変えていけないか,ということで頑張ってやられていますよね。ああいうことをうまく都心部で展開できないか,というのが創造都市の事業で,文化・芸術で都心部を活性化させようという,AOBA+ARTのもうちょっと大規模なものを都心部でやっていこう,という事業だったんです。
現代アートの中で,街の人たちと一緒に作っていくアート―コミュニティアートと言われる分野があるんですが,こういう分野のアーティストの人たちは,街との相性がいいですよね。
横浜市では,そういったアーティストの方たちを呼び寄せて「アートを通したまちづくり」をしようということで,ヨコハマ創造都市センター(YCC)を中心に活動を行っています。今年,私たちの後輩たちが,「創造都市横浜アーティスト・クリエーターリスト2013」というのを作りました。
10年ぐらいこういった創造都市の事業をやって,これだけの数のアーティスト,クリエーターたちが横浜都心部で働いてくれているということなんです。いろんな面白い人たちが横浜の都心部で住み始めている,働き始めているってことですね。
やはりそういう人たちがいると街が変わってくるんですよね。AOBA+ARTも彼らがいろんな面白いことを発想して街の人たちを巻き込んで,それでやっていこうという動きを作っています。
そういった動きが一番街を活性化させていくんじゃないかなと思います。
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■AOBA+ARTのこと,フラッシュモブのこと

(AOBA+ARTのことは)・・・期待していますね(笑) とくに青葉食堂はすごく面白い仕掛けだと思います。ああいう新しい発想が出てくると,街は面白くなりますよね。
(注:「青葉食堂」 黒板型作品に今晩のメニューを記載して門扉などに掲示してもらう参加型コミュニティアートプロジェクト。11月に協力住宅を回って黒板の献立をおすそわけしていただく「青葉食堂~わたしのお庭で会いましょうツアー」を開催した。)
結局,街というのは,住んでいる人だけが何かやろうとして一生懸命考えても,なかなか発想が展開しないんですね。
AOBA+ARTもそうですが,外から来ている人,アーティスト,クリエーターの人たちは,外から見ていますので,そこでたまプラでこういうことをやったら面白いかな,みたいなアイデアが出てきて,それと食事を作るお母さん方が組み合わさった時に,面白い仕掛けができるんですよね。
そこの仕掛けづくりみたいなものの「場」を行政やまちづくりをやっている人がどうやって作れるか,ということが郊外のまちづくりの中でもで非常に大事なことかな,という感じがします。
住んでいる人だけだとどうしてもね,なかなかこういった交流のきっかけができないんですけど,ちょっとアーティストが入ってくることによって,それができるんですね。
「フラッシュモブ」もそうじゃないですか。松田さんというアートプランナーの方が,たまプラ大学でフラッシュモブを紹介されて,カプリオール(ダブルダッチのプロチーム)やクリエーターの人たちが地元の人たちのアイデアをいかしながら力を貸して,それで地元のいろんなことも組み合わせながら,面白くやっていきましょうよ,ということを呼びかけたわけでしょ。すると,そこにいろんな議論が出て,そして面白い仕掛けが出てくるってことなんですよね。
いろんな人が絡んでくることが,街の面白さの重要な要素だと僕は思うんです。
今回は東急電鉄さんが入ってくるし,外部のいろんなアイデアを持った人たちが入ってくる。そして当然,地元の人たち。地元の人たちも住んでいる人たちとか商店街の人たちとかいろんな方たちがいます。その人たちが議論をすることによって,アイデアが出てきて,それをなんとか実現させようっていう意志が出てくると,街っていうのは,ものすごく面白くなるんです。で,どんどん活性化されて,その中で,多分,街の課題のようなものも,なんとかみんなで克服していこうっていう動きにつながっていくと思うんですね。
フラッシュモブみたいな,ああいういろんな立場の人の交流というのは,街という中では,一番大事な要素だな,と思っています。そういった意味でフラッシュモブは非常に面白い試みでしたね。いろいろ工夫して、今後の展開につなげてほしいですね。
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■事業化するには,もうワンステップ成長しないと,アイデア倒れになる。

来年度については,やり方を今考えているんですが・・・新しいものというよりは,今いろいろ出ているプロジェクトをフォローさせてもらったほうがいいかな,と考えています。いろいろな活動がありますので,同じような活動をマッチングしたり,お互いに議論していただくとか。
アイデアだけ出して終わってしまったのでは,しょうがないんで,その中でもいくつか実現していく方向でやっていかなければいけないと思っています。
事業にしていくには,もうワンステップ成長しないとできないんですよね。アイデアは誰でも出せるんですが,それを事業化するには,まず体制をどうするか,とか,お金をその中でどうやって回せるか,とか,いろんな意味でシステムとして回していかないと事業になっていかないので,もうワンステップ上っていただかないと,ダメなんですよね。
そのための知恵をどこかから吸収する。または先行的に活動されている方とか,NPOで事業としてちゃんと回している方の話を聞く。どういう課題があって,じゃあどういうことをやれば動くのか。それを勉強していくってことをしていかないと,アイデア倒れに終わってしまいますよね。
そのことは,いろんな形で支援させていただきたいと思っています。どんな形がいいのか,いろいろ考えているんですが。ただ単に同じようなことを考えているグループだからといってマッチングさせても,じゃあ一緒になりましょうとはならない時も結構あります。グループの相性みたいなものもあるし。
かといって自分たちだけではできないんで,少し横つなぎの緩いネットワーク,このたまプラnetworkもそうなんですけどね,いろんな情報が入ってきて,あそこではこういうことでうまくやってるよ,とかね,ここではちょっと止まってるみたいだな,というような情報のネットワークも必要でしょうね。
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■中間支援組織としての「3丁目カフェ」

専門的には,中間支援組織と言っているんですが,東浦さん(東急電鉄)はまちづくり株式会社とか第4セクターとか言われていますけど,そういったものをなんとかうまく作っていかないとダメですよね。そういう力のあるグループをうまく育てていかないと。そこがいろんな相談にのるとか,情報をつなぐとかするわけですね。
住民創発の事業というのは,急激にポーンと今年アイデアを出して,来年勉強して,再来年事業化して・・・トントントンとうまくいく場合もありますが,そううまくいかないこともあるんですよ。アイデアとして何年か温めていて,そこにたまたま新しいアイデアを持った人が入ってきて,パーっと花開く場合もあります。
それは,いろんな人と人との出会いとか,タイミングとかがあるんで,それをうまくつないでいけるような緩い組織が必要なんじゃないかな,と私は思っています。
こういう情報のネットワークもひとつそういう役割があると思いますし,あと場所的にもね,人が集まって情報交換できるような場が必要かもしれません。それは多分たまプラで独自に作っていかないといけないかなと思います。
自然と人が集まってくれるような場所。カフェなんかも本来そういうような場所としてあるべきなんですね。
「3丁目カフェ」(次世代郊外まちづくり住民創発プロジェクト)のようなコミュニティカフェになると,そこでお茶を出す人を中心にして情報が回るような仕組みができる。その人がいろんな人の情報を聞いて,必要な人にまた流すということができます。そういった拠点ができてくるとかなり面白いことができるかなという感じがしますよね。
たまプラらしい拠点をどうやって作っていくか,これからの皆さんの工夫次第ですが,その工夫はなにか考えないといけないかな,と思っています。
横浜市の創造都市の場合は,「創造界隈拠点」として「BankART」というのがあります。NPOにお願いして作ってもらっている拠点です。そこにカフェがあって,横浜市はあんまりお金出していないんで,NPOの人だけじゃなくて,アーティストがカウンターに入ってお茶を出していますよ。だから,そこに行けば,アーティストとかクリエーター関係の人がお茶を飲みながら,いつでもお話ができる状況になっているんですね。
拠点というのは,たまプラ大学で延藤先生がおっしゃっていましたが,主(あるじ)と場所なんですね。要するに人と場所なんですよね。両方がそろわないとうまくいかないんです。そこにちゃんと中心になる人がいるとうまく情報が流れて,発展していくんです。たまプラの場合,どういう場所でどういう人が中心になったらいいのか,というのは皆さんで議論して作り出していかないといけない。
たまプラには,そういう中心になる人たちがいるので,ものすごく可能性がある地区だと思うんですね。
また,外の人が入ってきたいっていう魅力を持っているんです。それはすごく大事だと思いますよ。
これから,たまプラでしかできない仕組みを作っていくってことですね。
まちづくりは,急に作るよりは,時間をかけながらじっくり作っていったほうが私はいいと思いますよ。役所は異動があるんですが,私は万が一異動しても,たまプラの人たちとずっとおつきあいさせていただきたいと思っていますので(笑)
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■湘南育ちです。

私は,藤沢の湘南近辺で育ちました。うちの父親は戸塚の出身で,母親が藤沢で,横浜市と藤沢市と隣町みたいなものですよね。
(サーフィンとかは)いや全然(笑)湘南のくせに運動があんまり得意じゃないんで(笑)
絵を描くのは好きでしたけど。うちの兄貴が大学に進んで,建築学科っていうのは面白そうだぞって言われて。そんな軽いノリで建築に来てしまったんです。美術が得意だったこともありましたけど。早稲田の建築学科の入試にはデッサンがあるんですよ。わりとそういうのは得意でした。大学に入ったら,私よりもっと絵がうまいやつがいっぱいいるので,そっちはとてもかなわないな,と思いましたけどね(笑)
学生時代は・・・旅行は好きだったので,あっちこっち行きましたけど,それ以外は大学近辺で麻雀とか,遊んでいましたね(笑)
今でも旅行は好きなんで,わりとしょっちゅうあっちこっち出かけています。
最近は日本ばかりですね。海外によく行っていた時期もあるんですが。かみさんが生きていたころは,二人で海外に旅行に行っていました。今は海外は,ちょっと億劫になってきて。国内旅行はしていますけどね。
はい,残念ながら一人暮らしです。料理はもうしないですね。かみさんが最後は病気だったんですが,病気になった時は料理せざるを得なかったので,その時はやりましたけど,一人になるともうしなくなりますね。
今は石川町(横浜市中区)に住んでいます。以前は,かみさんの仕事の都合で東京に住んでいたんですよ。もう東京に住む理由もないので,そしたら職場に近いほうがいいかな,と。
さすがにペットはいないんですが,かみさんが遺した観葉植物の世話が結構大変なんです。いっぱいあってね。1週間に1回ぐらい水をやって。やりすぎてもいけないし,難しいんですよね。なんとか枯らさないようにしてるんです。なんか怒られそうな気がして(笑)
(写真/立山徹 構成/辺見真智子)

秋元康幸(あきもと やすゆき)さん/1958年生まれ みずがめ座
横浜市 建築局 企画部長
横浜市中区在住 独身(!)
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まちづくりWho’s who vol.2
東浦亮典さん(東急電鉄)
未開の地を切り拓くのが面白い。

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東浦亮典さんロングインタビュー もくじ
■今回,私がすごく気をつけたところ 
■「言い訳のためのワークショップだとみんな怒り出しますよ」
■開発し終わった街にもう1回かかわるというのは,やったことがなかった。
■横浜市とイコールパートナーは画期的なこと
■建築局がハブ機能を担ってくれて・・・
■「まちづくり株式会社」ができれば,もっとうまくつながる。
■「まちづくり会社」は横浜市・東急・住民出資の第4セクター?
■「たまプラーザ地区でかかる植栽管理コストを住民にください!」
■30代のとき,南町田グランベリーモールを企画しました。
■子どものころのニックネームは「Jack Amano氏」?
■未開の地を切り拓くのが面白い。

■今回,私がすごく気をつけたところ

開発事業をやっていると,最悪の場合は反対運動が立ち上がって,のぼり旗が立ったりとか,・・・そんなことがわりと普通に起きるんですね。それはなぜかと言うと,やっぱり,ある計画を一定期間でまとめあげなくてはいけない,ということで,本当は住民の方々とのコミュニケーションをもっと丁寧に丁寧にやっていったほうがいいのに,若干はしょってしまうケースがあるんですよね。
我々もそういう経験をいっぱいしてきていて,今回私が次世代郊外まちづくりを横浜市さんと一緒にやっていくなかでは,そこはすごく気をつけたところです。
とくに,ひとつのマンションとかビルではなくて,こういう大きなまちづくりになると,どうしても住民の方々は,関心はあっても,あまりにも物事の規模が大きすぎて,一人一人では何もできないんじゃないか,という思いから,行政任せとか,企業任せになりがちなんですね。
でも,我々としては最初から産・官・学・民連携で,このプロジェクトやろうと思っていましたので,とにかく住民の方々になるべく多くかかわっていただいて,我が事として主体的にやっていただくことを志向していきたいなと思っていました。
昨年7月のキックオフフォーラムからワークショップ,そして,たまプラ大学と,とくに去年の秋から今年の春ごろまで,皆さんとってもお忙しかったですよね(笑)
我々としてはそれだけ密に,我々の考えていることや,皆さんにやっていただきたいこと,一緒に議論したいことを,どんどんテーブルの上に投げて,やらせていただいた。
これはまさに住民の方々とのコミュニケーションを密に,という気持ちからなんですね。
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■「言い訳のためのワークショップだとみんな怒り出しますよ」

横浜市さんも同じで,行政サービスをしていくなかで,いろいろなクレームをいただくわけですよね。そういう意味では,最初こんなに濃密に住民に皆さんの前に出て行って,まちづくりのことをお話ししたり,議論したりするってことについては,若干,腰が引けてた部分があったと思うんですよ。
それは,なんか過去のいろいろなことが頭をよぎったりして(笑),あの時のことが今また噴出するんじゃないかとかですね,またお叱りをいただくんじゃないかとか。
私は,たまプラ以外でも沿線のあちらこちらで地域の活動をかなりやっていますので,遠回りなようでも,それをやっていたほうが結果的にはうまくいったり,スピードアップできたりするってことを経験的に知っています。
横浜市さんにも「言い訳のためのワークショップだとみんな怒り出しますよ。出した答えに対してきちっと責任をもって一緒にやっていくってことをブレずに示していけば,住民の皆さんにもきっと理解していただける。そのワークショップのプログラムもきちっと住民の皆さんの意見が反映されていくようなステップをうまくプログラムしていけば,皆さんの満足度も多分高まりますよ」・・・という話をしました。それで,横浜市さんもよしやりましょう,と。
我々が引っ張ってきたっていうとちょっとエラそうな言い方になっちゃうんですが,でも横浜市さんも,きちっとお話しすると,意外と住民の方から応えていただけるんだ,ということがわかってきたら,もうどんどん熱心になっていって・・・。
多分皆さんもお感じだと思いますが,コンサルタント会社に丸投げ,お任せではなくて,横浜市さんも東急も結構みんな出てきましたよね。あれは義務感もあるかもしれませんが,みんな楽しいんですね。こういう仕事がしたかったんだって。そのプロセスを横浜市の職員の人もみんな楽しまれていて,そのことがいい雰囲気の流れになってきたのかな,と思います。
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■開発し終わった街にもう1回かかわるというのは,やったことがなかった。

今回多摩田園都市の60周年ということで,実はこの本(新建築11月別冊「郊外のサステナビリティ 東急電鉄にみる地域開発とその運営」)の帯(「祝東急多摩田園都市60周年記念」)はうちの会社がつけたものなんですね。我々が買い取った分だけ,この60周年の帯をつけたんです。特注なんですけど(笑) 我々の思いはまさにここにあるんですね。
私はとくに開発部門で育ってきましたので,私が入ったころはまだ沿線の区画整理がそれなりにされていた時代で,あの当時の我々のまちづくりというのは,山林を切り開いて,道路を抜いて公園を作って学校用地を作って,商業施設を誘致して・・・というようなものであって,先輩たちからも教わってきて,そういうものだと思っていたんですよね。
ところが,今回次世代郊外まちづくりやって,我々が思い直しているのは,やっぱりまちづくりっていうのは,そういうハードだけじゃない。・・・どうしてかって言うと,我々「まちづくりデベロッパー」だなんて自分たちのことを言ってるわりにはですね,結構そういうソフトとかマネジメントとかっていうところまでは,やれていなかったし,やっぱり営利企業ですので,作っては売り作っては売り,というサイクルがビジネスとして成り立っていて・・・過去,開発し終わった街にもう1回かかわるというのは,やったことがなかったんですね。
私としては,作ってお売りしたら,もうかかわらない,あとは行政と住民の方で好きにしてください,というのはあまりにも無責任だし,そこがどうなっていくかによって我々の業績にも関係してくるわけだから,ひとつの我々の商売上のテリトリーだと考えれば,そこを深く耕し続けるっていうのは重要なことだと思っています。そういう意味で,我々は「農耕型のデベロッパー」です,と言っているんです。
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■横浜市とイコールパートナーは画期的なこと

画期的ですね。というのは,横浜市さんと東急電鉄は,まちづくりをしていくなかでは,許認可権者と事業者という立場で,上下関係にあるんですよ。我々の先輩たちも,そういった過去の経験が体の隅々までしみついているので,我々の大先輩にこの次世代郊外まちづくりを始めましたって報告をしたら,驚いてるわけですよ。「えっ,横浜市と? イコールパートナー,イーブンパートナーみたいな感じでやれてるのか? 俺たちの時代では考えられなかった」って。そうだったと思いますよ。横浜市に限らず「お上意識」というのがどうしてもありますから,変なことやって目をつけられて,通るはずの建築確認が通らなかったらどうしよう,とかね(笑),ここでの仇をあっちで討たれたり,とかがないようにですね,みんな細心の注意を払って行政とおつきあいをしてきたわけですよね(笑)
それが,どちらかというと同じ席に座って喧々諤々やって,時には「おかしいんじゃないですか」ぐらいなことを言いながらやってるわけですよね。そういうことって,昔の,私が入社した頃のことを思うと,ちょっと考えにくいですね。

■建築局がハブ機能を担ってくれて・・・

次世代郊外まちづくりは,横浜市で十幾つの部局がかかわっているんですが,建築局が横浜市全体の窓口をやっていただいているんですよ。お役人的な発想になれば自分の守備範囲だけ守っていれば百点なんですよね。言葉は悪いですが,役人ぽい人だったら,いや,そんなことまで私たちはやりませんよって。
ところが,建築局の方がすごいのは,この活動が自分たちとしても意義があるし,やらなければいけないということで,ご自身たちの業務分掌をはずれても動いていただけているんです。建築局が横浜市のなかのハブ機能を担ってくれて,迅速に必要なところに話をつけてきてくれている,横串を刺す役割をしてくれているんですね。これが非常に有難いですよね。
ほかの部局は確かに温度感は違うと思うんですよね。きっと「なんでオレのところがそんなこと言われなきゃいけないんだ」って庁内では,言われているんだと思うんですが,「いや,そこをなんとか」って,錦の御旗を持って突破しようとされているんだと思うんです。それは感じますね。そこは本当によくやっていただいています。
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■まちづくり株式会社ができれば,もっとうまくつながる。

まちづくりをするのに,「まちづくりマネジメント会社」みたいなものがあったほうが,いろんなことができる。それは,任意団体でも,LLP(有限責任事業組合)でも,NPOでも,一般社団法人みたいなものでもなんでもいいです。必ずしも株式会社にこだわることはないんですが,株式会社は制約があまりない点がいいんですね。ほかの組織だと,収益があげられないとか,契約をしてもらえないとかですね,いろいろ制約が出てくるんです。その代わり,気楽にやるなら,そんなにオブリゲーションがないので任意団体でいいよねってことになりますけど。
企業と組んで何かをする場合でも任意団体では契約ができない。例えば,見守りを兼ねたポスティングのプロジェクトでも,小さいながらも仕事をとりたいんだったら,きちっとした受け皿としての組織が必要になってくるんですよね。
また,「まちづくり会社」が年収800万も1千万も稼ぐっていうイメージではなくて,おこづかい程度には報酬が出て,自分たちが活動していけるだけの収益が出る。そして何か目に見えて地域のことがよくなっているみたいなことが実感できるぐらいのサイズの組織体。そんな組織体ができると,多分,行政,企業,住民,というのがもっとうまくつながるのじゃないかな,という気がしています。

■「まちづくり会社」は横浜市・東急・住民出資の第4セクター?

何かみんなで一緒にしなきゃいけないことっていうのがあると,コミュニティがひとつにまとまりやすいですね。昔,里山で入会地ってありましたよね。そこできのこを取ったり,薪を取ったり・・・。それは,そのコミュニティの守るべき共同資産なんですね。
例えばマンションなら,共用部分は共同で管理しないといけないから,管理組合ができる。でも,一戸建ての住宅地には管理組合って概念がないですよね。共有するものがないからって,一般的には言われているんですよ。でも,私はそうじゃないと思っていて。
みんなが大事にしている地域の共有の物ってあるんじゃないかなって。それを何かこの次世代郊外まちづくりでも見つけられるといいな,と。
例えば,エネルギーなんていうのは,もしかしたら共有物かもしれないですね。電気は今までは東京電力から買うものだったですよね。今国会で議論されていますが,電気事業法の改正をしていて,2016年には自由化になるんですね。
例えば,地域の再生可能エネルギー,太陽光だとか,風力とか,バイオマス,なんでもいいんですが,地元で作ったエネルギーをみんなで集めてみんなで使いあう。前はできなかったですが,今度できるようになる。そうすると,地域のエネルギーはみんなの共有物で,うまく使いましょう,となるとそれを管理する組織がいるじゃないですか。
母体としてエネルギーと情報をみんなで共有するのが,この「まちづくり会社」です。ついでに見守りもしましょう。ついでに宅配もしましょう。
ひとつの大きなマネジメントの会社とか組織があって,そこに宅配部とか見守り部とか,エネルギー供給部とか,がある。
それを住民の皆さんだけで運営できれば,もちろん一番素晴らしいんだけど,お金とかノウハウとか心配でしょうから,そこはスタートの時には,少し横浜市さんからも基金が出て,東急からも出資金が出て,それに住民の皆さんのお金が入るから,第4セクターみたいなものができるといいんじゃないのかな。
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■「たまプラーザ地区でかかる植栽管理コストを住民にください!」

企業は長年経営していると,徐々に澱(おり)がたまるように高コスト体質になってくるんですよね。それで,地域の細かいことを大企業がやると,やっぱりコスト倒れになっちゃうんです。例えば見守りのこととかは,住民の皆さんの小回りのきく組織体でやったほうが,うまくいくことが結構あると思うんですよ。
私が常々思っているのは,たまプラーザは桜並木がすごくきれいで,春はみんなわーっと来ますよね。でも,今桜も古木になってきて,今度切るって話を聞きましたけれども,(あれも残念な話ですが,)桜は成長が速いので,常にそれを回していく。つまり,ここは抜根して新しいのを植える,また来年はここに植えるっていうふうに循環させていけばいいと思うんですね。
でも,横浜市が所管すると,お金がないですから,どうしても,もう桜は切ります,切ったら植えませんっていう杓子定規な話になっちゃうんですよ。それだったら,そこの仕事は,地域の事情が一番わかっていて,目が行き届いて小回りがきいて,そして愛着を持っている住民の方に任したほうがいいんじゃないですか,と。
市の職員が見に来て,じゃあ来年度予算でここやろう,じゃダメなんですよ。ああいうのは,市がやったらこのぐらいかかるというお金を地元に渡して,その範囲で地元の人たちが植え替えをしたり,肥料をやったりするようにすれば,そこに小さな雇用とか,楽しみが出てくる。そういうことを僕は次世代郊外でやったらどうですかって思っているんです。
この間,講評会で桜並木を守ろうっていうご提案をいただきましたよね。あんなのは絶対地元主導でやったほうがいいはずなんです。横浜市に「たまプラーザ地区で植栽管理コストにどのくらいかかっているんですか?」って聞いて,そしたら例えば「100万です」と。「じゃあ,その100万全部頂戴!」と。「もう横浜市に迷惑かけないで,私たちでもっといい状態にしますよ」って。
例えば,「みど*リンク」(東急沿線でコミュニティ活性化につながる緑化活動をしているグループへの支援)というのを私の部署でやっていまして,去年たまプラーザでも1件支援させていただきましたが,あんな制度をうまく使っていただけると,1団体最高100万円分のご支援ができるんですね。例えば,東急から100万円貰って,行政からもいくばくか貰ったら,ボランティアベースで十分活動していけるんじゃないかと思うんですね。
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■30代のとき,南町田グランベリーモールを企画しました。

私は開発畑がずっと長いんですが,仕事として形に残ったもので言えば,一番最初のものが,南町田のグランベリーモールです。あの企画は最初から私もかかわってやったものなんです。
とにかく私は会社の流れとか,上司にこれやれって言われてやるのは,あんまり好きじゃないんで(笑)会社としてのあるべき姿は考えているんですが,前例がなかったり,ハードルが高いと思われていて,誰も手を出さないようなことに興味を持つんですね。
例えば南町田の場合は,3万坪の空き地が,私が入社した時からずーと,駅前に放置されていました。たまにそこで会社の運動会なんかやったことを懐かしく思い出すんですが。
商業地域に指定されていて,なんでも使える用途だったんですが,誰も使わない。過去には開発計画もあったというんですが,あそこではマーケットがないとか,会社では提案すら全然出てこない。「じゃあ,私が使っていいですか?」って。
当時30代だったんですが,お買い物をしていて,日本のショッピングセンターって,なんでこんなに画一的なんだろうって。お買い物をするだけじゃない楽しみとかがあんまりないなーと感じていて。でも,アメリカとか遊びに行くと,なんか楽しいショッピングモールっていっぱいあるなー,と。アメリカンスタイルのショピングモールを,需要がないっていう人もいるけど,やってみたら面白いんじゃないかなー。
で,検討しているうちにアウトレットというのが視点に入ってきて。当時日本ではアウトレットは成立しないと,まことしやかに言われていてですね。なぜなら,アメリカと流通経路が違うからって。そうなんだろうかっていうんで,いろいろ自分たちなりに考えてチャレンジしたのが,あれです。お陰様で,比較的成功したわけなんですが。
そういうふうに,やるべきなんだけども,誰も手を出さない,というようなことにわりと関心をもつタイプですね。

■子どものころのニックネームは「Jack Amano氏」?

子どものころからヘソまがりと言われていました。はい,親からはあまのじゃくと言われていましたね(笑)Jack Amano氏とか言われていました(笑) 
それから,わりと飽きっぽいんです。ひとつのことを何十年もやる,これも立派なことだと思うんですが,私は5年ぐらい集中して,バーッとちょっと新しいことをやって,「ほら,みんなできないって言ってたけど,できるじゃないか」ってところをやって見せたら,また次に興味の対象が動く,みたいな感じのところはあるかもしれないですね。
横浜市との協定期間は5年間ですが,多分うちはかかわった以上は,5年でやめるってことはあり得なくって,延々と続くと思います。で,延々と続く部分は,うちの会社の誰かに引き継いでいくことになると思うんですね。
私は何度もこういう立ち上げ期をずーとやってきています。立ち上げ期というのは,答えはないし,前例もないから,大変なんですね。大変なんですが,その大変さと,出来上がって何か見えてきた喜び,できたじゃないかっていう気持ちを比較すると,そちらのほうが大きいので,頑張れちゃうっていう感じですかね。でも,だいたいこれでいけるっていう形ができちゃうと,もう私は興味がなくなってくるんです(笑)

■未開の地を切り拓くのが面白い。

でも,うちの会社には一度引いたレールの上を正しく走る社員はいっぱいいるんですよ。
新しく北へレールを引いたらいいのか,南に引いたらいいのかは,みんなはわからない。あそこはなんか崖があるじゃないか,とか,山があるじゃないか,とか,オオカミが出るぞ,とか,そういうことをみんな言うわけですよね。でも,オオカミが出てもいいじゃないか,行ってみようっていうのが僕で,「ほら,通ったよ,レール」って言うと,「あー,通った通った」ってみんな行くって感じなんですよ(笑)
南町田の事例がまさにそうで,私はその時まだ若かったですし,そういうことを成功した経験があるわけじゃないんで,会社にやらしてくれって言った時に「こいつにやらせてどうなる?」って思われたでしょうが,でもまだ時代がよかったのか,「やれるならやってみろ」っていうような感じで,ただし,「条件がある。10年でやめろ」と言われたんですよ。期間限定の事業としてスタートしたんですが,10年超えても,まだグランベリーモールはあるので,多分レールが引かれると,それを踏み台にしてさらによくしていけるタイプの人材がうちの会社にはたくさんいるんですね。
それはもう僕よりもそういうことが得意な人はいっぱいいるので,それはそういう人にお任せする。でも,どちらかというと,未開の地を切り拓く人があまりいないんですね,残念ながら。そういうことに面白がってかかわる人間が,たまたま一人ここにいた,ということだと思います(笑)

実家は鷺沼にありますが、今、品川のほうに住んでいます。家族は4人ですが、息子は現在茨城県の農業学校に通っているので寮暮らしです。
ペットはね,カメが1匹います(笑) マンション暮らしなんで犬は飼えないんです。
犬が大好きなんですよ。イヌ派ですね,私は。
(構成/辺見真智子  撮影/立山徹)

東浦亮典(とううら りょうすけ)さん/1961年生まれ  やぎ座
東急電鉄 都市開発事業本部 都市戦略事業部 
企画開発部 統括部長
東京都品川区在住 4人家族+カメ1匹 
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Who’s who vol.1
大友直樹さん(横浜市建築局)

27もプロジェクトがスタートして
私の心の中では,ほんとに「これから」・・・

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■異動して2ヵ月後からスタート
平成23年の6月から,もう3年ですね。私がこの企画課という部署に来て2ヵ月後に「次世代郊外まちづくり」のための研究会がスタートしました。
皆様方にお会いする前に,まずは我々が何をしなければいけないか,どういう街をめざしていくのか,東急電鉄さんと一緒に1年間有識者を呼んで研究会という形でやっていました。我々が勉強していないと皆様ときちんとお話ができないだろうということもありましたし。

■住民創発プロジェクトが基本構想の「肝」だ
私は前は都筑区に住んでいたんですけど,たまプラーザは,個人的にはよくお買い物に行っていました。とくに東急テラスはよく子どもを連れて,あそこの円形の芝生のところに行っていましたね。
(昨年7月のキックオフフォーラム以来)1年間ずーっと皆さんと一緒にいろいろさせていただきましたけど,私の心の中では,ほんとに「これから」。
一番大事なのは・・・住民創発プロジェクトが一番の「肝」,一番大事なものだと思っています。8つのリーディングプロジェクトの一番最初に,住民創発プロジェクトをもってきたのは,そういう気持ちからなんです。それは東急電鉄さんとも全く同じ気持ちで,地域の方々が主役にならない取り組みは多分意味がなくて,それを東急電鉄さんは民間企業としてサポートし,横浜市は行政としてサポートする。
そういう,いい三角形がうまく成立するためには,住民の方々がきちっと主役になってもらって行動してほしい,と思っています。
基本構想を6月19日に記者発表させていただきましたが,私は,あー終わったなんて思ったことは一度もなくて,あー8月にはプロジェクトが動く・・・と思っていました。現在,27もプロジェクトが動き出しましたから,まだまだ私の中では切れ目がないというか,ほんとに,これからですよね。

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■みんなびっくり。27プロジェクトはどれもすばらしい
でも,とっても楽しみですよね。小泉先生もびっくりされてましたけど,まさかここまでできるとは。しかも内容はすべてが素晴らしかったですよね。すべてが特色があって。あれはみんなでびっくりしていたんです。やっぱりすごいなって思いました。
何かしようと,いつもアンテナを張っていないと,突然やりましょう,と言ったって動けないと思うんです。準備運動をしていないと。皆さん,準備運動がもうできてるわけですね。何かやりたいと思うんだけど,意識はあるけど,それほどきっかけらしいきっかけもなく,それで特に今そんなに目立って困ったことはないんだけど,たまたま横浜市と東急電鉄さんとで10年後20年後を想像するきっかけを作らせていただいて,それで皆さん少し動きだしたのかなってそんな気がするんですよ。

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■この街の成功事例を他の街へ
我々の思いとすると,ここでいろんな方々がかかわりながら行われている,街の魅力をアップする取組みや地域の課題を解決していただくような取組みが,成功事例として,ほかでも真似をしていただけるようにするのが,横浜市の仕事だと思っているんですね。この街だけではとどめるつもりはないんです。
地域の方々と民間企業,行政もかかわって一緒に街の魅力づくりをしていく取組みを他の地域でもやっていきたいんです。
我々は「横展開」という言葉をこの取組みについて聞かれるとよくお話しするんですが,ここで得られた成果をどんどん市内に広げていきたいと思っているんですね。
なので,この住民創発プロジェクトも参加者を今はモデル地区を中心にしていますけど,いずれは青葉区全体に広げていきたい。それは行政もかかわりながら,民間企業さんの力ももらいながら,住民の方々から提案を頂戴して,この形をどうやってうまく広げていけるか,トライ&エラーでやっていくものだと思っています。
もちろん,まずは,今ここで成功事例が出て初めて,じゃあ次の展開をってことになりますけれども。

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■ワークショップは楽しかった
私は団塊ジュニアと呼ばれる昭和48年生まれの40歳です。父は団塊の世代でもうリタイアもして。私のころは学校舎が足りなくて,プレハブ校舎を経験した世代です。
生まれは町田なんですが,小学校に入る前に横浜の金沢区に越しまして,今でも実家は金沢区です。
大学で建築を学んで,・・・でも,私がこれまで歩んできた道は建築行政と呼ばれる,確認申請を受けつけるとか,すごく狭い意味での建築で,街づくりはほんとに初めてなんです。皆さんと一緒にワークショップをやって街づくりをやるのは,とっても楽しかったです。
それと印象に残っているのは,ワークショップの盛り上がりですよね。毎回時間をオーバーして申し訳なかったですけど。楽しかったですものねえ。最後に終わったあとになだれこんだカフェでも皆さん盛り上がってましたよね。

■ワークショップの参加者は・・・
ワークショップは,最初,東急電鉄さんと人が来なかったらどうしよう,なんていらぬ心配をいっぱいしていたんです(笑)
よくあるのは,若い方がなかなか参加してくれないこと。次の時代の担い手というふうに考えると,30代,40代,50代の方にもっと出てきていただきたいんですが。ところが,いざふたを開けてみると,20代,30代,40代,50代,60代とほぼまんべんなく,ご参加いただくことができて,これにはびっくりしました。
あとは,皆様方からのアイデアの中で,例えば自分のうちを開放するとか,「私ならこれができる」っていうワークショップの中で,アイデアがいっぱい出てきたのは,とってもびっくりしました。自分が何かをするっていうことをみんなの前で宣言する方がこんなに多くいらっしゃるって,とってもびっくりしました。
ボランティア精神が旺盛なんだなって。その意識はもしかすると,たまプラーザ特有のものなのかもしれませんね。あの場だからこそ出てきた言葉なのかもしれませんが。

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■一番大変だったのは基本構想
やっぱり,ワークショップが終わって,皆さんの思いをどういう形でまとめようかっていうのは,ほんとに大変でした(笑) これはひとつの目標像になるし,この基本構想を作るのがとても大きな山場でしたし,これがゴールではないんですけど,基本構想があって初めてプロジェクトにつながりますので。
ワークショップはとても楽しかったですが,皆さんのご意見をいかにすくいあげて,ひとつの形にするかっていう作業が,ほんとにとても大変でした。
東急さんからも何人も人を出してもらって,毎週のようにこの会議室に缶詰になって,8時間ぐらいずーっとこのテーブルで(笑)・・・10の取り組みもそうですし・・・。
たまプラ大学も8回させていただいて,ワークショップが5回,その間にオープンワークショップというかたちでいろんな方々からご意見をいただきましたし,その思いを少しでもくみとりたかったんですね。とっても素晴らしいご提案ばっかりだったので。

■将来的には,中間支援組織にバトンタッチ
次年度以降どういうかたちで新しい提案をすくいあげていくかっていうのは・・・,できたら,同じやり方でやるのではなくて・・・皆さんの活動どうしをつなぐようなご提案が複数出てきていますので,その方々を中心にいろんな新しい活動がそこに加わっていく,そんな展開をしていきたいと思うので,次年度以降はそういう形になるような支援のしかたができないかなあ,というふうには考えています。
また行政と東急電鉄さんがお膳立てをするのではなくて,皆さんの活動で,いわゆる「中間支援組織」と我々呼ぶんですが,そういう方たちに少しずつバトンタッチさせていただいて,そこに新しい活動が参加をする,そんな形に発展できるといいなと。
ワークショップをやって,基本構想ができて,まず第一歩としていろんなプロジェクトが立ち上がりましたよね。それを毎年同じかたちでやるんじゃなくて,少しずつ発展させながら,さらに皆様方に移せるものはどんどん移していく,というようなことを東急電鉄さんと今考えているんですね。

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■東急電鉄さんとは「お互いの足りない部分を補った」
行政と民間企業が一緒に何かをする,ということは画期的なことだと思いますが,違う点といえば,まずスピード感が全く違います。行政は一歩一歩着実に(笑)それがいわゆるスピード感のなさにもつながっているのかもしれませんが,我々は民間企業さんみたいに臨機応変にあまりできないという状況もありました。
東急電鉄さんは,とてもスピード感がありますし,いろいろと人のつながりや必要な情報を我々に与えてくださいました。
一方,横浜市は金も人もいない分,規制をきちっと時代に即して見直させていただく。東急電鉄さんの利益ではなくて,街としての利益が向上するという取組みに対しては,我々としても最大限応援させていただく。お互いの足りない部分を補った,というのがきれいな言い方なのかもしれませんね(笑)
(構成/辺見真智子  撮影/立山徹)

大友直樹さん/1973年生まれ 
横浜市建築局課長補佐
企画部企画課担当係長
川崎市在住,2児のパパ

Who’s who vol.0 松本茂さん
「自分の中にある『正義』は曲げられない」

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■うちは,電車が通るずっと前から,ここに住んでいます。
わたしは,もともと地元の出身です。地主さんで松本って,いっぱいいるんですけどね・・・,うちは土地のない地主さんといいますか・・・(笑) 
地主さんも何系統かあって,このへんだと吉村さんとか黒沼さんとか。昔は長子相続で,私の父は長男ではなかったので,いわゆる地主という感じではないんですが,生まれた時からずっとここで育って,学校も山内小学校,山内中学校です。父もおじいちゃんも多分そのずっと前も,電車の引かれる前から,もう何もない時からですね,ずっとここに住んでいます。今の美しが丘5丁目,山内中学校のすぐ下なんですが。
その後,リコ一というコピーとかファクシミリの会社に,事務系の営業職で就職しました。父の不動産会社を継ぐっていう気持ちはまったく無くて。
そして普通に名古屋に転勤して,福岡に行って,ま,そこで嫁さんと知り合って結婚しました。そのあと東銀座の販売系の本部に行くことになって,こちらに戻り,毎日満員電車で通勤していました。
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■サラリーマンから急に社長に。
ところが,そのころ,父の具合がちょっと悪いので手伝ってくれということになり,これはほんとは福岡時代から言われていたんですが,キリのいいところで,会社を退職しました。
先代社長であるうちの父が今の場所に,プレハブで会社(セントラル産業)をつくったのが,昭和43年です。今でもプレハブですけど(笑) 電車は昭和41年に引かれたので,ほんとにまだ何もないところに,ポツンとありました。
平成4年に,わたしがセントラル産業に入ってから1年半ぐらいで,父が亡くなってしまって,それで,すぐそのまま訳もわからず社長になったみたいな感じですね。それからもう20年を超えています。
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■最初は消防団だったかな。
 わたしが地域活動にかかわっていったきっかけというのは,二つあるんですけど。
ひとつは,不動産業なんで地域の地主さんたちとつながりがあります。そうすると,いろいろ話が来るんですね。例えば,PTAやりなさいとか,消防団入りなさいとか。最初は消防団だったかな。「お父さんもやってたんだから」みたいなことを言われて。消防団は父がやっていたし,多分初代の商店会長もやっていた。それと地域の獅子舞も。それでわたしも当然やることになって。PTAは,消防団の先輩に言われて,なんですけど。そういう地域のつながりから,まちづくりに興味を持ったということですね。
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■地下室マンション反対運動。ちょっと過激にやりました。
もうひとつは,平成9年に「地下室マンション」の反対運動というのがうちの近くであったんですよ。法律を逆手にとって,用途地域では最も制限の厳しい第一種低層住居専用地域(マンションは3階建てまで)の傾斜地に,実質4階建て(法律上は地上3階地下1階)の分譲マンションを建てるというもので,利益優先のマンション業者が住宅の質(床面積の増加)より戸数を増やして儲けようという一種の脱法マンションなんです。それが,全国あちこちに広がり始めていました。
その時に,その反対運動の事務局長のようなことをしまして,ちょっと過激にやったんです。道路を封鎖して工事車両の進入を阻止したり,社長の家の前でシュプレヒコールをしたり。もちろん裁判をおこして高裁まで争ったんですけどね。反対運動をしている市民団体のネットワークをつくって,国会請願もやりました。

■最後まで残ったのは,3人だけ。
最終的には法律が変わったので,今はそういうマンションはほとんどできなくなったんですけど。それでやっぱりその時思ったのは,法律を変えるのはすごく大変ですけど,なんでも熱意をもって,粘り強くやっていくと,どこかで変わってくる,というかね。「そんなのやってもダメだよ」ってずっと言われ続けて,それでも何年かそういう活動をやっていると,全国的になんか変だよって話になり,法律や条例が変わっていったんですね。
ただ,そうは言っても,この時は自分としては腹をくくってましたね。結局,最後まで残ったのは3人だけでしたけど。どうして続けたかって言いますと,まちづくりにも関係するんですが,こういう法律を野放しにしておくと,本来の法律の趣旨に反して悪用されて,良好な環境のために作られた風致地区とか第一種低層住宅専用地域のそもそもの意味合いがみんな壊されてしまう。山がどんどん切り崩されて,マンションが建てられてしまう。これは最後までやんなくちゃいけないねって言って続けました。

■むやみやたらと怒ってもしようがない。
この時にいろんなことを学びましたね。人との交渉のしかただとか,結果を出すにはどうすればいいかとか,ただむやみやたらと怒ってもしようがないし。どうすれば相手に一番ダメージを与えられるか,を考えるとかね。
最後までやり通したのは,やっぱり譲れないことは譲らないという気持ちですね。これだけは譲ってしまってはいけない,というかね,・・・自分の中にある「正義」は曲げられないっていうのはありますね。なんかカッコいいこと言っちゃいましたけど(笑)          (構成:辺見真智子) (撮影:立山徹)

松本茂さん/1961年生まれ おとめ座 
セントラル産業株式会社代表取締役
たまプラーザ連合商店会副会長,たまプラーザ中央商店街副会長
青葉消防団第一分団第四班班長,AOBA+ART実行委員会副委員長,
たまプラフレンズ代表
(参考)地下室マンション反対運動について
「美しが丘5丁目の環境を守る会」http://www1.interq.or.jp/~shigeru/